嚆矢の第十話。

 あざれあ荘に、カメラ付きインターホンなどというハイテク機器は備え付けられていない。したがってドアスコープ越しで確認することになるのだが―――。


「お、宅急便かなっ?」


 ハル先輩が食事の手を止めて席を立つ。


「なんか頼んでたんですか?」

「後輩くんのエプロンだよ」


 絶対着ないからな...。鼻歌まじりに玄関へ駆けていく彼女を尻目に俺は心に決める。つーかマジで頼んでたのかよ...。


 と、一人食卓に取り残されたところで、否応にも考えてしまうのは明日より我が身に降りかかる『現実』という名の矢の雨についてである。とりあえず当面は原因不明のやまいにひれ伏せる予定だから良いとして、問題はそれからだ。

 まさかずっと休んでなんかいられないし、進級できなかったあかつきには母親が泣く。いや、別に泣かないな...『なんだぁ夕陽。童貞卒業はおろか進級すらできねえのかっ!ガハハ!』と爆笑だろう。我が親ながらなんて最低な言葉遣いだ。言葉を仕事にしているとは思えない。


 海外に活躍の場を移したコメディアンの母親に辟易へきえきしていると、玄関の方がやたら騒々そうぞうしい。なんだ、宅急便じゃなかったのか...?随分と夜分遅くな来客だ。やっと一息ついて、食事を楽しんでいたというのに。


 聞こえてくるのは上機嫌なハル先輩の声に加えて。

 かわいらしいけど、どこか裏のありそうな語り口調であった。


 ん?つい最近、そんな口ぶりを耳にしたような...。嫌な予感が。


『そっかぁー!じゃあ、今日からココに住むんだーっ?』

『はい。よろしくお願いしますね...えーと、ハルせんぱい?』

『こちらこそだよー!いやあ、楽しくなりそうだっ!』


 おいおいおいおいおいおいおいおい!!!


 俺は走って玄関に向かう。頰を冷や汗がしたたった。え?住むって...?

 頼む、嘘だと言ってくれ...心休まる安寧あんねいの場所までも、彼女に侵略されるのかよ!


 しかし玄関を覗いたとき、予見が確信に変わった。


 むなしくも嫌な予感が的中し、スニーカーをゆっくりと脱いでいたのは。



「あっ、だーりんだっ♡」



 大きなキャリーバッグを持った、月見里やまなし咲耶さくやの姿だったのである。

 彼女は嬉しそうに、俺に手を振っていた。



* * *


 

 とりあえず皆、急いで食事を済ませ。


「改めてこんばんは、月見里咲耶です。本日より『あざれあ荘』に住まわせてもらうことになりました」


 月見里さんを椅子に座らせて、照先輩が温かいお茶を入れた。四人用の机にハル先輩と照先輩は月見里さんと向かい合うようにして座ったので、しぶしぶ俺は隣に座る。夕方と同じフローラルの香りがした。


「そして、宮原夕陽くんとお付き合いさせていただいておりますっ!」


 うやうやしく頭を下げる月見里さん。きめ細やかな黒髪がふぁさり、机をった。先輩二人は『おおー』と軽く拍手する。


「いやあ、宮くんがいつもお世話になっています」

「ウチの後輩くん、変なコトしてない?大丈夫?相談乗るよ?」


 おいやめろ俺がめちゃくちゃ性に飢えてるみたいじゃねーか。俺は否定しようと声をあげる。


「いやだからそもそも付き合ってない.......あいたたたたっ!」


 すると、隣の月見里さんが俺の外腿そとももを思い切りつねってきた。机の下だから先輩たちの角度からは見えないだろう。シンプルに痛てえ。


「......おい宮原夕陽...ざけんなよ...」


 彼女はそのまま顔を近づけ、耳元で凄みを効かせてくる...怖い怖い声が低いっ!


 俺は身の危険を感じたので、泣く泣く宣言するほかない。


「.......はいっ!俺たちはっ!ラブラブのっ!カップルですっっ!なあマイハニー?」

「きゃあーっ!そんな恥ずかしいコト、大きな声で言わないでよっ!ダーリン」


 こいつマジでいつか泣かすからな...。手で顔を隠して照れているフリをしている性悪女への怒りをふつふつと煮えたぎらせる。


「うわー仲良いんだね!」

「うんうん、お似合いだよ」


 は?どこが?


 ようやく外腿から手を離した月見里さんだったが、頷いている照先輩の下半身をちらりと見て、再び耳打ちしてくる。


「...ねえ。なんであの人、服着てないの......」


 声音こわねでドン引きしてることが分かった。


「あれは病気だ。慣れろ」


 もう俺は、照先輩に服を着せることを諦めてます。


「...裸エプロンの人を平然と受け入れているこの雰囲気が怖いわ......」


 なら帰ってもらって結構、とは口が裂けても言えなかった。この女怖いし。


 ひそひそとそんなことを話していたが、当の本人である露出狂はあざれあ荘のリーダー格らしく、意気揚々と仕切りだす。


「それで、咲耶くんの部屋だけど。せっかく空いてることだし、宮くんの隣でいいかな?」


 うん、そんな気はしてたよ。


「わ、わーいっ♪...あ、私はべつに、一緒の部屋でもいいんだけどね?」


 ははは...なにいってるんだこのアマ。


「いやいや、俺はまだ早いと思うぜマイハニー。同棲は卒業後、な?」

「ダーリンがそう言うならっ」


 我ながらサブいやり取りだな...。


 そんな俺らを微笑ましそうに眺めていたハル先輩だったが、唐突に「あっ!」と何か思いついたらしい。


「そうだっ!せっかくだし、もういっかい乾杯しようよ!」

「おお、いいね。じゃあジュース注ぐよ」


 照先輩も同意する。


「あはは...私はお気持ちだけで......」


 月見里さんはさっきから、先輩たちに対して引き気味だ。分かるぞその気持ち。俺も最初はそうだった。


 でもこの人たち、根は良い人なんだよ。


「遠慮しなくていいんだぞ月見里さん、君はもう立派なあざれあ荘の一員なんだから」

「そうだよ咲耶ちゃん!共に青春を満喫しよーっ!!」


「は、はあ...よろしくお願いします」


 オレンジジュースが並々と注がれたグラスを無理やり押し付けられ、彼女は困り顔だ。ふふ、いい気味だな!


 そして。俺も気づけばグラスを持たされていて。


「えー再び乾杯の音頭をとらせていただきます、笹野照です。みなさま、ジュースを持ってください」


「ひゅーひゅー」


 さっきとほとんど同じ流れで。でも人数は一人、増えていて。



「宮原夕陽に初めて彼女ができたことに加えてぇ!我があざれあ荘のぉ!新メンバー加入を祝してぇ!――――――乾杯ッッ!!」


「かんぱーいっっ!!」

「か、かんぱい?」

「...乾杯」



 チャリーン、というグラスの音とともに、俺の波乱万丈な一年間が幕を開けたのだった。

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