危急存亡の第四話。

 田中さくら。


 若者なら誰しも知っている、カリスマアイドル。アニメ以外のテレビ番組をほとんど観ない俺ですら顔と名前が一致しているのだから、相当有名なんだろう。


 先輩曰く、アイドルユニット『Bloom』のリーダーで各メディアに引っ張りだこの彼女、なんと今年で高校二年生らしい。


 つまり、ハル先輩の言っていたことが真実だとするならば、必然的に俺と同学年になるのだ。うーん、情報源が大崎先生ってのが信用できないけど。でもまあアレでも教師だしなあ。


 アイドルにはあんまり詳しくないが、どうせなら同じクラスがいいとは思う。二次元三次元問わず、可愛い女の子は人を幸せにするものだ。

 そう。少し期待していたのだが...。


 それらしき人物が見当たらないんだが!?


 今は始業式が行われた体育館から新クラス、二年七組への移動中である。新クラスの名簿にも彼女の名は無く、式中もずっとキョロキョロ周りを見渡していたが、カリスマアイドルの影はやはり無かった。


 あと生徒がザワザワしたりもしていなかったし。有名人が転校してくる予兆的なものすら無かったのだ。あ、探してる途中にハル先輩と目が合って手を振られたけどそれは無視した。


 くそ、所詮しょせんは大崎の戯言ざれごとだったか...。どうせ酔っぱらって、ハル先輩に適当吹き込んだんだろ。


 我が二年七組の担任を受け持つことになったらしいダメ教師に半ば呆れながら歩いていると、突然後ろから声を掛けられた。


「なあ。もしかして...お前が、宮原夕陽か?」

 

 振り向くと、おとなしそう男数人がこちらを見ている。うっわ、俺があんまり関わりたくないタイプの人間だ。あと人に名前を尋ねるときは自分から名乗れ。


 てか、なんで俺の名前知ってるんだよ、怖いわ。


 しかし俺は優しいので、さわやかに笑いかけて応じる。鏡の前で練習した最強の営業スマイルだから、彼らの目には好青年に映るはずだ。


「ええ。そうですが」


 そうして俺が首肯しゅこうした途端である。なぜか辺りの廊下が喧噪けんそうに包まれた。声をかけてきた彼らを筆頭に周囲の生徒たちは俺をチラチラ見ながら、コソコソ聞こえてくるのは俺のあらぬ噂等々。


『あいつが宮原夕陽か...』

『ああ、去年の二学期に転入してきたっていう...』

『あざれあ荘に住んでるなんて、なんとうらやま...気の毒に...』


 ねえ、だからなんで知ってるの...?俺ってそんなに有名だった...?


『気の毒なんかじゃねえ...あいつ、我らが女神、藍園ハルとデキてる』

『そうだ...どうします隊長?』

『シケイダ』

『『殺す』』


「誤解だっ!」


 何!?何その噂!?怖い怖い!


『我らが藍園ハル親衛隊!女神ハルの名のもとに、身の程を知らずに女神に近づいたとがによって審判を下す!』


 ガリ勉風の生徒が眼鏡を押し上げ、物騒なことを叫んだ。


 藍園ハル親衛隊、実在したんだな...。と、感嘆している場合ではなく。

 どこからともなく現れた生徒たちが俺を取り囲んで、にじり寄ってきていた。うわ、上級生もいるし。殺気立っている彼らは『コロス』と一心不乱に唱え続けていた。


『コロス、コロス...』


 あっ、もしかして。今朝の出来事(モノマネ事変と呼ぶことにする)に尾ひれがついて広まったのか。これはこれは...最悪だ。うん...めっちゃ動画撮られてたしね。そりゃ拡散されるわ。


 俺は誤解を解くために政治家の街頭演説よろしく声を張り上げる。


「ハル先輩とはただ同じ寮に住んでるだけで!決して!やましい関係ではございません!」


 だが、彼らの耳には届いていない様子だ。やばいやばい。こいつらどうかしてる。さっき隊長って呼ばれた人なんか、白目むいちゃってるし。


『コロス...』

『コロス...』

『コロ...あら?意外と可愛い顔してるじゃない。俺...タイプかも♡』


『『俺も』』


 最後の野郎どもが一番怖えよ!


 ともかく、俺の身が二重の意味で危険な状況に置かれていることは疑いようもなかった。


 どうするか...聞く耳を持たない彼らには、使うしかないのか────拳を。いやでも人なんて殴ったことないしな。『非暴力・素直に服従』が座右の銘の俺です。


 そうしてイカれた男衆の中心で、心の中のガンジーと相談しているときであった。


 窓から吹き込んだ一迅の風。



「邪魔よ」



 決して大きくはないけれど、よく通る声が廊下に響く。凛としていて、有無を言わさぬ迫力があった。


 親衛隊らの目から狂気の色が消え、彼らはその声の主を凝視していた。


「ど・い・て♪」


 声色が変わって、今度は向日葵の咲きそうな暖かみのある可愛らしい語り口調。


『『は、はいぃぃぃいいっ!!』』


 聞き分けのいい子供のように、大きな返事をする親衛隊諸君。隊長なんてもう、目がハートになってしまいそうなほどにとろけている。

 それも仕方ないだろう。颯爽と、されど優雅に歩き去っていく彼女こそが。


「...うひ君」


 『田中さくら』だったのだから。


 ふう、助かった...。


 信じがたい話だが、この目で見たのだから疑いようもない。彼女は本当の本当に、清ノ瀬高校に転入してきていたのだ。


 気のせいかもしれないけれど、去り際に俺と目が合ったような...めっちゃ可愛いかったな。さすが芸能人、って感じだ。


 彼女の艶やかな黒髪の残像を目で追っていると、何やら親衛隊が揉め始めた。


『隊長!見損ないましたよ!ハル一筋とか言ってたじゃないですか!!』

『そうだそうだ!この浮気性が!』


『うるせえ黙ってろっ!!我はここに、『田中さくら親衛隊』を結成する!!』


 ...うん、それは心底どうでもいい。

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