後編
宿屋に一泊した後の朝、私は宿屋の食堂で、朝食の後コーヒーを飲みながら壁掛け新聞をのんびりと読んでいた。
ここの村では、毎朝宿屋や集会所といった人が集まる場所に、昨日までにあった出来事を大きな紙に書いて貼り付けていて、探索隊の成果や機能のひったくり事件の顛末、さらには市場のお買い得商品のことまでいろいろと書かれているので、なかなか読みごたえがある。
中には「今日の村長レシピ」なる料理のレシピメモもあって、春野菜と川魚を使ったシチューの作り方が書かれていたのを、宿屋の女将さんが真剣な表情で写しを取っていた。早速私が昨日もらった川魚が役に立つかな…………なんて考えながら、コーヒーに口をつけていると――――――
「ヤァーッハッハッハッハーっ! 移住希望の旅人さんはどこかなーっ!!」
突然響いた突風のような大声に、私は思わずコーヒーを吹き出してしまい、数滴ほど壁新聞に染みを作ってしまった! 女将さんに新聞を汚してしまったことを謝りつつ、大声で私を呼びに来た女性に、自分がその旅人だと告げた。
紫髪のポニーテールで、長い野外活動のせいかやや褐色に焼けた肌、それにどこかで見たような迷彩柄のローブとどこかで聞いたような癖のある笑い声の女性は、私の顔を見るなり思わせぶりににやりと笑う。
「ほーほー、君が噂の旅人君ね! くくく、探検隊になりたそうな面構えしてやがるぜぇ! え? 何の用かって? やだなーもー、聞いてないのー? この村に移住を希望する人は、必ず一度は村長夫婦の面談を受けなきゃいけないんだからね? まあ確かに、あたしも何も話してなかったっけ! ヤハッハッハ!」
ああわかった。この人はあまり考えないでしゃべるタイプだ。
たぶん色々と突っ込んで聞いても疲れるだけだろうから、適当に相槌を打っておくことにする。ともあれ、どうやら彼女は私をこの村の村長に会わせようとしているらしい。移住に村長の許可がいるというのは、考えてみれば当然だが…………この村の村長とその奥さんに関しての噂を色々聞いていた私は、今更ながら不安を覚えてしまう。
「準備できた? それじゃあ、一名様ごあんなーい!!」
無駄に大きな声のせいで、宿屋にいる人だけじゃなく通りにいる人々までも、彼女と私に視線を向けてくるので、思わず居た堪れなくなってくる。
「ああ! そうだそうだ! あたしはフィリルっていうんだっ! よろしくね! まだまだ駆け出しだけど、探検隊のチームリーダーの一人なんだっ! けど最近は、村でに仕事が多すぎて探検隊になる人が足りないの。だから村長さんに「どんな仕事がしたい?」って聞かれたら、迷わず「探検隊になりたいです!」って言ってほしいな! 私だけじゃなくて、先輩たちも手取り足取り教えちゃうし、村で一番お給料もいいんだから! 成果給だけどね」
フィリルさんは声が大きいうえによくしゃべる人だ。
けど、はじめはただの煩い人のように思えていたけど、話しているうちになんだかこちらまで楽しくなる不思議な人だ。きっとこの人がリーダーなら、つらい探検もつらく感じなくなるのかもしれない。
フィリルさんに連れられて向かうのは、私が昨日唯一足を延ばさなかった村の北区域…………この村の住宅街だ。耐火性のレンガで作られた二階建ての家が整然と並んでいて、東西の大通りとは打って変わって、比較的静かな雰囲気になる。
また、北地区のさらに北半分は高台にあって、坂を上っていくと今度は木材でできた家が多くなる。
「この辺は開拓がはじまったころに建てられた家ばかりで、まだレンガが使われてないから下の住宅に比べてちょっとショボいんだけど、ある意味でステータスでもあるから、なかなか建て替えが進まないの! ほら、あれが村長の家なんだけど、完全に普通の家でしょ! もっと立派な家に住んでもいいと思うんだけどね!」
どうやらこの辺りは、開拓村立ち上げ当時の最古参の人々が家を構えた場所らしく、昨日出会ったイングリットさん姉妹や、警備隊のレスカさんの家もこの高台にあるらしい。
ふつうこういった高台の住宅は、いざという時に一番安全なので、比較的富裕層や貴族などが住んでいることが多くて、家も立派になる傾向にある。けれども、このあたりの家は、完全に開拓初期のままであり、丘の下の家に比べて若干住みにくそうだった。そして、村長の家も――――フィリルさんの言う通り、一目見ただけでは普通の家とほとんど変わらない。違うところと言えば、ちょっとサイズが大きめに作られているのと、倉庫が併設されている程度だ。
「ヤッハー! そんちょー! リーズさーん! 旅人さんを連れてきましたーっっ!」
「いらっしゃいフィリルちゃん! お仕事ご苦労様っ!」
フィリルさんが扉を開けるとすぐに、彼女に負けないくらい元気な声とともに、紅い長髪の女性が出迎えてくれた。
あぁ、間違いない…………この方こそ、かの魔神王を打倒した最強の勇者――――リーズ。
身長は若干低めで、かつてはツインテールが印象的だったけど、今は髪を降ろしているらしい。それでも、誰もが見とれるほどの美貌はいまだに健在……私は顔を見るのは初めてだけど、旧王国の人々がだれもが一度は見惚れたという噂は本当だった。顔を見るだけでも、無意識に熱を感じてドキドキしてしまう。
その一方で、腕には男の赤ん坊を抱えていて、こちらは母親とは違い優しいクリーム色をしている。赤ん坊は生後半年ほどだろうか…………私の顔を見るなり、母親譲りの笑顔でにぱっと笑ってくれた。こっちもその笑顔を見ると思わずドキッとしてしまう。男の子なのに…………
「えっへへ~、ようこそ旅人さん♪ この村に移住希望なんだ! リーズとシェラも、喜んで歓迎するよっ!」
「あー」
「シェラーっ、お客さんが来たよーっ!」
「わかったリーズ、今行く」
「じゃああたしは仕事に戻りますね!」
案内してくれたフィリルさんは仕事に戻り、私はリーズさんに招かれて家の中に入る。
リーズさんが「シェラ」と呼ぶ人物――――村長のアーシェラさんは、玄関から入ってすぐのところにある大きな執務机で巻物の書類に目を通していた。そして、村長さんのすぐそばには、クリーム色髪の幼い女の子がおり、父親の真似をしているのか、紙に何かの絵をかいていた。
「こんにちは、そして新アルトリンド村へようこそ! 僕が村長のアーシェラだ。そして…………」
「シェラの奥さんのリーズだよっ! よろしくねっ!」
私は村長夫妻に差し出された手をそれぞれ握って握手を交わすと、執務机から少し奥に入ったところにある食卓に案内された。
「朝食は食べたばかりかな。お茶と少しだけお菓子を用意したから、遠慮なく食べていいよ。お茶は足りなければ僕が入れてくるから」
村長アーシェラさんは、勇者リーズさんと打って変わって、どこにでもいそうな平均的な容姿の男性で、顔立ちは比較的整っている方ではあるが、あまり印象に残らないタイプである。所謂下民…………じゃなくて、平民顔というやつだ。
雰囲気もとても落ち着いていて、しかも比較的気さくなため、村長だと言われなければ一般市民だと思われてしまうほど。だが―――――それは見た目の印象だけの話だ。
こんな噂がある。
勇者リーズと結ばれたアーシェラという人物は、影ですべてを操る稀代の謀略家であり…………勇者パーティーでは、何もしていないように見せかけてパーティーメンバー全員の弱みを握って裏から支配し、その知略で勇者様を心酔させ、彼女を手に入れるために王国社会を急速に弱体化させたと。
さらには3年前に起きた、鉄血宰相グラントと大魔道ボイヤールが起こしたのクーデター『不死鳥再生の焔月』を裏から指導し、新生王国を打ち立てたのも彼であり、今でも北方の諸国連合と南方の協商同盟議会に多大な影響力を持っているという……………噂が本当ならば、目の前に立っているこの人物は、まさにこの世界を動かすフィクサーと言えるだろう。
「ん? 僕の顔をそんなにまじまじと見て、どうしたの?」
「シェラに一目ぼれしちゃった? でもシェラはリーズのものだから、誰にもあげないもんねっ!」
「まぁまぁ、いくらなんでも男の人が僕を欲しがるわけないよ。さしずめ、何か僕の変な噂でも誰かに聞いてきたかな? でも僕は見ての通り、こんな辺境の村の普通の村長だから、あんまり気にしなくていいよ」
この村長……一瞬で私の心を読んできた。やはりただものじゃない。
こうして客人の前でも、自然に熱い夫婦仲を見せつけてくるのも、それだけの度胸があるということなのだろう。
私は席に着き、甘いお茶を一口すするが、向かい側に座る二人が両方とも稀代の大物…………緊張で、少しずつ指が震え始めてくる。
「緊張してる? 楽にしてもいいんだよ? って言っても、やっぱりみんな緊張しちゃうみたいだから、真面目なお話は後にしよっか♪」
「よっぽどのことがない限り、この村に住んじゃダメってことはないから、安心してよ。いつもは大体、どこから来たのかとか、何か仕事をしていたのか聞くんだけれど…………せっかくだから、今日は僕が当てて見せよう。君は…………僕と同じ、旧カナケル王国の出身だね。それも、元貴族でしょ」
驚いたことに、村長は私のことを少し見ただけで出身地と元貴族であることまで見抜いてきた。
旧カナケル王国出身だということは、今までどんな人にも知られていなかったのに、どうしてわかったんだろうか?
「え? 本当に正解!? シェラすごいっ! なんでわかったの?」
「んーとね、そういえば前にも一度話したことがあったけれど、カナケル王国の貴族は身体的な特徴があるんだ。蒼く澄んだ瞳に、雪のように白い肌…………それに何より、輝くような金髪。旧カナケル王国の崩壊の時に、貴族の大半は逃げ遅れてしまったって聞いたけれど、君はその時の生き残りなんだね。まさかこんなところで会えるなんて、思ってもなかったよ」
いまだに旧カナケル王国人の身体的特徴を覚えている人がいるなんて…………私は緊張が解けるどころか、背中から冷や汗が流れるのが止まらなかった。
どうやらアーシェラ村長も、数少ない旧カナケル王国の生き残りらしく、彼は私に親近感を覚えてくれているようだが…………正直今となっては、それも私にとっては負の歴史でしかない。
「旧カナケル王国で生まれた君なら、少なからず今のこの地方の惨状には胸を痛めていると思う。かつて栄華を誇った国は消え去って久しく、今も土地の大半は瘴気の毒に沈んだまま…………。このままじゃ、ご先祖様に申し訳が立たないと思うでしょ。だから、同じ旧カナケル出身者同士手を取り合って、かつての国を再びよみがえらせようと思わない?」
…………変なことを聞く人だ。本当にこの人は、それを望んでいるのか?
私は……彼の言葉を受けてしばらく考え、そして、首を横に振った。
「ふふっ、そっか。ごめんね、試すようなことを聞いてしまって。君は、とても誠実な心の持ち主のようだ。今までさぞかし苦労してきたと思う。無理に働いてほしいとは言わない…………この村を、君の第二の人生の出発点にしてくれれば幸いだ」
「もうこの村のあっちこっちを回ってみた? 何か興味のある仕事はあった? あなたは結構戦えそうだから、探検隊や警備隊から一緒にお仕事してほしいって言われてるんじゃない? この村はまだまだ人が足りないから、どんなお仕事でも大歓迎のはずだよっ!」
話によると、村長夫妻は移住者が来ると毎回面談して、どの仕事があっているかアドバイスしているらしい。けれども、私にはなぜかこれといったアドバイスをしてくれなかった。
好きな仕事に決めてもいいと言われるのは確かにありがたいけれど、それがかえって不安だ。
「君は本当に何でもできそうだからね、自分で納得したものが一番いいと思ったんだけど…………ああそうだ、だったら君には『将来の村長』になってもらおうか!」
アーシェラさんの言葉に、私は思わずキョトンとしてしまった…………
将来の村長……? 養子にでもなれというのだろうか? 同じくらいの年齢なのに?
「この村の村長かどうかはわからないけれどね。今カナケル地方は急速な勢いで人が増えている…………いずれは、新しい村をあちらこちらに作る必要があると思う。ところが今の開拓村には、一芸に秀いてる人は多いけれど、政治的なバランスを持ってる人がなかなかいなくてね。だから君には、これからいろいろな仕事をこなしてもらって、複数の経験を積んでもらおうと思う。どうかな?」
つまり……将来的にこの地方にできる国の、リーダーの一角になれということか。
とんでもない出世話だが、おそらく、そう甘い話でもないだろう。その証拠に、村長さんの顔は笑っているが、目が笑っていない。私を優遇してくれるわけではなく、むしろ試練を与えてきているのだ。
ああそうか…………この人はすべてお見通しなのだろう。
私は今まで、逃げるためだけに生きてきた。
生まれた場所から逃げ、呪われた身分から逃げ、本来あるべき責任から逃げた。
ここで彼の提案を受け入れれば、私は一気に逃げ場を失うことになる。しかし、逃げるだけの人生に終止符を打ち、私自身の命を生かすためには、逃げるわけにはいかないのだろう。
私は…………一言、やりますと力強く頷いた。
「うんうん、その一言を待っていたよ。これから先、色々な困難があるかもしれないけれど、君ならきっとやり遂げてくれるはずだ」
「えっへへ~、よかったね! シェラに褒められたよっ! じゃあこれからリーズも、ビシバシ指導するから、覚悟してね♪」
「とりあえず君には、この村の子供たちの育児の手伝いをしてもらおうか。何しろ去年はベビーラッシュで、村の奥さんたちの負担が増えちゃってね」
「それから朝は武術訓練ね! とりあえず、森を一人で歩けるようになるまで強くならないと、この先危ないから! 大丈夫、シェラだってこう見えても一人でシカの魔獣を倒せるから♪」
ノリノリで私のやることをどんどん積み上げてくる村長夫妻を前に、私は一瞬「早まったかな」と後悔したが、もうこれ以上逃げないと誓ったのだから…………ここで心を翻したら、男が廃る。
それに、裏を返せばリーズさんもアーシェラさんも、初めて出会った私にここまで期待してくれているのだ。その期待を裏切るわけにはいかない。
二人と話しているうちにお昼の時間になり、私は子供を含む彼ら家族とお昼ごはんをいただくことになった。
用意された食事は主にシチューとハンバーグ、それにいくつかの常備菜だったが、これが驚くほどおいしくて――――シンプルなのに、ここまでおいしい食事をしたのは生まれて初めてだった。
「ね、美味しいでしょっ! シェラの料理は世界一なんだよっ! でも、シェラの料理を見てがっかりする人は、ろくな人じゃないから注意してね!」
「ふふっ、どう感じるかは人それぞれだけど、食べ物を粗末にすることだけはしないでほしいね」
過去にこんなおいしい料理をけなした人がいるのか……………にわかに信じがたい。
いや、そういえばちらっと聞いた噂で、今は没落した旧王国貴族は食べ物を粗末にした呪いだとか何とか言われてたっけ? それと何か関係があるのだろうか?
ぎゅっと肉厚のハンバーグと、家庭的で思わずほっとした気持ちになるシチュー…………これは、毎日でも食べたくなってしまう味だ。村の人々が、しきりに村長の料理はすごいと言っていたが、これは確かにほかの人に語りたくなるのも無理はない。
いったいどうすれば、これだけおいしいものを作れるのかと尋ねたところ――――
「うーん、僕としてはこれと言ってコツはないんだけど。ああでも、リーズにおいしいものを食べてもらいたいって思いながらずっと作っていたから、これは僕のリーズに対する愛情のなせる業、ってところかな」
「もうシェラってば! 大好きっ♪」
この夫婦、いい人であり、すごい人でもあるんだけど、仮にも客の前でもラブラブなところを見せつけてくるとは…………なんというか、目の毒過ぎる。私まで妻が欲しくなってしまう。
私ももし妻が出来たら、いっそのこと料理の練習をすべきか…………一人仕事が多かったから、それなりの物は作れるし、将来子供が生まれたら、休日は家でフライパンを握って、お父さんの料理を楽しみにする子供たちと一緒に………………って、私は何を妄想しているんだ。
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※作者注
長くなったので前後に分けます。
まさかここまで長くなるとは思わなかった…………
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