ネクタイの第二話。

 食事を終えて歯をみがいてる間も、月見里さんは律儀に座って待っていた。別に先に行っててくれてもよかったんだが...。


「すまん、待たせたな」

「ええ、まったくよ」


 無愛想に答えながら、彼女は席を立つ。顔にかかったツヤのある黒髪を耳にかける所作は、はからずとも目を奪われてしまうほどに優雅であった。制服であるブレザーも自分の服のように着こなしてるし。やっぱりトップアイドルなんだな、と再認識した。


「...なに」


 俺の視線に気づいた月見里さんはジト目である。そんなに長い間、見惚みとれていたのか。


「...いや、ホントお前、性格以外は完璧なのな」

「はあ?ケンカ売ってんの?」

「あ、違いますごめんなさい」


 ふと憎まれ口を叩いてしまった俺も悪いが、いちいちおどさないでほしい。


「かわいいなあ、さすが芸能人だなあという意味です」


 いささかご立腹の様子なのでなだめるように言うと、彼女は呆れ顔で溜息をついた。


「はあ、当たり前でしょ。アイドルは可愛くないとなれないんだから」


 確かに...と納得しかけたが、そんなことはないだろ。まれにいるぞ。かの有名なアイドルグループ、『48』とか『46』とかの楽曲披露中にカメラに映りこむ顔面偏差値四十台ちょいブス


「そう言うアナタも、せっかく素材はいいのに。性格と着こなしは駄目ね」

「おう...。って、着こなしは良いだろ着こなしは。結構勉強したんだぞ?」


 俺の素材が悪くないのは知っているが、他人から褒められると素直に嬉しく感じてしまう。あと、性格については特に否定しなかった。


「だらしない高校生のテンプレみたいな格好して恥ずかしくないのかしら」

「...え、そんなに酷い?」


 しかし服装に関しては散々な言われようである。おかしいな。『あなたもモテモテに!高校生の最新制服テク!』っていうサイト通りのファッションなんだが。


「私の彼氏たるもの、隣を歩いても恥ずかしくないくらいの身なりをしてもらわないと困るのよ」

「だから彼氏じゃないって」

「いいから。ちょっと来なさい」


 月見里さんはそう言って、俺のネクタイを乱暴に引っ張ってきた。体勢を崩した俺はされるがままに、倒れ込んで彼女に急接近してしまう。ロッカーでの出来事を思い出して、自然と鼓動が早くなった。


「ちょ...痛い」

「ネクタイが緩すぎよ。仕方ないから直してあげる」


 白い手が俺の首に回され、月見里さんはネクタイを結びなおそうとする。昨日の暗闇では視認できなかった彼女の端正な顔が目前にあって、思わず顔を背けた。自分で頬が熱くなるのが分かる。


 そして彼女のシャンプーの匂いが変わっていることに気づいた。


 そうか。昨日はあざれあ荘の女性用シャンプー...もといハル先輩のシャンプーを使ったのか。一瞬、入浴中の月見里さんの一糸まとわぬ姿を想像してしまったが、慌ててかき消した。


「なに、照れてんの?」


 煩悩ぼんのうを振り払っていると、彼女は馬鹿にしくさった口調で問いながら俺を見上げていた。


「...いや違うわ。あれだよあれ、首絞められると思ったんだよ」

「私のことを何だと思っているのかしら...」


 ぜ、全然照れてねーし。ちょっと風邪気味で顔が赤くなってるだけだし。


 と、俺が心中で言い訳している間も、彼女は胡乱うろん眼差まなざしを向けつつ、流れるような手際で既に結び終えようとしている。


 すると、モフモフとしたパジャマに包まれたハル先輩が大きなあくびをしながらリビングに入ってきた。寝癖がすごい。


 彼女は俺ら二人の新婚さんみたいな光景を見て、悪戯っぽく笑う。


「おはよお。朝からお盛んですねえ〜」

「おはようございますハルさんっ!ダーリンのネクタイが曲がっていたもので♡」


 ...相変わらず外面そとづらへの切り替えが早い。月見里さんは猫をかぶりながら俺から離れる。少し名残惜しく感じながらも自分の胸元を確認すると、綺麗な結び目が見えた。


「おはようございますハル先輩」

「後輩くんもおはよ〜。おっ、今日ネクタイいい感じだね!」


 え、今日『は』?

 いぶかしみながらも答える。


「ええ...。ウチのハ、ハニーに結んでもらったんで」


 自分で言ったんだが、マジでなんなんだよハニーって。普通に異様だろ。本物のカップル同士でも『ハニー』とか『ダーリン』とか呼ばん。海外ドラマかよ。


 しかしハル先輩は可笑おかしいと思わないのか、微笑ましげにうなずいてから、しみじみとつぶやく。


「いやー、後輩くん。昨日のネクタイは死ぬ程ダサかったからなあー」

「ですよねえ!」


 月見里さんも同意するように首を縦に振った。俺のネクタイ、不評過ぎない...?


 『あなたもモテモテに!高校生の最新制服テク!』の掲示板に一言文句を書きたい気分だったが、時間も時間である。後回しだ。


「...もういいでしょう、俺のネクタイの話は。ハル先輩は急がないと遅刻しますよ」


 ハル先輩は不思議そうな顔をしてから時計を見て、顔色を変えた。


「やばっ!二人は先に行ってていいよ!」


 そう言うなり、凄まじいスピードでリビングを飛び出していく。昨日の早起きは偶々たまたまだったのだろう。照先輩から聞いた話だと、いつも彼女は遅刻気味のようである。


「もとより二人っきりで行くつもりだったけどね」


 ハル先輩の去り際に、隣で月見里さんがボソッと呟く。それは彼女の本心からの言葉のようにも聞こえ、少しドキリとした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る