転校生の第五話。

 廊下でのひと悶着が一件落着し、教室でのホームルームにて。新クラス、二年七組である。


「...あー、七組の担任になった...大崎だ...。やべぇ二日酔いの頭痛が...」


 教壇で突っ伏している大崎美紀先生が教師らしからぬ自己紹介をしているが、クラスメイトたちは聞く耳すら持たずにどよめいていた。


 それも仕方のないこと。だって。


 彼女がこの教室にいるのだから。


『おい...あれ、田中さくらだよな,,,』

『顔ちっちゃ...足なっが...』

『黒髪ロング最高...』

『私、清ノ瀬高校で良かった...』


『でも、宮原夕陽もなかなかイイな...』

『俺もそう思う』


 ...最後のは聞かなかったことにしよう、うん。


 ともかく、田中さくらは二年七組の一員だったのだ。どうやら遅刻したらしく、始業式には参加していなかったらしい。


 そして彼女は今、俺の左隣の席で本を読んでいた。席順はたぶん名前順なんだろうけど、『田中』と『宮原』じゃあだいぶ離れてるしな。なんでだろう。


 あと、名簿にも『田中さくら』の名は無かったはずだ。


 ...ま、何の因果かは知らないが、嬉しいことには変わりないね。


 俺が喜びをかみしめている間も物静かな彼女に反し、クラス内の喧噪は収まらずに拡大していた。


「うるせえぞお前ら!二年生になった自覚を持て!!」


 見かねて、副担任に就任したらしい加瀬先生の怒声が飛んでくる。年中タンクトップを着て筋肉を見せびらかせている体育教師。三十路らしい。さっきまで俺とハル先輩を叱ってた人だから、生活指導担当も兼任しているのか。


『うっわ副担、加瀬かよ...』

『汗臭そう...』

『加瀬先生...いや、カス先生...』


 次々に不満を口にする生徒たち。ここの学校、偏差値六十超えてるのに生徒の民度低くない...?


 加瀬先生は顔を真っ赤にして怒り出す。


「おおい!誰だ今『カス先生』って言ったやつ!!前に出てこい!!」

「カス...加瀬先生。大きな声出さないで...頭に響くから......」

「大崎先生はしっかりとして下さいよおおっ!!」

「...うっさいな.......帰りたい」


 ...なんか加瀬先生、不憫に思えてきたな。


「と、とにかくお前ら!順番に自己紹介せい!!」


 ドン、と大きく教卓を叩いて、加瀬先生は悲痛に叫んだ。



* * *



 止まない喧噪の中、名簿順に一人一人前に出て、自己紹介が行われている。各生徒の第一印象が決まるこのイベントでは失敗は許されない。変に笑いを取ろうとしようものなら、


「中野コウタです!好きなものは女の子でーす!」


『(しーーーーーん)』


 と、このように地獄を見る羽目になるのだ。ド、ドンマイ中野くん。名前は覚えたから元気出してね。


 彼のようにならない為にも、俺はシンプルにいく。数人退屈な自己紹介が続いて、中島、野々原(欠席)、葉山とナ行とハ行が終わり、気づけば俺の番になっていた。


 前に立つと、皆の視線が俺に集中する。うーん、やっぱり緊張するなあ。人前は苦手じゃないけど、人に見られると無意識に身体がこわばってしまう。


「宮原夕陽です。去年の秋頃に転校してきました。先月から、あざれあ荘に住んでいます。気軽に『宮くん』とか『夕陽』って呼んでください。よろしくお願いします」


 軽く頭を下げて、自席に戻る。ふう、噛まずに言えた。


『あいつが...』

『あざれあ荘の五人目...』


 なぜか奇異の視線を向けられたけど。さっきの出来事といい、なぜ『あざれあ荘』という単語に過敏に反応されるのだろうか。


 疑問に思いながら着席すると、前の席の葉山さん...だったかな、が話しかけてきた。元気そうなポニーテールが特徴的な女の子だ。


「宮原くんって、ほんとにあざれあ荘に住んでるの?」

「うん、今年の春からだけど」


 葉山さんは恐る恐る聞いてくる。


「どうやって、入ったの...?」

「え、どうやってって...普通に」


 一緒に住んでたコメディアンの母親が急に海外に転勤することになって、言われるがままにあの変人の巣窟へと籍を移したんだが。


 俺が返答にきゅうしていると、やけに親しげな口調で会話に入ってくる人が。


「夕陽は転校してきたばかりだから、知らないんじゃねえ?あざれあ荘の噂」


 おおう、隣だったのか中野くん。彼は短髪で小柄な体躯たいく、小動物を連想させる風貌である。


 中野くんの助言に、葉山さんはなるほど、と頷く。


「あー、そっかそっか。去年の秋だっけ。高校で転入って珍しいから覚えてる」

「そうそう。文化祭が終わった直後くらいだったから、俺、全然クラスに馴染めなくてさ」


 合唱祭と文化祭でクラスが一致団結したあとに転入したものだから、俺の異物感がすごかった...。休み時間もランチタイムもボッチタイムよ。


 俺が昨年までの煤色すすいろ学校生活を思い出していると、中野くんが目線を前に向けて、耳打ちしてきた。


「転入生と言えば、ほら...」


 少し目を離している隙に、自己紹介は既に佳境を迎えている。


「わ...スタイルすご」


 葉山さんも口に手を当てて驚いている。


 俺たちは会話を切り上げて教壇を注視した。騒がしかった教室は彼女が歩き出した途端に静かになり、居眠りしていた生徒もいつのまにやら顔を上げている。


 今まさに、全生徒待望の。


 田中さくらの自己紹介が始まろうとしていたのだ。



「こんにちはっ!田中さくら...っていうのは芸名で、本名は『月見里やまなし咲耶さくや』って言います。この辺りのコトぜーんぜん知らないから、色々教えてくれたら嬉しいな♪それでは、一年間よろしくおねがいしまーすっ」



 ぺこり、と一礼。



『『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!』』



 可愛らしい小鳥の鳴いたような口調ののち、男子の野太い咆哮が教室を揺らした。立ち上がって手を叩く者、口笛を鳴らす者、泣いてるヤツすらいる...嬉し泣きしているのは加瀬先生かよ。隠れファンだったのか。

 俺は普通に座って拍手していた。うん、まあ。すごく可愛い。可愛いけれど。


「はーい!静かにしーてっ」


『『ハイ!!!!!』』


 田中さくら...もとい月見里やまなし咲耶さくやさんが人差し指を立てて口に当てると、野郎どもはすぐに静かになった。団結力が凄い。ラグビー日本代表かよ。返事も揃いすぎだし。


「最後に一つだけっ」


 神妙な顔つきでそう言って、彼女は俺たちの方を見る...っていうか、俺と目が合ってる気がするんだが。気のせいじゃないよね?


 月見里やまなし咲耶さくやはウインクを一つして。



「私、実は...宮原夕陽くんのカノジョなのです!」



 ...は?


「ね?だーりん」


 突然の芝居がかった宣言に、俺の脳は思考を停止した。

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