7.「今から川にとびこんでくるから許して」


 夕暮れの河川敷を、柳さんと二人で歩く。なんて幸せな時間なんだろう。一生のお願いだから、このまま時が止まって欲しい。……ホタルに告白まがいの暴行を受けた件については、脳内処理のキャパシティをはるかに凌駕しているため、一旦記憶の端に追いやることにした。


 夏特有な湿った空気が僕の鼻頭をくすぐり、何の気なしに隣に視線を向けると、橙色に照らされる彼女の横顔は水彩画のように美しかった。うん、美しい。


「……私の顔に、なにかついてますか?」

「……えっ?」

「……葵くん、さっきからチラチラこっちを見ているなって……」

「……あ、ごめん、気持ち悪いよね、ホントにゴメン、今から川にとびこんでくるから許して」

「あっ、いや、と、飛び込まなくていいですよ、気持ち悪くも、ないし――」


 川に向かって駆け足を始めた僕を柳さんが必死に引き留めてくれた。……彼女は命の恩人だ。これからどうやって報いていけばいいんだろう。


「――あ、あの……」


 ――ピタリと足を止め、改まったように声をあげたのは『柳さん』で――、そういえば、彼女は何か僕に話したいコトがあるのだと言っていたな。マジでなんだろう。立てば芍薬座れば牡丹の彼女が、およそ雑草である僕に用事があるとは思えない。罰ゲームかな。


「……葵くんって、好きな人とか、いますか?」



 世界が、止まった。



 ――のは、やっぱり気のせいだったらしく、ポカンとバカみたいに口を開けている僕の脳内を埋め尽くすは、桃色の疑問符。

 ザワリと夏風が舞って、フワリと彼女の髪が揺れて――、夕焼けに焦がれる彼女の顔は直視に耐えられないほどに美しく、僕の口から、魂と共にバカみたいな声が漏れ出る。


「……えっ? なんで?」

「――あ、深い意味は、ないんですけど……」


 ……えっ、ないの?


「……好きなのかどうかはわからないけど、気になっている人なら、いるよ」

「……それって、クラスの子ですか?」

「えっ? あ、うん。まぁ、そうだけど――」

「――そう、なんですね……、あ、あのっ、私――」


 夕焼けに焦がれる彼女の頬に、朱色が混じる。


 ……えっ? 何コレ、まさか――

 

 僕は、脳裏によぎった一抹の欲望と百抹の期待を、叩き潰すのに必死だった。

 美しさに愛らしさが加わり、もじもじと身体をくねらせる彼女は『可憐さ』のパラメータが限界突破している。……正直に言おうか、抱き着きたくて仕方がない。でもそれをやったら全てが終わることくらいは知っているので、一握りの理性でグッとこらえた。


「……私っ、そのですねっ、その――」


 清楚で凛とした普段の彼女とは思えない――、眼前でひたすらに照れ隠しをしている彼女は、初めてのおつかいに孤軍奮闘する幼子のようだった。見てはいけないものを見てしまったような罪悪感と、都合の良い展開に塗れたシナリオへの期待感と――、ツインペダルでハイスピードメタルを奏でている僕の心臓は、ドクドクと身体の外に飛び出しそうだ。いっそ殺せ。


「――私……」


 ふいに、何かを決意するように、柳さんが僕の目をまっすぐ見た。

 その透き通った瞳に、誇張無く、僕はみるみる吸い込まれそうになってしまい――


「私、同じクラスの、雷コトラくんのことが好きなんですっ!」


 スーッと。

 僕の顔面から、一切の色が失われる。

 僕は能面のような無表情で、彼女のことをただ見つめ返していた。


「……それで、葵くんにお願いがあって――」

「……お願い?」

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