祝福の星

 夜が明けゆくのを眺めながら、土手に寝転がって今にも消えそうな星を数える。夜露に濡れた草がしっとり耳元で揺れていた。昇る朝日を待ちかねているかのように、せせらぎも足元でもうはしゃいでいる。

 その昔、あの輝く星の一つからボクらの救世主メシアはやってきたという。本当かどうかなんてもう誰も知らない。それほど皆、バラバラになってしまったし、なることでどうにか安寧を手に入れていた。村で一番偉い識者も積み重ねてきた「知」を知るのは言葉ではなく、その身で行う時だと教えている。

 そしてボクにも、ついに行う番は訪れていた。何しろボクらはひとたび救世主の助けを借りねばならず、必要とする村はあの日をさかいに欠片も穏やかではない。無知でなんていられはしなかった。

 あれはボクがまだ父さんに肩車されていた時のことだ。ボクの父さんでさえ見たこともなかった敵は空を覆って、ボクはその不気味な影を父さんの肩の上で見上げていた。見上げて救世主の言い伝えがおとぎ話でなかったことを、忘れて無邪気に親しんできた自分を恐ろしく感じたことを覚えている。

 けれどボクはもう、あの頃のちびっ子なんかじゃなくなった。

 十五を迎え、成人の儀式も終えたところだ。

 だから夜が明けると空挺団へ入隊することもまた決めた。儀式を終えて大人であると認められれば空挺団へ入ることは自由だったし、年頃になった若者の話題はといえばこの重大な決断でもちきりだったのだから、ボクも幼馴染のヤンドサも顔を合わせるたびに話し合うと二人して決めたのだった。

「やあ」

 声がして目玉を空から裏返す。頭の方、土手の高い位置からヤンドサは、こちらをのぞき込むようにして立っていた。

「やあ、おはよう」

「おはよう」

 挨拶はいつものとおりだったけれど、どこかぎこちなく感じられてならない。

「眠れなかったのかい?」

「眠れなかったよ。初めて敵を見た時みたいだ」

 ボクは言い、ならヤンドサはハハハ、と笑ってボクの傍らへ降りてきた。

「これからイヤというほど見られるようになるよ」

「そうだね」

 そうしてボクの隣へ腰を下ろす。ボクも肩を並べるように、寝転がっていたそこから身を起こしていった。

「敵は、恐ろしいものだろうか」

「そう見えたね」

「いや、ボクはおじけづいてやしないさ」

 うっかり口にしてしまったようで急ぎボクは付け加える。

「キミを臆病者だなんて言うヤツはいないよ」

 顔をチラリ盗み見てからヤンドサは、三角に立てたヒザを引き寄せて小さくなった。こんな具合にヤンドサは、昔から人の気持ちがよく見える優しい友人だ。ボクはまたその助けを借りて空を仰ぐ。

「どこの班に配属されるのかなぁ」

「どこだろうねぇ」

 空挺団に申し込んでも好きな配置にはつけないことになっている。持ち得る「知」を適正として見極められた後、しかるべき場所に配属されるのだ。

 想像してボクらはしばしあてもなく黙り込んだ。やがてヤンドサが「でも」と口を開く。

「どこに配属されようと、救世主の残した魔術が僕らを守ってくれるよ。それ以上、僕らを強くしてくれる」

「言い伝えではそうだったね。重い雲を追い払って青空のもと世界はひとつ、手をつなぐんだ。再び集結させた英知で循環する風に乗ったなら、村から遠く離れた知らない場所へ出掛けてそれから、たらふく美味しい料理を食べるんだ」

 とたんヤンドサがプププと吹き出した。

「なんだよう」

「いや、なんでもないよ。ただ食いしん坊だなぁって」

「なにおぅ」

 言うものだから、ボクらは少し取っ組み合う。笑い転げて夜露に尻を湿らせた。と、夜は明けて川面に一筋、光は差し込む。眩しさにヤンドサもろとも振り返れば、地平を割って陽はむくむく顔を出していた。

「朝だ」

「奇麗だね」

 言葉にボクはひとつ、うなずく。

 これまで何度も見てきたはずの日の光が今朝は、まるで違って見えていた。

 照らし出されてヤンドサとそのわけを探す。

 けれど見つけ出すその前に、ずっと川上にある丘の上の教会で鐘は鳴った。渡る音にボクもヤンドサもはっ、と我に返って顔を見合わせる。

「行こう」

「うん」

 立ち上がって土手を駆け上った。なら小高い丘の上、朝日を浴びて白い塔へ半分、影を落とした教会は目に飛び込んでくる。空挺団の受け入れはそんな教会で行われており、始まりを知らせる鐘の音に、聞きつけたボクらと同じ大人になりたての志願者はあちこちから姿を現していた。

 近づくほどにその人影は群衆となる。

 教会前の広場ではもう大変な人だかりを作っていた。

 広げられた机の前で年令と名前を告げ、神父様から祈祷を受ける。

 終えた者から順に決意に変わりはないか、最後の確認を終え、空挺団の紋を授かる列に並んだ。

 この先、紋を授かれば後戻りはできない。イザとなれば家族さえ放り出して船に乗り敵と戦わねばならなくなるのだ。けれどボクに迷いはなかった。どんどん短くなる列で順番を待ちながら、ただ鼓動を早くする。

 少し離れた別の列で待つヤンドサが、そんなボクへ時々手を振り返してくれていた。そうやって気遣ってくれるのがヤンドサなのだから、きっとボクは怖い顔をしていたのだと思う。

 できれば花形、戦闘機乗りがいいなと思っていた。いや、じゃなくとも精一杯、働ける場所ならどこでもいいやと思いなおす。

 前にいた最後の一人が魔術師エクストリームから紋を授かっていた。細い針をあてがうと、唱える文言が肩へ次第に不思議な線を浮かび上がらせてゆく。魔術師は浮き上がったその形で特性を見分け、すぐにも志願者を様々な役割へと振り分けていった。

「給仕班。次」

 ボクの番だ。

 少しでも勇敢な心構えで、ふさわしい紋をもらおうと意気込む。

 そんな僕を前に魔術師は、額へ手のひらをかざすと呪文を唱え、まくり上げたボクの腕に同じ細い針をあてがった。流し込まれる感覚はこれまで感じたことのないもので、内側からボクを変えようとしている力にボクは思わず、むうう、と呻く。なら青い紋はシュウウ、と光をまといつかせて浮かび上がり、やがてその色を深くボクの肩へ染み込ませていった。

「機関班。次」

 少し熱い。

 その熱は、指先をじんじん痺れさせてもいる。

 皆と同じに先を進み、ボクは手渡された機関班の制服を受け取った。底に薄いゴムの貼られた柔らかそうなシューズと、袖ぐりが大きく開いた襟付きのシャツ。その前身ごろには空挺団の刺繍が誇らしげとあしらわれ、バミューダパンツの尻には金色のリボンがボクの紋の形に似せて縫い付けられてあった。

「あ、おうい!」

 見とれかけてヤンドサに気づき、ボクは大きく手を振り上げる。声にヤンドサも支給された制服を手に、駆け寄ってきた。

「ボクは機関班だったよ、ヤンドサは?」

「僕は」

 言ったヤンドサは真っ白いコートをボクの前に差し出す。

「医療班だって」

 聞いてボクはヤンドサにぴったりだと思っていた。

「すごいじゃないか」

「そうかな」

「不服なのかい」

「だって、戦闘には出ないだろ」

 すぼめた口でうつむくヤンドサは申し訳なさそうだ。

 その背をボクはすかさず叩きつける。

「そんな顔するなよ。これから世話になるぜ。ヤンドサが医療班ならボクは何が起きてもずっと安心だ」

 それからボクは一縷の狂いもない漕ぎ手になるため、訓練を始めた。

 ヤンドサは医学を学び、やがてボクらは実践へと繰り出していった。


「だいぶひどくヤラレタな」

 ボクの前にヤンドサがひざまづく。救急バッグから手早く脱脂綿を掴み出し、パックされたそれをビリリと開いた。皮の剥けたボクの手へやさしくあてがう。

「何もかも足りない。負担が増すばかりだ」

「ちょっとしみるぞ」

「つ、おーっ」

「大げさな声を出すな」

「まさか。ところでパダラックはどうだったんだ」

 最後の敵機を撃ち落としたエースは、しかしながら傷を負っていた。

「大丈夫だ。エースは紋からして違う。彼の命は紋も守ってくれている」

 言う間にも手際よく包帯を巻きつけヤンドサは、もうその端を器用に結んでいる。

「救世主のご加護か」

「ああ実際、僕たちはよくやっている」

 処置に無駄な動きはなく、手早くバッグを閉じたヤンドサはボクの前から立ち上がった。

「終わらない戦いは厳しいが、終わらない限り負けはしない」

 言うその顔を見上げてボクは拳で、肩の紋を叩き示す。

「この星に祝福を」

「術を蘇らせた英雄に感謝を」

 ヤンドサも敬礼を投げ返していた。重たげなバックを担ぎなおすその背中がしなる。次の患者へ向かう後姿をボクはただ見送った。

 キャンプの火が海風に大きく揺れる。

 やがてヤンドサは見えなくなり、ボクは仰向けと浜へ寝転んだ。なら空はカンバスと広がって、そこに透けるような星々を浮かべる。端は淡くほころぶと、もうすぐ夜が明けることを教えていた。

 いつか見たあの朝日が見たい。

 ふと思いに駆られる。

 かつてそこにボクが探していたものはと言えば、きっと希望だ。今なら見つけられると思えていた。

 なら答えて昇りくる朝日が大海原へ光を投げる。ぶちまけられた光は水面で跳ねると、暗かった空へ散ってきらきら七色と彩っていった。大胆にふるうひと筆で、眩いばかりに暗黒を塗り替えてゆく。煌めき世界が今日も音を立てずに変わっていこうとしていた。

 祝うほかない。

 それは言い伝えにある最後の言葉だ。

 術師が文言を唱える時のように、言葉はボクの口からもれ出す。

 そう、受け入れぬまま変える事こそ成し難く、こうして共にあるボクらはすでに祝福に溢れていた。

 全ての困難をこそ祝うほかない。

 少し鼻の奥がツンとしていた。

 隠してボクは砂を掻くと身を丸める。

 あとわずかで船出の時だ。

 海風に混じり誰かの鳴らす口笛が、救世主のメロディーを奏でていた。

 メロディーはそう、あいりっしゅだ。

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すこし引っ越す N.river @nriver2

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