エピローグ
昼食を摂っているうちに、村長夫妻に感じていた緊張はいつの間にかほぐれてきていた。
すると今度は、二人に聞いてみたいことがあったのを思い出し、せっかくなのでこちらから話題に出すことにした。それはずばり…………リーズさんとアーシェラさんの馴れ初めのこと。
稀代の勇者様とそれを支えた謀略家の、甘すぎる恋模様を描いた演劇が最近巷で流行っていて、あの話はどこまでが本当なのかをぜひ知りたかった。
「そっか…………もう劇になっちゃったのか。アンチェルってば仕事が早いなぁ」
「えっへへ~、なんだかちょっと恥ずかしいね。でもせっかくだから、リーズが教えてあげるね♪」
馴れ初めの話と聞いた夫妻は、流石に気恥ずかしいようで、特にアーシェラさんは先ほどまでの余裕はどこかに行ってしまい、顔を真っ赤にしてしまっている。リーズさんも同じく頬を赤く染めているが、こちらは「よくぞ聞いてくれた」と言いたげなほど嬉しそうだった。
「演劇だと、確かリーズがシェラをこの村まで追いかけてきたってお話になってるよね? それは一部本当かな? あの頃のリーズはね…………勇者の責務に真面目になりすぎて、自分で自分を追い詰めていたの。それに、世界で一番大切なシェラのことを無理やり忘れようとして……………でも、リーズはあきらめられなくて、人との約束を破ってまでシェラに会いに来たの。今ではこうしてラブラブだけど、結婚するまでは本当に色々悩んで大変だったんだよ」
有名な劇団が演じているリーズさんとアーシェラさんの物語では、リーズさんが無理やり所有物にしようとしてきた王国から逃げてきて、アーシェラさんが知恵を絞り、最終的に二人の愛が強大な権力の魔の手をはじき返すというものだった。
この劇によって、勇者リーズもまた等身大の女性であり、好きな人に恋するのだと理解されたし、今までほとんど名前が知られていなかったアーシェラ村長の功績も、急速に脚光があたるようになった。
「リーズはね…………本当は、勇者様なんて言われるほど心が強くなかったの。シェラがいなかったら、リーズはきっと、今でも王国の言いなりになって、自分のことも自分で決められなくなっていたと思う。そんなリーズの手を取って、抱きしめて撫でてくれて、立ち直らせてくれたシェラには、今でもすごく感謝してるわ」
「僕の方こそ、リーズと別れた後はほとんど自分のやるべきことを見失って、この世から消えてしまいたいくらいだったんだ。この村も、もとはと言えば一度リーズのことをあきらめてしまった僕が、すべてから逃げるために作ったものなんだ。でも、リーズがいてくれたからこそ、僕はもう一度前を向くことができた……………僕は世間で言われるほど強い人間じゃないけど、リーズがいてくれればどこまでも強くなれる気がするんだ」
劇でも、世間の噂でも、二人はそれこそ完全無欠の超人のように思われている。
けれども私が改めて受けた印象は、結局のところ彼らにも弱い部分があり、それをお互いの力で補い、よい部分は高め合っているということだ。
車輪は片方だけでは用をなさないように…………この二人はお互いの存在をお互いに依存しあう、一歩的が得れば危険であるが、それゆえどこまでも強くなれる関係なのだろう。一人同士ではどうにもならない。だからこそ、二人はお互いを必要とし、結果的に強く結びついているのだということがよくわかる。
だが、ここでリーズさんが逆に質問を返してきた。
「ええっとね、実はリーズたちはその演劇をまだ見たことがないんだけど、リーズとシェラ以外にも登場人物はいるのかな?」
なぜそのような疑問を? と思ったが…………もちろん劇中には、リーズさんとアーシェラさん役、それに敵対する王国側の人間や、村で共に暮らす人たちもいた。………………そういえば、昨日出会ったあのよく笑う人とあまり笑わない人の夫婦は、演劇でも出ていたような? 警備を担ってたあの姉弟も、農場で出会った桃色髪の姉妹も、確か劇の役で出ていた気がする。私としたことが、今まで全く気が付かなかった。
つくづく私は、とんでもない人たちと話していたようだ………
「えへへ、ならよかった。リーズが魔神王を倒したすぐ後の頃のように、リーズとシェラを支えてくれた人たちが、なかったことになるのはもう嫌だから」
「僕たち二人は元々恋愛には初心だったからね、こうして僕たちが結ばれたのも、仲間たちの後押しがあってこそだった。それに、仲間たちが見守ってくれていると思うからこそ、リーズも僕も勇気が出せたし、信頼関係があったからこそきちんと想定通りの動きができたんだ。そしてこの村がここまで大きくなったのも…………僕たちだけの力じゃない。みんなが頑張ってくれたおかげさ」
「あなたも村の中を歩いて、きっといろんな人に出会ったよねっ! いろんな人がいたと思うけど、きっとみんないい笑顔だったんじゃないかな? この村だって、楽しいことばかりじゃなくて、辛いことも苦しいことも色々あるの。でも、信頼しあえる仲間がいれば、辛いことも乗り越えられるし、楽しことはもっと楽しくなるの!」
そうだ…………村の中で出会った人々は、リーズさんの言う通り、誰もかれもがいい笑顔だった。
今の自分たちの仕事や生活が楽しくて楽しくて……今を気持ちよく生きているという実感にあふれていた。
「なんだかんだ言って、君も村の仲間たちから引く手数多だったでしょ! 君はとても誠実そうな雰囲気だから、いい仲間になれると期待されてるんだ」
「あなたが見たリーズたちの演劇は、空想のことじゃないんだよ。あなたも今から、役の一人に加わるんだから! これから一緒に、みんなと物語を作っていきましょ♪」
そう言って、リーズさんとアーシェラさんは同時に微笑んでくれた。
リーズさんは赤ちゃんを抱え、アーシェラさんは娘さんを膝にのせている。
その光景は紛れもなく、理想的な家族像そのもので…………絵心のない私でも、思わずキャンバスに残しておきたくなるほどだった。
その瞬間、私はこの二人にはどうあがいても敵わないだろうとはっきりと確信した。だが、その確信は不思議と心地よいものだった。
村長夫妻との会話はあまりにも楽しくて、私が村長宅を出たときにはそろそろ夕方も近くなっていた。
扉を開けて見送ってくれた二人に丁寧なあいさつを交わした後、私は改めて高台から村を見た。
かつて私は、この地に住んでいた。
昔――――この地には「アルトリンド子爵領郡」と呼ばれる町があり、私はその街を治めるアルトリンド子爵家の長男として生まれた。そしてこの高台はすべてアルトリンド子爵家の屋敷の土地で、わずかに残る幼いころの記憶では、高台を囲む城壁の向こうに無秩序に広がる城下町が見えた。
今は亡き父は言っていた…………あれはすべて、自分たちの所有物なのだと。
私たち「上民」は「下民」を自分たちの所有物程度にしか思っておらず、働かせるだけ働かせて、その生産物はほぼすべて自分たちの懐に収めた。こんな状態では、当然支配者と被支配者の間に信頼は生まれず、ひどいときには両者とも相手を同じ人間とみなしていなかったとさえ言われている。
旧カナケル王国全体のあまりにも激しい貧富の差は、下民の間に消えることのない不満として積み重なり、それがあるとき終末思想と重なって邪神教団が生まれた。邪神教団は旧カナケル王国を激しく憎み、魔神王を復活させるとその力のすべてを用いて、国土のすべてを崩壊させた。
その日から私は…………家も家族もすべて失い、奇跡的に生き残ったはいいものの、一時期は文字通り泥水を啜るほどの困窮していた。上民として何の不自由もなく暮らしていた幼い私は、そんな地獄のような生活に苦しんだが、いつかかつての栄華を取り戻すという執念だけで、ここまで生き続けてきたのだ。
魔神王が勇者に倒されたと聞いた後、ある酒場で偶然うわさを聞いた。
魔神王を倒した勇者様が、その夫と共に旧カナケル王国に新しい村を立ち上げた、と。
自業自得で滅びた国が、勇者様たちの手で新しく生まれ変わるのだ、と。
その話を聞いた私は…………何とも言えないやるせない気持ちと、理不尽な怒りを覚えた。私の生まれ故郷が…………私のものになるはずだったものが、見ず知らずの人間の手に渡るのか、と。
そうだ。私の望みは、この地を自分の手に取り戻すことだった。
そしてその望みはもう叶わないことは、昨日と今日ではっきりとわかった。
幼いころ眼下に見えた城下町は、今思うと冷たく活気がなかった。アルトリンド子爵家は、領内に重税を課していて、年を経るごとに人口の流出が起きていたと聞いている。
今目の前に広がっている村は、村そのものが生きているかのように、活気に満ち溢れている。
どこの建物からも煙突から煙が立ち上っていて、通りでは今日の夕飯の買い物に向かう人でにぎわっている。この地には、もう上民の存在は必要ないのだ。
私はうんと背筋を伸ばし、深呼吸をした。
リーズさんとアーシェラさんのおかげで、ようやく自分の過去に決別出来た。
私は意を決して両手をぐっと握り…………駆け足で坂を下って行った。
×××
村に定住して1か月後――――運よくすぐに家を入手し、ようやく仕事にも慣れ始めてきたころ、私は村の西側を流れる川にやってきた。
川辺の桟橋には、今日も小舟とその船頭……ナンシーがいる。船の上で暇そうにしていたナンシーは、私の姿を見るなりむくっと起き上がって、気さくな笑顔で手を振ってくれた。
「やあアル、また来たのかい。もう橋は完成したのに、なんでわざわざ船に乗りに来るのかね? ま、この仕事も今日で終わりだから、名残を惜しんでくれるのは嬉しいけどね」
私が来たときは建設中だった、高台同士を結ぶ大きな橋は、前日ついに完成した。そのおかげで、市街と農村は船を使わずとも行き来できるようになった。
仕事の関係で頻繁に農村を行き来していた私は、すっかりこの渡し船の常連になっていたが、もう渡し船の必要はなくなってしまい、とうとうこの日が最後の運航になってしまった。確かに橋ができるのはとても便利だが、船に揺られてのんびり川を渡るのも好きだったから、少し寂しく思ってしまう。
「アルは、今日は仕事は休みなのか。だったらゆっくり川を下ってみる? …………え? その前に話があるって?」
川下りも楽しそうだが、その前に私は、ナンシーが渡し船の仕事をやめた後、どうするのかを聞きたかった。私がそのことを聞くと、ナンシーはちょっと困った顔をしたが、あまり深刻ではなさそうだ。
「もう次の仕事は決まってるのかって? いやー……それなんだけど、まだちょっとこれってのが思いつかなくてね。橋の建設が終わったとはいえ、どこもまだ人手が足りなくて引く手数多だってことはわかるんだけど、貯金もだいぶたまったから、大雨の季節が終わるくらいまではのんびり休むのもいいかなー、なんてっ!」
そうか…………それならよかった。
「……? どうしたアル? 今日はやけにソワソワしてるじゃないか。さては、この後誰かとデートかい? 今気が付いたけど、後ろ手に花束なんか持っちゃってさ! カーッ、羨ましいねぇっ! あんた最近一生懸命働いてるから、農場娘たちがほっとかないだろ? だったらこんなところで油売ってないで―――――――え?」
私は黙って、持っていた花束をナンシーに差し出した。
そして一言―――――――
好きです! これからも傍にいてください!
「あ、あたし……? あたしのことが…………好き!?」
ナンシーは見る見るうちに顔を真っ赤にして、絶句してしまった。
果たして…………っ
「えっと、冗談……だよね? 冗談じゃ…………ない? そ、そんな……あたしなんてっ! いや、そのっ……ダメってわけじゃなくてっ! 突然のことだから、ほ……ほんとにっ、どうしていいかわからなくてっ!」
…………花束、受け取ってくれないかな?
「あ………そっか、これ……あたしのために…………。ありがとう、とっても嬉しい…………へへっ、こんなロマンチックなこと、ガサツなあたしには一生縁がないかと思ってたのに。け、けど…………あたしなんかでいいの!?」
あぁ……私もこの村で働くうちに、すっかりこの村の雰囲気に染まってしまってね。
毎日いろんな人々とかかわっていくうちに、もっと強い絆で結ばれた相手が欲しいと思ってしまったんだ。我ながら本当に……自分勝手だなとは思うが、一緒に人生を歩んでくれるパートナーがいれば、私はもっと頑張れると思う。
そう思ったとき、私の脳裏に思い浮かんだのは…………ほとんど毎日のように顔を合わせて、時々昼食も一緒に食べるようになった仲のナンシーだけだった。だから私は、ナンシーがこの渡し場の船頭の役目を終えたら、彼女とともに人生を歩みたいと告げることを決めていたんだ。
「まったく……あんたは私が思っていた以上に、大胆な男だったんだね。初めて船に乗せたときは、まるで人生の迷子のような顔をしてたのに、いつの間にかあたしに手を差し伸べてくれるようになるなんてね。…………うん、いいよ。あたしも、アルのことが好きだ。これからは、あんたのパートナーとして尽くしてあげるから、絶対にあたしのことを離したりしないでくれよっ!!」
無論、私もそのつもりだ。
すべてを失った私の故郷で、一番最初に手に入れた大切な人だから…………
私は小舟に乗り込むと、まだ赤いナンシーの顔にキスをして、船を動かす櫂を手に取った。
ナンシーは「私の仕事を奪う気か」と冗談を飛ばしてきたが、私は私で一度はこれを動かしてみたかったんだ。
百合の月(四月終わりから五月中旬頃)の23日―――――春も終盤となり、草木はほとんど目を覚まし、自然の瑞々しい香りが川のあちらこちらから流れてくる。高台に掛かる新しい橋の上は、町と農地を往復する人々が何人も行き交い、中には橋の上からのんびりと景色を眺めたり、キャンパスに絵を描いている人もいる。
私が子供の頃には、決して見ることのできなかった幸せな村の姿は、これからもどんどん成長していくことだろう。
「よっ、おっ、そうだ、なかなか筋がいいじゃないか! アルは本当に何でもできるんだな! この村に来るのがもう少し早かったら、あたしと一緒に渡し船の仕事をしてもよかったんじゃないか? なんて、そんなのしょっちゅう言われてたよね! ははは…………うん、なんか……幸せ」
私自身の未来に何が待っているのかはまだわからない。けれども、待っているものが空虚なものではなく、無限に広がる希望だということはわかる。
私の力でもっと村を大きくして、新しい家族と過ごして…………
そして、この村のことを、もっと好きになれるように。
『幸せな村の作り方』――完――
幸せな村の作り方 南木 @sanbousoutyou-ju88
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