朝日の第一話。

 昨晩の出来事が嘘のようである。それから『アイドルとの共同生活!ドキドキ♡イベント』たるものも起こらず、つつがなく夜はけていき、いつのまにやら朝日は昇っていた。


 掛け時計を見遣みやると時刻は七時四十分。普段なら焦って起床する頃合いだが、今日の俺、宮原夕陽には関係ない。


 なぜなら、原因不明の奇病が我が身を侵している(という仮病を使った)のだから!


 カーテンをしっかりと閉めてから毛布に顔を埋め、再び眠りにつこうとする。はー、ズル休み最高だわ。


「おい、宮原夕陽ー。学校行くぞ」


 ん?なんか聞こえるけど無視だ無視。きっと夢だ。


「聞いてんのか?寝たフリしてんじゃないでしょうねえ?」


 ...うん、幻聴だよ。



ガチャリ。



「うっわすごいオタク部屋じゃん...」

「いや勝手に開けるなよ!」


 さすがに無視できずに俺は声を荒げる。目を開けたらそこには、俺の部屋にズカズカと入る国民的アイドルの姿があった。悔しいが、制服姿の『田中さくら』は思わず二度見してしまうほど可憐である。


「なんだ。起きてんなら返事してよ」

「...そりゃ不法侵入されたら起きるわ」

「なら最初から開けなさい」


 彼女はタンスの上に飾ってある我が嫁たちを物珍しげに眺めている。なんだよ、フィギュアってそんなに珍しいか...?てか、早く出て行ってくれ。


「あ、ボコちゃんだ」


 出し抜けに指差したのはピンク髪の魔法少女。


「え?なに?お前ボコちゃん知ってんの?何話まで見た?推しは?変身シーン再現できる?俺はできる」

「おお...圧が凄い。怖」


 やるじゃんこいつ。超マイナーアニメだぞボコちゃんは。好感度ちょっと上がったよ。


 若干引き気味の月見里さんは俯きながら答える。


「そんなに深くは知らない。仕事の関係でちょっとね...」


 ああ、なるほど。言葉を濁した彼女を見て、俺は納得した。アイドルとアニメって、やたらと無意味なコラボとかするもんな。あれって利益あんのかな。なんかファンの対立しか生まない気がするし。


 俺が考え込んでいると、月見里さんは話題を変えるように言う。


「そんな話はどうでもいいの。早く制服に着替えなさい。遅刻するわ」


 だ、だから行きたくねえ...もうクラスメイト達に追いかけられたくないし。足の筋肉痛もまだ引いていない。


「行かない」

「あ?彼氏のフリするって言ったじゃない」

「了承した覚えはない」


 俺は再び毛布の中に潜った。気分は完全にカタツムリ。冷えた身体が暖かくなっていくのを感じ、もう二度と布団の中からでられなくなりそうだ。


 すると、譲らない俺の態度を見て、月見里さんは不敵に口角を上げる。


「そこまで強情なら、私にも考えがある」


 絶対よからぬ事を企んでるな...。


「...なんだ。絶対行かないぞ」


 揺るがないぞ、俺の鋼の意思は。


「クラスの男子たちに、私と宮原夕陽が同棲してるってことをバラすわ」

「五分で準備します」


 そんなことされたら―——中野くんたちはきっと、あざれあ荘に押し入ってまで俺を捕らえることだろう。


 ...うん、やっぱり学校行きたい!


「じゃあ待ってるから」


 彼女は満足そうに顔をほころばせ、やっと俺の部屋から出て行ってくれた。


 名残惜しいが、布団から出るしかないか...。



* * *



「遅かったじゃない」


 着替えた後、空腹に抗えずに食卓に向かうと、月見里さんがトーストを咀嚼そしゃくしていた。まるで自分の家のようにくつろいでいて、昨日引っ越してきたばかりであることを忘れそうになる。仕事柄、環境への順応が早いのだろう。


 彼女は遅いと言うが、まだ七時五十五分。八時十五分くらいに出れば間に合うから、時間的には余裕ある。


「五分しか経ってないけど」

「彼女を待たせたらダメ」

「いや彼女じゃねーから...」


 来客用のカップでコーヒーを飲む彼女を恨めしげに見ていたら、照先輩の気配が無いことに気づいた。食卓に並んでいるのがトーストだけっていうのも、いつもより貧相だし。

 月見里さんはゴクリと喉を鳴らしてから、再び口を開く。


「あ、照さんから伝言。『今日は僕、委員会の仕事があるから朝食作れない』とのこと」

「マジかよ...」


 照先輩の料理がないと、俺、今日一日頑張れないよ...。

 とは思いつつも食パンをトースターに入れ、ダイヤルを回す。彼が委員会で早く登校する朝は、週一回ペースであるのだ。


「あの変態って、なんの委員会?」


 自分用のマグカップに牛乳とガムシロを入れて席につくと、月見里さんが尋ねてきた。いや先輩のことを変態呼ばわりは流石に酷いだろ。年上に対してもっと敬意を持て。


「ああ、あの露出狂は美化委員会だよ」

「ええ...美化すべきは彼の性癖じゃない?」


 その通りだ。あと俺も露出狂呼ばわりだった。

 委員会で思い出したが、今日は委員決めだな...。清ノ瀬高校には多種多様な委員会が揃っているため、ほとんどの生徒は何かしらの委員にならねばならない。まあ俺は昨年度、転校ホヤホヤだったために無職だったけど。


「そういえば、三年生はもう委員会決まってるのね」

「ああ。ウチの学校は二年から三年にあがるときはクラス替えが無いらしいからな」


 へえー、と興味なさげに頷く月見里さん。

 照先輩から聞いた話だが、受験などに支障が出ないように慣れたクラスメイト達で最終学年を過ごそう、という理由らしい。なるほど、理にかなってる、と感心したものだ。


「つまり、来年も今のクラスのままってことだ」


 言い換えれば、昨日のクラス替えが最後のクラス替えってことで、一緒になったクラスメイト達によって今後の明暗を分ける、かなり重要なイベントだったワケだが...。うん、多分恵まれなかったね。特に男子共。モテなさ過ぎて嫉妬心が肥大化した性格のひん曲がってる奴らが多そうだ。はあ...。


 俺が昨日に逃走劇を繰り広げた学友たちについて思い悩んでいると、月見里さんはどこか湿っぽくつぶやく。


「そう...。来年も、ね......」

「...?どうした?」

「あ、いえ。なんでもないわ」


 不遜ふそんな態度は鳴りを潜め、似つかわしくない物憂げな彼女の表情がやけに印象的であった。

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