空の船
大胆な旋回に船が軋む。
船底に響く術師の声が大きさを増し、呼応してボクらの肩に刻み込まれた紋章が櫂を漕ぐ手にさらなる力を送り込んだ。
「耐えろ、次の雲が来るぞ」
術師の隣、潜望鏡を覗いていたキャプテンが声を張る。
この船が落ちてしまえばもう後はない。第一艇は術師損傷。第二艇は船底をやられ、第三艇は雲にのまれた。だからして全身をバネにして身の丈以上の櫂を振り上げる。残るボクらは荒れ狂う空で死に物狂いと船を進めた。
「左舷後方、敵機飛来。機影、七」
村が襲われたことに理由も前触れもない。ある冬の終わりだ。空は流れ来る雲に覆われ、紛れて無数の機影は姿を現していた。雲は砂かとまるきり重く、そんな雲と機影は豊だった村を襲い、人々を恐怖で覆って苦しめ、健やかな日常だけを奪っている。
だとして、いいようにされて黙っておれはしなかった。だからすぐにも
志願したボクらは魔術師らの口から紡がれる文言の受け皿だ。魔法のかかったその手で櫂を握り、空を漕いで船を飛ばすと襲い来る敵を追い払う。
だがこの戦いが始まってからというもの、旗色はずっとよくない。
「七かッ」
汗にまみれ漕ぎ続けるボクらの頭上を監視員の声は飛び越え、受け取ったキャプテンが潜望鏡から目を離すと振り返った。無精ひげをまぶした口元はとたん苦々し気に歪められて決断は絞り出される。
「仕方ない」
と旋回から態勢を立て直しつつあった船体へ「次の雲」が予告通りとぶち当った。重い衝撃がどうん、と船全体を揺るがして、軋む船底で術師がよろける。押し寄せる雲は櫂の自由をたちまち奪い、のみならず砂がごとく荒い粒子で鷲掴みにして飲み込み船体を横倒しにしていった。
「浮上、浮上ッ」
指示するキャプテンが潜望鏡にぶら下がり繰り返す。
ボクらも肩をぶつけ合うと踏ん張り呻き、雲に抗い船を立て直しにかかった。
その力が辛うじて雲のそれと拮抗する。
「甲板が雲を切ったところで戦闘機を射出ッ」
見切るキャプテンはいつも正しく、船底の小さな丸窓に押し付けられていた雲もボクらが船を立て直しつつあることを、流れる落ちる向きを変えて教えていた。
「三機同時、備えろッ」
声にボクらも気合を入れなおす。何しろ三機同時ともなればその反動は凄まじい。支え切れなければ射出された機こそ失速してしまう。
丸窓の向こうを滝と流れ落ちていた雲が透けつつあった。
途切れて眩しいほどの光が差したそのときだ。櫂が自由を取り戻す。船首が重い雲を割ったとをボクらへ伝えた。
「三」
キャプテンのカウントダウンに皆の気が集中する。術師の声量もまた増して、発光した紋もボクらの肩で揺らめき光った。その揺らめきに呼吸を合わせ、ボクらはいっそう櫂を高く振り上げる。
「二」
疲れはもうマヒしていた。
「備えぇいッ」
頭上の物々しい作動音は甲板のカタパルトだ。
「射出ッ」
合図と共に空を切った櫂を雲へ、重い砂の中へと突き立てた。
瞬間、ごうっと風切る音はこだまして、櫂へと前へ吹き飛ばされそうなほどの力はかかる。全身で押さえつけ雲をかけば、船は小刻みと揺れて遠く近くで悲鳴は上がった。
臨界を越えた漕ぎ手の腕だ。
千切れて次々飛んでいる。
「出力低下。救護」
目もくれず術師は文言を唱え続け、見やったキャプテンが指示を飛ばした。残されたボクらの腕へさらなる重みはのしかかり、ボクの肩でも破裂しそうに熱を帯びた紋が揺らめく。
乗せる船の傍らをやおら影は一筋、過っていった。今しがた射出された機だ。雲を裂いて飛んでゆく。三機のうちの一機はパダラック機らしい。エースが放たれたとなればもうこちらのものだとしか思えない。
「仰角三十二。左旋回ッ。本船は戦闘機を援護ッ」
見送る目は釘付けになって、キャプテンの声に頬を叩かれていた。応じる術師が両足を踏ん張りなおし、紡ぐ文言の速度を上げている。ボクらもすかさず、おお、と返し、あらん限りの力を櫂へ託した。重い雲の上を目指してこれでもかと、まだ雲に残る船体を押し上げにかかる。
紛れ込んだ雲が砂かと、どこからともなく船底にまで降っていた。
浴びて旋回すれば、丸窓から差し込む光が角度を変えてゆく。
「前方、五百ッ。射撃、開始ッ」
旋回のアールなら遠心力でおおよそが読め、唸る主砲が積み込んでいた弾薬を頭上で次々消費していた。すでに三機、吐き出したせいだ。見る間に櫂は軽さを取り戻して、身軽になったボクらはまといつく敵機を避けて右へ左へ、時に上へ下へ船を操る。敵機の弾幕をかいくぐると、擦り切れた手のひらから血を滲ませ砂の散らばる空を駆けた。
それは五機目の敵機を援護の砲弾が撃ち落した時だ。
「右舷、機影、急接近、急接近っ」
監視員から悲鳴のような声は上がっていた。
「回避ッ」
キャプテンは指示するが、そこに敵機のエンジン音はもう重なっている。衝撃は雲を食らった時と違い華奢で、引き裂かれてゆく船体の鈍い音がビキビキと断続的に鳴り響いた。
体当たりされたのだ。
過った瞬間、炎の上がる気配は頭上で広がる。キナ臭さは船底にまで漂って、どれほど危機が訪れようと動揺することなかったボクらの間にも恐れおののく声は飛び交った。
「手を休めるな。落ち着けッ」
一喝するキャプテンが甲板へ消化活動を指示している。
「本船はただいまより緊急着陸態勢に入る」
いくらか正気を取り戻したボクらへも告げて、続けさま戦闘機へ無線をつないだ。
「パードラックッ」
「大丈……だ。残り一機……俺が仕留……る」
途切れ途切れの返信は、しかしながら頼もしい。
「総員、降下開始ッ」
無線を戻したキャプテンが、大きくボクらへ腕を振り下ろす。
消火が進んでいるのか、頭上からパチパチ燃え盛る音に混じって水が滴り落ちていた。濡れた櫂が聞き慣れない音を立て、煙にむせる術師の顔はもう真っ赤となっていたが文言だけは途切れることがない。応えてボクらも最後の力を振り絞る。
ガガガ、と受けた衝撃は、船のどこかで何かが吹き飛んだせいだ。
船体は揺れ、揺れながら高度を落としてゆく。下界を覆う厚い雲の中へと、そうしてボクらは突っ込んでいった。
丸窓へ、再び雲が砂と吹き上がる。
覆い尽くされ空気さえこもる船底に、体当たった敵機のもげる音が不気味と響いた。
ボクらは櫂をしまい込み、キャプテンの読み上げる高度へただ耳を澄ませる。
その数値が八百を切ったところで、ついに丸窓から光は差した。
キャプテンの合図にためらいはない。
合わせてボクらも突き出した櫂で再び空を捉える。
船体が安定しないのは損傷が激しいせいだ。
漕いで、よれながらも地上を目指す。
傍らをパドラック機が撃墜したと思しき敵機の残骸が、雲を突き抜け降っていった。残骸は青々とした丘をえぐって地に刺さり、それすらやり過ごしてボクらは地上を目指す。これでも総勢五百名余りが乗り込み、五機の戦闘機を搭載できる母艦だ。着陸する場所はどこでもいいというわけではない。
「高度、七百」
だが唱えるキャプテンはすでに程よい場所を視界にとらえている様子だった。
「出力半減」
従い術師も文言を変える。
「五百、四百……」
船底にいてもぬるむ空気は感じとれ、丸窓へやがて緩やかな地平は映り込んだ。
瞬間、船底が地面を捉える。
着地の勢いに体は前へ放り出され、踏ん張り誰もが櫂を掴んで身を丸めた。前でキャプテンも潜望鏡へしがみつくと、術師など吹き飛ばされたきり壁にはりつき目を見開いている。
乗せたまま船底は地面をえぐり、滑り続けた。
轟音響かせ幾度か跳ねる。
持ち得るエネルギーを放出しきるにどれほどか。
船首を地面に埋めると、やがて動きを止めていた。
「緊急着陸、完了。動力停止」
打ち付けた壁に背を添わせたままだ。キャプテンの声に術師が初めてその場へへなへな、座り込んでいった。
ボクらが着陸したのは海を前にした浜辺だ。
ともかく怪我人を運び出す。
雲へ突っ込んだことでだいぶと火はおさまっていたが、まだくすぶるそれを海水で最後まで消し止めた。
漕ぎ手のほとんどは腕をやられ、そうでなくとも皆ひどい有様だった。術師も喉をやられたらしい。浜で横になったまま動こうとしない。
見上げた船は砂にまみれ、船尾付近に突っ込んだ敵機を食い込ませていた。そんな敵機はもう原型をとどめていなかったが、甲板の大穴はボクらに衝撃の凄まじさを教えて止まない。
と、目指して空から戦闘機は飛来していた。
音に手をかざし、パドラック機だと知れてボクらは子供のように同じ浜の片隅に着陸した機へ駆け寄ってゆく。
キャノピーを開き降りてきたエース、パドラックの笑顔は眩しく、すぐにもボクらへ最後の一機もまた撃墜したことを教えてくれていた。だがそんなパドラック機もまた片翼に風穴をこしらえている。エース本人も胸から血を流すと無傷ではなかった。
そう、ボクらは勝ったが、辛うじてだった。
今、資源は乏しく、人員も明らかに不足している。
それでもボクらには守らなければならない村があった。不安にさせてはいけない人々がいた。そしてボクらが音を上げれば戦えない人々がボクらの代わりを務めることもまた、知っている。させることこそ敗北で、何があろうと笑いながらボクらはこの場を切り抜けるしか術はなかった。
野営の火を前に、浮かび上がったボクらの顔をキャプテンは見回してゆく。
「明日、日の出と共に再浮上を試みる。力になれないと思う者は名乗り出よ。なるべく船体を軽くしたい。ここに残り、迎えを待て」
ボクたちが仲間なのではなく、使命がボクたちを仲間にしていた。だから村のためにもボクらは皆で朝を迎えることを決める。
飛び立つ船は傷だらけだ。
だとして笑えるくらいの余裕なら、まだボクらには残されている。
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