First flight at 5 AM

 やあ、きみのことは聞いていたが、今日この知らせを耳にすることが出来て本当にうれしく思っているよ。

 ちなみにこちらはまだ夜だ。

 暖かなそちらとは違い夜の風は身を切るように冷たいが、もう慣れてしまっているからどうってことはない。それに日が昇ればいくらか過ごしやすくなるだろうから心配こそいらない。

 今頃きみは一体、どんな顔をしているだろう。

 想像するとわくわくするよ。

 そう、この際いい機会だからしておこうと思う話がある。

 なれそめってやつだ。

 何しろこんな時代だからね。僕らの出会いは奇跡と言っても過言じゃなかった。そりゃあマッチングサイトだなんて、軽薄な雰囲気がするのは分かっている。けれど残念ながら、それが普通なのだからガッカリしないでくれ。たいていの若者は利用していて、珍しいことでもなかったのだから後ろめたい気持ちひとつなく僕も、きっと彼女も参加していたのだと思う。

 実はデータはそれほど高確率でマッチしていない。いわゆる可も不可もなくってやつだ。だが、だからだと思わないか? だってのに僕はアプリがもっと勧めてくるどんな女性より不思議と彼女に興味を抱いた。もしやり取りをするようになって、それはとんだ勘違いだったと気づいたところで、そりゃあそうだと思えるしね。

 最初に送ったメッセージは今でも覚えている。

 ハイ、プロフィールを見せてもらってメッセージを。僕はピアノを少し演奏するんだ。

 彼女はフルートをやっていて、学校のブラスバンドで始めたことがきっかけらしい。プロになる事はハナから頭になく、趣味でずっと続けているとあった。世の中がこんなことになる前は町の祭りや子供たちの前で仲間と演奏のボランティアをしていた、とも。

 そのとき彼女が何人とこんなやりとりをしていたのかは知らない。ただ僕への返事は悪くなかったと思う。

 ハイ。始めまして。音楽仲間が増えることは歓迎よ。ああ、でも私たちの演奏を聴いてガッカリしないでね。趣味で続けているレベルだし。

 すぐにどんな曲をやっているのか交換しあった。アイリッシュだと知って予想外だったかな。確かに僕の得意ジャンルでもなかったし。けれどこちらも酔っぱらってジャズメンの真似ごとをする程度だからうまい、ヘタは言えない。完璧なクラッシックならお手上げだったけどアイリッシュならやれそうな気もしていた。

 手始めに音源を送り合っている。

 聞いて、回線を通しセッションをすることになった時、初めて動く彼女をこの目で見た。

 さあて、向こうはそのとき僕を見て何て思ったのかな。そういえば第一印象というのはこの場合、どの地点を指すのだろう。

 ともかく彼女はプロフィールに貼られた自意識過剰なあの写真よりも、緊張した少し恥ずかし気な笑みを浮かべる画面の向こうの彼女の方がずっと自然で素敵だった。

 あ、この人。

 そのとき僕が感じたことは忘れない。それはとても穏やかで、ドラマのように大げさな衝撃なんてないささやかな気づきみないなものだった。

 キーだけを決めて三十分くらい演奏したと思う。

 知ってるかい。

 リモートだと、とても呼吸が読みづらいんだ。そりゃあその道のプロなら問題ないかもしれないけれど僕らは素人だ。同じ舞台に上がって近くに存在を感じていないと次が読めない。タイミングが合わなくて演奏が空中分解してしまうほどなんだ。

 でも閃きが僕を楽観的にさせていたと思うね。やり辛かったのは最初だけだ。でなければその後の話はなかったことになってしまう。

 週に一回程度だったかな。リモートセッションは続いた。時に彼女の仲間も交えて。自由気ままで楽しかったし、アイリッシュ以外の曲も結構やったんじゃないかと思う。僕らは昔からの知り合いのように気が置けない、そんなくつろいだ時間を過ごせていた。気分が乗らない時はただ話をするだけに終わった日もあるくらいで、プロフィールに書かれている以外を知ったのはそんな日のせいにある。おかげで彼女の作った弾丸を僕が昼間、敵へ放っているらしいことも知れたってわけだ。

 そしてその日は突然やってきた。

 そんな敵はあろうことか、彼女の両親を永遠の彼方へ葬り去った。

 さかいに全ては変わっている。僕たちの間から音楽は消え、無力感に襲われ彼女は仕事を手放した。続いていたやり取りから映像が失せ、文字も次第に短くなると、ついに文字さえ送られてこなくなった。

 僕らの関係は完全に沈黙した。

 心底、心配したね。

 それでもこちらから何度もメッセージを送り続けたよ。

 けれど一人でいたい時だってあるだろう。

 いや、今はまだわからなくていい。

 確かなことは、多すぎる言葉はただの毒だってことだ。

 じゃなくとも僕らはすでに、表で毒に晒され続けている。

 飲ませるくらいなら僕は録音した曲を彼女へ送ることにした。

 もう返事は来ないかもしれない、とね。

 予感は的中で、代りに昼間、敵と対峙し、彼女が作っていた弾を放って夜、疲れて眠りにつく日々を送った。あの頃の僕はピアノの事も忘れて過ごしていたと思い出す。状況も状況なら、ひどいもんだった。今だからこそ、そう振り返られるわけだけど。

 その日は雨が降っていたはずなんだ。湿気と混じった消毒液がイヤなにおいを漂わせていたから間違いない。そんな日、長らく沈黙していたフォルダーへ連絡は来ていた。

 彼女からだ。

 驚いたさ。眠気も飛んで、僕は深夜に飛びついたよ。

 届けられたのは音声ファイルだけだった。

 再生すれば聞き覚えのあるピアノの曲は流れて、僕はすぐにもそれが僕の送った曲だと気づけた。

 どういうことだ、と思ったそのときだ。

 フルートの音色はそこへ重ねられたんだ。

 どう言ったらいいんだろう。いや、一言でいうならひどい有様だ。楽しくやっていた時とまるで違う。音色が全てを語っていた。懸命に絞り出していることも。そうもひどく痩せたことも。本当はそのことを伝えたい、ってことをためらっていることも。説明なんてされるよりも耳にしたとたん目に浮かんでどうしようもなかった。それでも返事をくれた彼女を思い、ただ胸が締め付けられたほどだ。

 最後に、ありがとう、と声は聞えていた。

 ピンと来たのはこれが二度目だね。

 会おう。

 僕はすぐさま打診した。

 そんな僕らの間に特別なものがあったかと言えば、きっとない。あるとすればどこにでもあるもので、それが愛なんじゃないかとそのとき初めて過ったくらいだ。

 受け入れ彼女の寄越した住所は、驚くほども遠くなかった。ただ来月、驚くほど遠い場所へ行ってしまうことをそのとき僕は知らされている。敵は彼女にも巣喰っていたんだ。僕らと同じ暮らしができないなら、ここを離れてあの地球へ向かうというのさ。それはもう死を宣告されたも同然だった。

 昼間の仕事に代わりはいる。

 代えられない「時間」を僕は優先させた。

 おかげで初めてこの手で彼女に触れた時は、僕の方こそ安心したものさ。

 恐れて誰も会いに来てくれなくなった。

 背を震わせて泣く彼女に、昼間の手柄を僕はいくらも聞かせている。

 リモートする必要はもうないんだ。僕らは彼女の気分がいい時に部屋のキーボードと彼女のフルートで演奏した。もれる音に時々、家をのぞき込んでくる人と目が合ったけれど関係ないって具合にだ。

 リモートであれだけやれた僕らは息もぴったりさ。そうして思い出せたのは昔だけじゃない。張りのなかった彼女の音色も、終わったあとの表情も、始めるとき合わせる目もだ。泣き崩れていたあの日とは別人のように変わってゆくのを、とにかく僕は嬉しく眺めている。

 そうして僕らは敵がいることを忘れた。

 忘れなければ、その日が来ることに怯えなければならなかったからかもしれない。

 そして恐れを思い知った最後の日、僕らは小さなベッドで結ばれた。

 彼女はもうここを離れてしまったけれど、何にだって間違いというものはつきものなんだと今ならなおさら信じられる。もしかするとこれもその類なのかもしれないんだよ。けれどいったん地球に住んでしまえば知っての通り、そう簡単に戻ってこれない決まりがあるのだから仕方ない。

 出発は午前五時だ。

 この十カ月で僕は全てを片付けた。

 後悔なんてしていない。

 備えて購入した機の名前はまだだ。なぜって、この機にはきみと同じ名前を付けるつもりでいるからさ。

 そのためにも早くこいつで地球へたどり着きたいと思う。


 生まれてきてくれてありがとう。

 

 これが僕らのなれそめってところだ。

 さて、長話にもう夜が明けそうじゃないか。

 いざママのところへ初飛行としゃれこもう。

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