中編
新アルトリンド村の立地は、一見すると川沿いの平原に建っているようにも見えるが、実際は周囲よりも若干小高い台地に作られていて、村の西に流れる川はちょっとした谷のようになっている。
それゆえ、村から東や南に行くのは簡単だが、西側に行くにはそれなりに底が深く、幅が広い川を渡らなければならないため、比較的面倒くさい。
以前この地に住んでいたことがある私は、そのことをよく知っており、川の向こうまではまだ開発の手が及んでいないものと思っていたが………………その予想はすぐに覆された。
「どう、旅人さん? 壮観でしょ! たとえ山向こうの王国でも、あれほど立派なものはありゃしないだろうね!」
威勢のいい栗色髪のポニーテールの女性船頭さんは、舟を漕ぎながら、私たちの右手側にそびえる建設中の橋を指さしていた。
彼女が自慢するように指さすその橋は、橋桁がちょっとした塔ほどの高さがあり、村がある高台から西の方の丘まで整然と並んでいる。橋板の部分はまだ建設途中のようで、大勢の労働者たちが忙しく動き回り、トントンと何かを打ち付けている音があちらこちらからひっきりなしに聞こえてきた。
「あんだけ大きな橋を作るのにも
そう、私は知っている。
川を渡る橋を架けるだけだったら、普通はあんなに大きな橋はいらない。ほかの地方の橋と同じように、川辺から川辺までの間だけ作れば済む話だ。それをあえて、川がある低い土地ごと跨ぐように巨大な橋を建設しなければならないのは、この地方で年に一回発生する大雨と、それによって引き起こされる洪水で、低い土地はすべて水に流されてしまうからだ。
そのせいで、昔からこの川には橋を架けることができず、わざわざ下流の方を迂回するか、私がしているように船で川を渡らざるを得なかった。
「あたしは去年からここに住み始めたんだけど、天馬の月の中頃にものっすごい大雨が降って、村がほとんど陸の孤島になるって初めて知ったのよ! 村のみんなで、このままじゃどうしようもないってことで村長に掛け合ったら、あんな立派な橋を作ってくれることになったの! 聞いた時は、本当に思い切ったことするなぁって思ってたけど、いざ完成を目前にすると嬉しくなるよ。これでもう川が氾濫しても、農地と行き来できなくなる心配はないんだって」
しかし…………そうなると、あなたの仕事もなくなってしまうのでは? と、尋ねたところ、船頭さんは私の心配をすぐに一笑に付した。
「なーにいってんの旅人さん! 人を渡す仕事がなくなっても、川の上流や下流から物を運ぶ仕事はまだまだたくさんあるんだ! そうでなくても、今はあっちこっちで人手不足なんだから、少なくともくいっぱぐれることはないさ! ああ、それとも、どっかでいい人見つけて永久就職するのも悪くないかもね? それとも………旅人さんがあたしのことを養ってくれる? わざわざあたしのことを心配してくれたんだし~? なんてね、冗談よ、冗談♪ ほらっ、桟橋についたよっ、上がるときに足元気をつけなっ!」
まるで観光地の案内人のようにしゃべりっぱなしだった船頭さんのおかげで、それなりに幅のある川にもかかわらず、あっという間に渡ってしまったように思えた。あまりにも楽しかったので、もう少し話を聞いておきたかったけど、まぁ……帰りにもう一回乗るからいいか。
それに、あの橋ができたら、もしかするともう二度とあの船頭さんの船に乗れないのかな……なんて思うと、ちょっとだけ寂しく思える。
向こう岸に戻っていく小舟を少しだけ見送ると、私は踵を返して桟橋を後にした。
さて、村人たちから聞いた話では、川の西側はほとんどの土地が農地になっていると聞いている。
起伏の激しい土地で、果たして畑など作れるのだろうかと訝しんでいたが、川の土手を上るとすぐにだだっ広い農地が開けていた。
どうやら畑を作るために急な斜面のところは削って、窪んでいるところは埋め立てたようだ。建設中の巨大な橋と言い、大規模に開拓した畑と言い、噂に聞く村長はなかなかの野心家のようだ。
あちらこちらの畑には、ぽつぽつと人影や家畜の羊とかがいるけれど…………畑の広さの割には人が少ないように感じてならない。
今の時期は、本来であれば種まきに忙しいはず…………村では人手が足りないと言っていたが、農地の開拓を優先して、耕す人がいないのだろうか? かといって、休耕中というわけでもなさそうだ。そもそも、野菜を育てる畑と思わしき場所に家畜を放しているのだが、あれは大丈夫なのだろうか?
見れば見るほど、よくわからない農地事情で、少し困ってしまう。人が足りないのであれば、この辺の農地の一区画をもらって、のんびり耕しながら過ごすのも悪くないかな―――――などと考えながら、農地の間を縫って走る道を進んでいくと、少し高くなった丘を越えた先に、大人数の集団がいるのが見えた。
その集団は少なく見積もっても50人は下らない、まるで小規模な軍隊程度の大所帯だったが、よくよく見て見ると、彼らの中心に田舎の家屋と同じくらいの大きさの羊がいるではないか!!
私は思わず、なんなんだあれは! と、口に出して叫んでしまった。
「あら、もしかしてこの村に来たばかりの旅人さん? ふふっ、新アルトリンド村の農場へようこそ」
思い切り叫んでしまったせいで集団に気が付かれてしまい、なし崩し的に彼らのところに赴くと、大型羊の上に腰かけている、麦わら帽子をかぶった、少し大人びた雰囲気の桃色髪の女の子に声をかけられた。
大人から子供まで、幅広い年齢の女性たちの集団の中にあっても、大型の羊は大人しく草を食んでいるところを見ると、かなり人に慣れているのがわかるが…………それでも近くで見ると、改めてその規格外の大きさにたじろいてしまう。
茶色い毛並みに黒い肌――――いわゆるガーランドと呼ばれる種類の羊で、家畜としては比較的ポピュラーなはずだが、ここまで大きいとどうしても魔獣にしか見えない。
「びっくりしたよね。この子はテルルっていうの。とある事情で突然変異しちゃった羊なんだけど、大人しくて人に慣れているし、植物しか食べないから安心していいわ。もっとも、強く叩いたりすると突進したり催眠術かけちゃうかもしれないから、油断はしないでね」
…………いくらなんでも、大人しいとはいえこんな巨体相手に喧嘩売る輩はなかなかいないだろう。おまけに催眠術まで使えるとなると、ますます魔獣のように思える。
そんなことより、私は彼女たちにここで何をしているのかを尋ねてみた。
「私たち? 私たちはね、実験をしているのよ。村の将来のためにね。この辺の土って栄養が少なくて、なかなか作物を育てられないの。だから、そんな土地にも作物を植えることができればと思って、いろんな育て方を試している最中なの。今この土地では、羊たちが食べられる牧草の育ち具合をチェックしているわ」
「私たちも一応農民の卵なんだけど、まだ独り立ちするだけの知識も経験もないから、こうしてイングリットさんと一緒に、大勢で畑を耕したり、家畜の世話をしたりしているのよ」
「お給料は村長さんが出してくれるし! 農民というより土地を耕すお役人さん、みたいな?」
「どうせこの辺の土地は初めから誰のものでもないし、だったらみんなで一緒にやった方が、色々なことができて楽しいし!」
なるほど、農地に人があまりいない理由がやっとわかった。
彼女たちは開拓地の屯田兵のような役割で、個人個人で畑を持つのではなく、村が持っている畑を共同で管理しているのだ。確かに農業は成果が出るのに何年も…………下手したら10年以上かかるものだから、きちんとした形になるまでは協力しながら作業するのは理にかなっているといえる。
しかもよくよく見れば、この集団は農具を持っている人員だけでなく、魔術士や記録官と言った、直接農地を耕さない役割の日とも何人かいる。魔術的観点からの農地実験をしているのあろう。
「最近はようやくジャガイモとひよこ豆が収穫できるようになったのだけど、小麦を育てられるようになるまでは、まだまだ時間がかかりそうね。南西の湿地帯が完全に使えるようになれば、あの辺でライスとかも育てられるかもしれないけれど、まだまだ魔獣が出るし、何より瀝青の採取で忙しいから」
なんと! 南西の湿地帯――――かつてカナケル王室のリゾートがあったジュレビの町で瀝青が取れるとは!? それが本当なら、この村の財政はそれだけで村全員を賄っていくことができるに違いない。集団で農場の実験ができるのも、その収入があるからだろう。
「あら? 旅人さんはもしかして、このあたりのことについてそれなりに知っているのね。このあたりのことを知る人は今はあまりいないから、もしかしたらその知識は色々な人の役に立つかもしれないわね。ふふっ、旅人さんは移住希望? そう、旅人さんは夢とか、したいこととかはあるのかしら。ここに来る人は、多かれ少なかれ、いろんな希望や野心を持っているの。ここにいる子たちも、将来は自分の農地を持ちたいって思っている子もいれば、ここで実験した結果をもって、荒れ果てた故郷を再生しようとしている人もいる…………中には故郷に同世代の男の人がいなくなっちゃったから、チャンスをつかみに来たなんて言う人もいるのよ」
「もう、ヘルミナさんってば、私が行き遅れなのをばらさないでくださいよー」
「先輩……自分でばらしてどうするんスか」
最年長と思わしき魔術士が、わざとらしく頬を膨らませ、その後輩と思わしき若い女の子が呆れながら突っ込みを入れた。そしてそれに乗る形で、周囲の人々もどっと笑った。そして、その中でポツンと一人いる男性の私は、どう反応していいかわからず、戸惑ってしまう。
しかし…………私の夢、か。そう、私にだって、長い道のりを越えてこの村にやってきた理由がある。そして、その理由は絶対人に言えないもので…………口にしたら絶対に呆れられてしまうだろう。
開拓に奮闘して自分だけの広大な領地をもちたい、という身の程をわきまえない野望や、食い扶持に困ってここまで流れ着いた、という矮小な理由まで様々あろうとも、私ほど最低な理由でこの地に来た人間は、きっといないだろう。
「ま、そんなわけで、この辺は土地だけならいっぱい余ってるから、ほしいところがあれば村長に掛け合ってみるといいわ。やる気さえあれば、今なら10区画くらいポンとくれるかもしれないわ」
土地ばかりそんなにたくさんもらっても困るのだが………それならまだ、集団に属してノウハウを学びながら耕していく方が、よほど気楽そうだ。
「ところで旅人さんはどこから来たのかしら。よかったら少しだけ、話を聞かせてくれないかしら? ふふっ、心配することはないわ。私はこう見えても恋人がいるから、とって食べたりはしないから」
「まずは身長と体重と年齢と
「コラっ、いきなり何聞いてんの!?」
…………このままじゃ少しまずい。
魔神王戦役のせいで、世界各地で男性が不足していると聞いてはいたけれど、この開拓村は圧倒的に女性が多い…………下手すると囲まれて、逃げられなくなってしまう。
私はとりあえず、ほかのところも見て見たいと断って、包囲網から抜け出すことにした。
「ふふっ、旅人さんは初心なようね。見学したくなったら、いつでもいらっしゃいな」
女性たちから逃げるように農地を後にした私は、暫くの間あちらこちらの道をさまよい、広大な景色をのんびりと堪能した。
どうやら農場集団は、あの羊に跨った女性のグループだけでなく、ほかにも複数あるようで、中には年配や老人だけでのんびりと家畜の世話をしているところもあった。少し話を聞くと、彼らは息子世代が移住したのと一緒にこの地で隠居をし始めたらしく、力仕事は活気あふれる若者に任せ、彼らは悠々自適にのんびりと畑で過ごしている。
「ワシがもう少し若ければ、あのでっかい橋で金槌を振るっておったのじゃがな」
「ワシらジジイにできることは、こうして老人同士で駄弁るか、若者に説教することだけじゃな! ワッハッハッハ!」
「なーにょゆうちょる。そもそもあの橋の図面を引いたのは、おまいさんじゃろがい」
若い人だけでは、やはり経験が不足してしまうこともある。そういう時は、いつものんびりしている老人たちに知恵を借りているのだろう、
私もあんな風に、奇麗な年の取り方をしてみたいものだ。少なくとも、子供たちの世代に、無駄飯ぐらいと呼ばれて邪険にされることは避けなくてはならない。
そうして歩いているうちに、気が付けば農地を大きく回って、建設中の橋よりも上流に出た。
そこには、高台の農地に水を引くための大きな水車があり、そのすぐ近くにも小規模な集団がいるのが見えた。ただ、農地にいる集団と少し違うのは、彼らは農業用の服ではなく、猟師のような恰好をしていることだろうか。
「あらあら、私たちに何か用かしら?」
じっと見ていた私に、リーダーらしき人物――――先ほど出会った、巨大羊に跨った女性に似た、上品な雰囲気の女性が声をかけてきた。
私は、先ほど農地で似たような人と出会ったことを話すと…………
「ミーナ……いえ、ヘルミナに会ったのですね。私は姉のミルカ・イングリットと申しますわ。私たち姉妹は、村長直々にこの一帯の農地の管理を任されていますの。ちなみに私は、釣り師をしていますわ♪」
なるほど、姉妹だったのか。しかし、釣り師とは…………
「私にとって、農地の管理はあくまで副業ですわ」
そう言って豊かな胸を張るミルカさん。
その様子を見て、彼女の周囲にいる人々は「またか」と言いたげに呆れたような表情をしており、その目は私に「察してほしい」と訴えているようだった。
とはいえ、釣り師がこのようなところで何をしているのか、と尋ねようと思ったが、彼らの背後にある「施設」を見て一瞬で合点がいった。水車で水をくみ上げた先にある水路から分岐した先に、木の枠で囲まれた人口の池があり、そこには無数の魚群が所狭しと泳いでいるのが見える。
「ここは見ての通り、魚の養殖場だよ」
「あの川は見た目は立派なんだけど、魔神王の破壊のせいで魚が全滅してしまってね。野生の魚は上流にいないと釣れないんだよ」
「まあそれで、ここで魚をある程度育てて川に放流して、釣りができるように回復させようとしているんだ。もちろん、場合によってはこの生簀で育てた魚を料理に使うこともあるぞ」
農地の開発だけでなく、魚の養殖もおこなっているとは…………これだけ色々手広くやれば、人手が足りなくなるのは当然だ。いうなれば、このあたりの農地一帯が丸々実験場なのだ。下手をすれば、人が1万人いても足りないだろう。
「かくいう俺たちは、普段は猟師をしていてね。故郷が食糧難だから、同郷の猟師を頼ってこの地に移住してきたんだ。けどここでは逆に、冒険者どもが肉ばかり取ってくるせいで、俺たちの仕事とかぶっちまうんだよ」
「だから今はこうして、お手伝いしているってわけなの」
「うふふ、皆様はとても働き者で、本当に助かりますわ。この調子なら、私のお仕事を全部やってもらっても――――」
「村長に言いつけますよ」
話によると、彼らはもともと北方の出身で、なんと魔神王を打倒する勇者のパーティーメンバーの一人を輩出した実力のある猟師の集団だったのだが、土地が貧しすぎて人を養えなくなり、苦渋の決断の末故郷を離れて、この地で生活しているらしい。
そんな彼らが、魚の養殖の手伝いをしているというのも、妙な話であるが…………そうでもしないと、養殖事業が出来ないのだろう。好きなことばかりやればいいというわけにはいかないようだ。
しかし、あの羊の女の子のお姉さんか…………姉妹というだけあって、見た目だけでなく、雰囲気もよく似ている。こちらのお姉さんは、やや怠惰な気があるようだが。
「うふふ、ミーナもここ数年でかなり成長してしまったわ。ちょっと前まではこんなに小さくて、村長夫人のリーズさんと同じくらい子供っぽかったのに、今ではすっかりミーナの方が大人びてしまいましたわ」
それはちょっと、想像できない。
所作もどことなく優雅だったし、生まれつき貴族の令嬢と言われても全く違和感がなかった。
「あらあら、女の子は三日会わないだけで別人のように成長するものですわ。そしてこの村も…………気が付けば随分と大きくなってきましたわ。私たちが5年前にこの地にたどり着いた時には、あたり一面が瘴気に沈んだ地獄で…………元の姿に戻った後も、ほとんど野営しているのと変わりありませんでしたわ」
「我らも比較的古参の方だが、この地に来た当時は村に石畳もなければ、あんなに大きな建物もなかったぞ」
「というより、あれらを建てるのを手伝ったのも私たちだしね。ほんと、この村に来てからいろいろとこき使われたものよ」
そう言って彼らは……やはりにこやかに笑っていた。
村は今もなお成長し続けていて、いずれはあの建設中の大きな橋も、当たり前の光景になっていくのだろう。私は今まさに、時代の真っただ中に立っているのだ。
「ところで旅人さんは、もう宿屋はとってあるのかしら? うふふ、そう、あの宿屋に決まっているのですね。でしたらちょうどいいですから、生簀で育てたこのお魚をもっていってくださるかしら。お夕飯にこの魚を捌いてくれると思いますわ」
そう言ってミルカさんは近くにあった網を手に取ると、あっという間に十数匹の魚を取り、魚を入れるかごに移して、渡してくれた。あまりの早業に、遠慮する暇すらなかった。
そして、彼らも作業を終えて家に帰るというので、彼らが乗ってきた船に便乗して川を渡り、その足で宿泊する宿屋に戻ることになった。
気が付けば時刻はすでに夕方近くになり、腹ペコ通りでは今晩の夕飯を求めて、住居地区の住人たちが店に列をなしている。そして私は、もらったばかりの魚を宿屋の人に渡すべく、人波をかき分けて歩き始めた。
普段着を着た人……冒険者らしき武装をした人……煤で汚れたエプロンを着けた職人……道を行き交う人の格好は千差万別だったが、誰もかれもが心の底から楽しそうな笑顔だった。
彼らにも夢があって、野望があって、将来の望みがある…………そう考えると、改めて私がこの村に足を延ばそうと思った理由が恥ずかしく思えてならない。
しかし、せっかくこの地に来たからには、新たな望みを見つけるのも悪くない。
この先私は、この村のどこに居場所を見つけるのだろうか。
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