食事

根無草 夢境

無題

嗚呼、実に不思議だ。感情というのは人の意志の氾濫だ。人の記憶という膨大なエネルギーが凝固した結晶から剥離したものだとも言える。エネルギーが剥離しているのだ。大なり小なりその威力は計り知れない。故に、笑う、怒る、泣く等といった感情の動きや特徴を表す言葉が産まれたのだろう。名前が無ければそれは単なる暴走に過ぎない現象だが、名前を付けることにより方向性を決め、扱いやすいように変質させた。これは外国でも同じである。angry、sad、happy等きちんと表す単語がある。しかし、これによって起こる弊害もある。それは人の価値観だ。人というのは理解し難いのだが、人とズレていることを気にする。これは日本人だけかも知れない。だがしかしだ、どの国世界でも人である以上、生きている以上比べる対象を求める。故に少なからずズレを意識する。そこで本題に戻すが、そのズレが原因でこの感情というのは弊害に変わる。自分のこの感情は怒りと呼べるのか?悲しみと呼べるか?いやこの胸に燻っている炎はなんと呼べば良いのか?と世間の常識に己を合わせてしまう。甚だ本末転倒な話だ。世間からズレないように意識をしたら、結局自身からズレてしまうという人間の象徴とも言える愚かさだ。私は自身の感情をなんと呼べば良いか知らない。知ろうとも思わない。故に世間の感情を食らう。怒り等世間の人が尊ぶ感情の定理を頂く。嗚呼とても美味しい食事だ。この巡り巡る美味しさに感謝をこめ、いただきます。

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