第3話 思い出の帰路―前編―
さよ子が怪病になってから2週間が経過したある日
杏李はいつもの作業用の着物とは違う、亜麻色の髪に良く似合う深緑の着物を身につけていた。
今日は藤家に行く日なのだ。久しぶりだからこそ、みっともない姿を見せる訳にはいかない。
そうは言ってもさよ子や秀哉、菜帆にはいつも見られてしまっているけど。
──────────
こうなったのは昨日届いた手紙が理由である。
差出人は秀哉で、内容は簡単に言うと
さよ子のことで聞きたいことがあるから帰ってきてくれとの事だった。
さすがに自分を育ててくれた藤財閥の次期当主からの手紙を無下にすることは出来なかった。
それにさよ子が心配だったのだ。彼女は強い人なので平気そうに振る舞うが、本当は辛いのかもしれない。
「タマ、出かけてくるね。」
飼っている猫に声をかけると杏李は藤家へと向かった。
──────────コンコン
杏李は大きな扉をノックした。すると出迎えてくれてのは菜帆さんではなかった。
「……加賀見さんっ!」
杏李の表情が分かりやすく綻んだ。
「おやおやおや、杏李様。お久しゅうございますね。そんなに喜んでいただけるとこの加賀見めは恥ずかしくなってしまいますねぇ」
赤っぽくも見える黒い燕尾服に、少し長めのコシのある黒髪、そして黒曜石のような瞳をもつこの男性は
家を出てからというものの、会いたくても会えずに、こうして会うのは2年ぶりだった。
「杏李様……?」
加賀見が不思議そうに杏李の顔を覗いた。
「……えっ、ごめん。加賀見さんに会えたのが嬉しすぎて感動してた」
少し笑いながら杏李は言った。
「おやおやおや、可愛らしいですね。さぁさ秀哉様とお嬢様がお待ちですよ、牡丹の応接間へどうぞ。」
そう言った加賀見に杏李は悲しい顔を向けた
「えっ……、加賀見さんは案内してくれないの?」
「杏李様は部屋の場所をご存知でしょう?杏李様はお客様ではなく、我らが使えるべき藤家の一員なのです。
そう言って微笑む加賀見に杏李はムッとして
「僕は加賀見がいい。今だけはお客さんがいい……。」
少し照れながら言った杏李を見て加賀見は一瞬驚いた顔をしてこう言った。
「おやおや……、まだまだ甘えたさんですね。すっかり大人になったと思っていたのにこれは坊には私がいないとダメですね。」
何故か嬉しそうに加賀見は言うと杏李の手をひいた。
「坊じゃない……。」
そう言って恥ずかしそうにしながらも杏李は抵抗することなく加賀見に優しく手をひかれていった。
……コンコン、
「秀哉様、お嬢様失礼致します。杏李様をお連れしました。」
すると中から秀哉のくっきりとした優しい声が聞こえてきた。
「入れ。」
牡丹のステンドグラスがはめられた重厚感のある扉を加賀見が開くと、そこには珍しく洋服を着た秀哉とさよ子がいた。
2人がとても美しくて杏李は、少しの間ぼーっと黙ってしまっていた。
「……うわぁ!」
気づくと杏李の目線のすぐ近くに秀哉の整った顔があった。
杏李は驚き、大きくしりもちをついてしまった。床には高級そうな絨毯があったが痛いものは痛い。
「おっと坊、大丈夫か?」
秀哉は白いシルクの手袋を外し、杏李に手を差し伸べた。
「……ありがとうございます」
そう言った杏李を見て秀哉はにやりと微笑むとひょいっと杏李を抱き上げてしまった。
「……なんでっ…ですか!?」
杏李は困惑して秀哉に聞いた。
「こっちの方が良かったかなって思ってね。」と秀哉は当然だろ?とでも言わんばかりに言った。
「おろしてください、秀哉様!」
杏李は秀哉の腕の中で精一杯暴れてみるが、秀哉の手は全く緩まない。
「ほらほら、暴れない暴れない。俺のことを昔みたいに呼んでくれたら、ちゃんとおろしてあげるから。」
「……
そう杏李が言うと、秀哉は天を仰いだ
「……ありがとう、兄様嬉しくて涙がでそう。」
秀哉はそのまま少し歩くとさよ子が座っているソファの向かい側に杏李を座らせた。
──────────
「まったく、秀哉様ときたら本当に杏李様のことが好きですねぇ。」
秀哉は手袋をつけ直しながら、勢いよく振り返りこう言った
「それは加賀見もだろ、というかまだ居たのか?早く仕事に戻れ。」
「杏李様には優しかったのに……。」
加賀見はぼそっとつぶやき胸に手をあて、
「それでは、私めはこれで失礼致します。」
と加賀見が出ていこうとすると秀哉が呼び止めた。
「あぁ、そうだった加賀見。」
「なんでしょう?」加賀見は首を傾げる。
「今日は杏李が泊まる、準備しておけ。」
「……!」
「仰せの通りに」
加賀見は嬉しそうな顔をして、上機嫌に部屋を後にした。
──────────
「……?」
とここでようやく杏李はおかしなことに気づいた。
「秀哉様。僕泊まるんですか?」
「……そうだよ坊。なあに、準備は大丈夫だから心配しないで。」
「そういうことではないんですけどね……。」
杏李が不安そうな顔をすると秀哉はそれを見逃さなかった。
「どうしたの坊?」
「猫にご飯あげなきゃ……。」
「あぁ、なんだそんなことかそれなら心配ないよ。」
「……?」
杏李は不思議そうに秀哉の顔を見つめた。
「もう杏李の家に世話係を送ったから大丈夫だって。」
杏李は一瞬驚いたが、そっかこういう人だったな……と懐かしくなり、温かい気持ちになった。
──────────
「さてと……。」
「兄様、今日確か職人さんが来てますわよね?」
ここでずっと黙っていたさよ子が声を出した。
「あぁ、確か装飾具を作っている……なんと言ったかな。」
秀哉は、職人の名前を思い出そうと緑茶を飲みながらうーんと唸った。
「まぁ、いいわ。名前は重要じゃないですもの。」
「……さよ子、名前は大事だと思うよ。」
少しおかしなさよ子の発言にツッコミを入れながら杏李はさよ子に質問した。
「どうして職人さんの話……?」
「ほら、この間ビー玉を差し上げたでしょう?そのままだと無くしてしまうかもしれないと思って。」
少し恥ずかしそうに手を顔の前で合わせて、さよ子は言った。
「せっかくだし、職人さんに会いに行きましょうよ。」
「うん、秀兄様はどうしますか?」
杏李は義兄に声をかける。
「……俺は、いや
と秀哉は脱いでいた上着を身につけ、仕事モードに切り替え部屋を後にした。
────────
「さぁ杏李、私達も行きましょう。」
とさよ子は純白の長袖ワンピースをひらひらさせながらソファから立ち上がった。
「……さよ子。」
「何かしら?」さよ子は杏李を見て首を傾げる。
「まだ見えてないんでしょ……、大丈夫なの?」今だって杏李とは目が合わない。恐らくほとんど見えていないはずだ。
「はっきりは見えないけど、うっすらとした光の色なら分かるの。だから大丈夫よ心配しないで。」
うん……、と心配そうに杏李は返事をした。
────────
それから少しして
2人は職人のいる部屋へと向かった……
後編へ続く
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