10.「す、ストーカーだなんて、言わないで――」
突然の呼びかけに、私はぎょっと固まります。顔を上げると、銀縁メガネがキラリと光って……、私と同じく『優等生』タイプの友人が訝し気に私の顔を覗き込んでいました。
「……あ、ええと、ちょ、ちょっと気分が悪くなって、途中から授業を聞き漏らしてしまって……」
「まぁ! それは大変! ノートなんて私が書き写しておくから、柳さんは早く保健室に行って?」
「――えっ!? そ、そんな悪いですよ……、それに、体調はもう大丈夫だか――」
「――何言ってるの、柳さんにもしものことがあったらどうするのよ。さぁさぁ、私のことはいいから、早く――」
――言うなり、銀縁メガネの友人がどすこいどすこいと私の身体を教室の外に押し出して……、いやはや、困りました。仮病なんだから保健室に行ってもしかたないのに。
どうしたものでしょうと、とりあえずお手洗いにでも避難しようかなと逡巡していた私の目と耳に飛び込むは――、
「――葵……、で、どうだったんだよ?」
「……え~っとねぇ、う~んとねぇ――」
――こ、コトラくん! それに……。
出ました。『雷コトラ』くんと、『葵クジラ』くんという、『不可解なペア』。
――昨日の朝のワンシーンが私の脳内にフラッシュバックします。
私は常に横目でコトラくんの一挙一動を余さず観察しているのですけど、……ハッ、す、ストーカーだなんて、言わないで……。
――オッ、オホンッ……。コトラくんと葵くんが会話をしたのは、このクラスになってからおそらく昨日が初めて。いそいそと二人で教室の外に出て行ってしまったので、会話の内容まではわかりませんでした。
葵くんと言えば、本が好きで大人しいイメージがあるのだけど、『紅ホタル』さんに毎日ちょっかいを出されているという点で、妙な存在感を放っている不思議なクラスメートです。……感情をほとんど表に出すことはなく、コトラくんとはまるで真反対なタイプ。何を考えているのかがまるでわからなくて……、
きっと彼が、私を違う世界に連れて行ってくれるコトはないでしょう。
――そんな葵くんに、コトラくんが話しかけている。……恋の触手が、ビビッと反応しました。
コトラくんは、『紅ホタル』さんのことが好き――、なんとなくそうかなとは思っていましたが、昨日の葵くんの話で、ハッキリクッキリその仮説は事実となりえました。
恋の触手が私に囁きます。
『おそらく雷コトラは、自分が惚れてる紅ホタルについて、紅ホタルと仲が良い葵クジラから何か聞き出そうとしてるんだぜ? 興味ねぇか?』
……恋の触手は、口が悪いんです。ご了承下さい。
――ドキドキドキドキ。
高鳴る心臓を止める術なんて、恋愛初心者の私は知りません。茶道も華道も舞踏も、何の役にも立ちません。
どうしよう、あの二人、なんの話をしているんだろう、知りたい――
私は思わず廊下の柱の陰に身を潜めて……、気づけば二人の会話を盗み聞きする恰好になっていました。……だ、だから、ストーカーだなんて、言わないで――
「――どんな結果になっても構わねぇ……、ハッキリ言ってくれ! アイツは……、紅は、好きな奴がいるのか!? いないのか!? いるとしたら!? 誰なんだ!?」
「……ちょ、声でかいよ……、ホントにいいの? 絶対に僕を殴らないって約束できる?」
「……な、殴らねぇって! ってかお前の中でなんで俺ヤンキーみたいなキャラ設定になってんだよ!?」
「……え、金髪の人って、みんな不良なんじゃないの?」
「――バカッ、偏見にもほどがあるわ! 白髪染めしてる金髪のジジィだって、この世には腐るほどいんだろ!?」
「あー、なるほどねー」
ノホホンとした声をあげる葵くんに対して、コトラくんは明らかにイライラしています。
……っていうか、やっぱりコトラくんが葵くんに話しかけた理由って――
しゅんと、恋の新芽がしおれていくのを感じます。――でも、同時に、恋の触手が悪魔のように私の耳をくすぐるんです。
『――お前も気づいているだろう? 紅ホタルが葵クジラにちょっかいをかけるのは、好意の裏返しだ。おそらく紅は葵に惚れている、その事実がコトラの耳に入れば……、お前にもワンチャンあるかもしれねぇぜ?』
ワ、ワンチャン……、なんてハレンチな響きなんでしょう。ブンブンと私は頭を振り……、でも彼らの会話に私の耳は釘付けでした。
「……ホタルねぇ、なんか…………、僕のことが、好き、らしいよ――」
「…………え?」
「…………」
「…………え?」
「…………殴らないでね?」
「…………殴らねぇけど――」
――ガクンと、心が折れた騎士のように――、コトラくんがその場に膝をつきました。困ったようにポリポリと頬を掻いているのは『葵くん』で――
「……やっぱり、か――」
――コトラくんが、こぼれるように声を漏らします。
「……えっ?」
「――いや、っていうか……誰が見ても、『そう』だろ……」
「……『そう』なの?」
「……『そう』だよ……、っていうか、なんでお前が気づいてないんだよ……」
――やっぱり。紅さんは、葵くんのことが好き、って、ことは……。
――ジワジワジワジワ。
私の心の中で、淡い期待が広がります。同時に、紫色の罪悪感も――
『……良かったじゃねぇか、あの様子だと雷コトラの野郎、紅ホタルのことは諦めるぜ? 傷心している奴に近づいて、コロッとやっちまえば――』
……い、いけないっ! 恋の触手ったら、人の不幸を喜ぶなんて――
――ブンブンブンブンッ、ガンガンガンガンッ――
邪な考えを吹き飛ばすように、頭を振りました。
自分に罰を与えようと、柱に頭を何度も打ちました。あ、ちょっとだけ血が出ちゃった。
「――そっか、まぁ、そんじゃ、仕方ねぇな……」
ユラリと、幽霊のように立ち上がったコトラくんが、ゾンビのような呟きを漏らします。その台詞に、その言葉に、私の顔が思わずぱぁっと輝いてしまって――
「……あのさぁ葵、今度のライブ、ホタルと一緒に観にきてくんねぇかな?」
――なんでっ!?
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