ウラオモテの第七話。

『ここにも...居ないぞ!』

『くそう、この辺りに隠れてやがるのは確実!次の教室に行くぞっ!』


 ロッカー越しに聞こえる追っ手の怒声。しかし、俺の耳にはほとんど届いていなかった。俺の五感は全て、彼女へ向けられていたのだから。


「ね、ねぇ...あの、月見里やまなしさん...?」


 かろうじて保っていた意識をフル活用して、ひそひそ声で彼女の名を呼ぶ。すると、「んんっ」と、月見里さんは顔を上げた...おいあんまり動かないでくれ色々当たってるから!


「ふふ...ゆーひくーん」

「な、なんでしょう...」


 そんで耳元で囁くのもやめてくれ!俺、耳弱いんだよ!こそばゆい!


 しかし俺の心中の懇願こんがんは届かず、彼女の耳打ちが止むことはない。


「ゆーひくんにぃ、お願いがあるんだぁ...♡」


 彼女の指が俺の腹から胸元へと伝う。自分の鼓動が次第に早くなるのが分かる。


「お、おねがいって......」


 声を絞り出して相槌を打つ。


 美少女にお願いなんてされたら、できるだけ叶えてあげようと思ってしまうのが男のさがである。例に漏れず、俺もそう考えていた。


「そうっ、お願い。あー、いや...」


 しかし。


 暗闇の中で不敵に笑ったのちに、月見里さんは告げたのだ。



「お願いというよりも────命令ね」



 彼女から発せられたとは到底思えないほどの低い声音とともに、俺はあごをグッと掴まれた。


「...はあ?」


 え?今、なんて??...命令?


 困惑している俺なんてお構いなしに、豹変した彼女は高圧的な口調でまくし立てる。


「いいこと?宮原夕陽。アンタ、私とカップルのフリをしなさい。しばらくの間、それも全校生徒全人類に見せつけるように」



 カップルの────フリ。



「え...なんで」


 俺はおそらく、はと豆鉄砲まめでっぽうを食らったような間抜けな顔をしていることだろう。


「深い詮索はしないでもらえるかしら。ただアナタが利用しやすそうだったから選んだだけよ」

「...はあ」


 ...うん。驚いてるし今でも状況はよく分かってないけど、合点はいった。


 つまり。察するに彼女は、俺の事が好きでもなんでもないと。しかも『利用しやすそう』とまで言っていた。


 なるほどなるほど、期待した俺はうぬれていたのか。そんでこいつはきっと、ウラオモテがあるタイプの人間なのだ。

 さっきの自己紹介の口調や、いつもテレビとかで見る明るいキャピキャピした感じのキャラクターが表の顔で。


 こっちが───裏の顔。


「おい、わかったかしら?宮原夕陽」


 俺がこの月見里やまなし咲耶さくやという人間についての考察を進めていると、彼女は顎を乱暴に引っ張って顔を寄せてくる。彼女の指は、氷のように冷たかった。光が全く差していないから、彼女の表情は窺えない。


「...いや、ちょっと待ってくれ。それは君の都合だけで、俺にメリットがないだろ」


「え、は?」


 彼女は「お前にメリットなんて必要?」とでも言いたげに威圧してくる。さすがにひどい。


 でも俺は負けじと続ける。


「君は国民的アイドル『田中さくら』だ。そんなヤツとカップルのフリなんてしたら、俺も相応のリスクを背負わなきゃだろ...ほら、まさに俺が今、指名手配を受けてるように」


「ええ、想像以上に反感を買っているわね...まるで犯罪者。...ぷっくく」


 おい笑うな誰のせいだと思ってるんだ。


「と、とにかく、俺は平穏なスクールライフをエンジョイしたいんだよ。だからこの話は悪いが、断らせてもらおう」


 きっぱりと言ってやった。


 俺はクラスメイトたちに追われるような学校生活なんて、一切望んでないのだ。クラスで一丸となって行事に取り組んだり、その過程でフツーの女の子とお付き合いしたり...そういう青春が送りたい。


 月見里さんは黙って俺の話を聞いていたが、やがて「ふむ」と考える仕草をとった。そしておもむろに口を開く。


「いえ...そうね。メリットなら、あるわ」


 そして彼女は唐突に。


「えっ?......ふおおおおおっ」


 俺に抱きついてきた。


 女の子の体温と心音が直に伝わる。控えめだけど柔らかな双眸そうぼうが押し付けられ、俺は何も考えられなくなる。シャンプーのフローラルな香りが鼻腔びこうをくすぐった。


 ハ、ハグってすごい...胸いっぱいに幸せが広がるんだな...。


「...私と付き合ってるフリしてたらねぇ...毎日アイドルと...こーやってハグしたりぃ...望むならそれ以上のコトも......。ほら、ぎゅ~♡」


 甘い声で甘い事を惑的わくてきに囁かれながら、彼女の抱きしめる腕の力が強まった。暗いからか、余計に胸が高鳴る。


 ああ、あったかい...。抱擁されるのって初めてだけど、もうやばいなこれ。


 俺、このまま死んでいいかもしれん...。


「ま。こーいうことは、人の前でやんなきゃ意味ないんだけどね」


 彼女はあっけらかんと言い放ち、パッと腕を解いた。俺は身体に力が入らず、壁にもたれかかる。ああ、至福の時間が終わってしまった...。


「じゃあ私、大崎先生に用があるから。バイバイ」


 ギイイ、と音がして、月見里さんはロッカーを開けた。扉の隙間から差し込む夕日がまぶしくて俺は思わず目を瞑る。随分と久しぶりに光を見た気がした。


「...なあ......アイドルは恋愛禁止じゃ、ないのか...?」


 俺は息を切らしながら、彼女の背中に問いかける。

 それだけが気になっていた。さっき「詮索しないでくれ」と言っていたけれど、聞かずにはいられなかったのだ。


 だが、彼女は。


「それが狙いなのよ」


 そう意味深につぶやいて。

 それ以上の深入りを許さぬように、矢継やつばやに言うのだった。


「...それじゃ!明日からよろしくねっ!ゆーひくん♡」


 彼女は振り向いて、笑顔を浮かべる。そこにあったのは、俺の営業スマイルを遥かに凌駕する圧倒的な外面そとづらだった。


 明日から俺はどうなってしまうんだ...。


 颯爽と去っていく月見里さんを横目に、俺は座り込んで頭を抱えるのだった。

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