第4話 



「エイミは娘がいる中年男性と、オレの育ての親のところを訪ねて、やっぱり顔を真っ赤にして飛び出してきた。もう行方はわからない」


 エルジオンのイシャール堂に戻ってきたアルドは、沈痛にうなだれて、店主ザオルの前でそう話した。それ以外に、報告の仕様がないからだ。


 いつもマイペースにレジ奥に立っている青年の姿はなかった。ザオルによれば、街中で身を屈めたり激しく動いたりしたせいでパンツが破れたので、買出しに行かせているとのことだった。

 それもどうなんだ従業員への嫌がらせじゃないのか、と思わないこともなかったが、店主が懐かしそうに、昔はパンツが破れるたびにエイミのやつに大きなオナラしたんでしょ、バカ親父、と勘違いで苦笑いされたモンだ、とがははと大笑いする姿が、なんだか居た堪れなくて、思わず昔話を遮って報告をしてしまうアルドだったのだ。


 その可愛い一人娘が、相当の年上の男性を選んで訪ね、彼ら自身の口からは話せないような内容の話をして歩いている、などという話を、自らの胸中にだけ仕舞い込んでおくことが、辛くなってしまったためである。


 報告を受けた店主は丸太のような両腕を組んでいた体勢で凍りつき、おお、とかああ、とか妙な唸り声を上げるだけで、顔色が優れない。

 数秒前まで愛娘の昔話に破顔しご機嫌だった彼もまた、アルド自身と同一の結論に達し、それまでの有頂天さから一転して青くなったに違いなかった。


「……アイツが、その、おっさんたちと、どんな話をしていたかは、確認できたのか」

「本人たちに直接聞いたけど、詳しくは教えてくれなかった。懐かしくなるような、気恥ずかしい、若い娘さんの口から聞くとは思ってなかったことだって」

「むううん……、そんなのは、十中八九、愛の告白じゃねえのか」


 アルドが避けて避けて通していた、受け入れ難い結論を、店主は青くなりながらも冷静に口にした。さすが、エルジオンにこの人ありと謳われて久しい三ツ星ウェポンショップ・イシャール堂の名物店主。肝の据わり方は常人のそれを逸していたらしい。数多の戦場と時代を駆け抜けてきたアルドとて、その点だけは彼に敵わなかった。


 だって、ちょっと、あの勇ましくて勝気なエイミが、年上男性ばかりを選んで訪ねて真っ赤になって走って逃げるほど、照れるなんて、本当に、それしか思いつかない。他に理由があるなら、逆に教えてほしい。早めに。


 他に想像ができないゆえに、アルドはザオルが導き出したその重い結論を、頷いて肯定するしかなかったのだ。


「うん……、オレも、そんな気はしてた」

「アイツが、エイミが、同い年くらいの娘がいる中年男と、おまえの父親に告白を」

「あ、いや、オレの育ての親は爺ちゃんだから、かなりの老人だ」

「じゃあその、中年男とおまえのじいさんに、アイツが、愛の告白」


 不調なときのリィカのように、ザオルは同じような言葉を繰り返し口にした。青ざめて、床を眺めながら、まるで一気に数年は年老いたかのように覇気を失っていく店主のさまに、アルドはひどく狼狽した。ショックなのはわかるが、ここまでとは。


 先ほどまで、パンツがどうだと浮かれていた様子からかけ離れ過ぎて、見るに堪えず、慌ててフォローしてやりたくなるのも、道理だっただろう。


「……いや、まだわかんないんだけどさ。決めつけるのは早いって言うか。二人とも、エイミ本人に聞けって、詳しく話してくれなかったし」

「そりゃそうだろ、親子ほど年の離れた娘に告白された、なんて打ち明けられるか」

「そ、そうなのかな。やっぱり、そうなのか? じゃあ、最初の、セバスちゃんの家から飛び出してきた、あれはなんだったんだ?」

「そんなの、アイツのダチなんだろ。ずっと悩みを相談してて、晴れて年上の男に告白する決意が固まったとかって、宣言したりしたんだろ。そういう儀式も必要だったのかもしれねえ。なんせ、相当の年上なんだろ」

「そ、そうだけど。あ、ああ、そうだ、うちの爺ちゃんは、娘さんらしい可愛らしい相談をされたって言ってた」

「じゃあ、本命はじいさんじゃなくて中年男のほうだったんだ。同い年くらいの娘もいるおっさんに、はあ、アイツが、はあ、マジか。溜息が止まらねえ」


 悲痛に眉根を寄せ、広い店内で大きな身体を折ってうずくまり、両手で顔を覆ってしまう打ちひしがれた姿に、アルドはあわあわと狼狽した。年頃の娘を持つ父親の心境など与り知らぬものではあるが、そうとう繊細なのだと伺い知るしかなかった。

 旅の途中でなにかあれば、いつも頼りきりになる彼は、いつ訪ねてもここ、イシャール堂の中で巨躯を反らして勇ましく笑い、どんな無理難題も任せろと請け負ってくれる、頼もしくてたくましい大人の男、だったのに。


 娘一人に、こんなにも心を砕く、デリケートな一人の父親だったのだと。


 クロノス博士もそうだったのかな、とアルドは一瞬だけ、なけなしの記憶を辿った。妹のフィーネを可愛がるときのあの人は、確かに普段の冷静さをかなぐり捨ててめろめろに甘やかしていた気もする。世の父親とはそういうものなのかもしれない。娘とは、アキレス腱なのだ。傷つけば、立てない。


 現に、目の前の筋骨隆々とした大柄な父親は、冷たい床の上でうずくまって、ぴくりとも動かないのだから。


 だが、そうはいっても、傷ついたままになどしておけない。なんとか勇気づけて起き上がらせなくてはと、アルドは両手を振りながら、必死で言葉を探った。彼を立ち直らせられるような言葉を。


「あ、あのさ、そんなに落ち込まなくても。それに、ラキシスは、エイミが逢いに行った中年男性は、娘はいるって言っても、かなり良いやつだし。すごく頼りになるし、身分も高いし、優しいし、勇ましいし、人望はあるし、悪いところなんてないぞ? かなり年上なだけで」

「ばかやろう、娘ほど年の離れた相手を誑かしてる時点で、悪人以外の何者でもねえだろ。本当の善人は、小娘相手に恋心を抱かせるような勘違いもさせねえよ。年下をかどわかすおっさんが、良いやつだった試しはねえ。悪人は悪人だなんて自己紹介はしねえからな」

「それは……、そうだろうけど」

「ああ、エイミに限ってそんな胡散臭いやつに引っ掛かりやしないだろうとタカを括ってたが、まさかだ。何を浮かれてやがるんだ、目を醒まさせてやらにゃならん」


 ひとしきり落ち込む中で、なにかを決意したかのようにゆっくりと立ち上がったザオルからは、言い得ぬ独特の迫力があった。気圧されて後退りしながら、アルドは落ち着けよ、と繰り返すことしかできない。


「き、気持ちはわかるけどな。娘の恋路を応援してやったって、罰は当たらないと思うぞ?」

「これが若い男相手なら俺もなにも言わねえよ。相手が相手だから問題なんだろ。あっちには若くて可愛い無知な年下と付き合うメリットは満載だろうが、アイツに年上と付き合っていいことなんてねえ、若者の時間を搾取する権利は誰にもねえんだよ」


 わからない、難しいことを言っている。年齢の差異だけであれこれ言うのは自分でもどうかと思っていたけれど、ザオルの言い分はよくわからないなりに、なかなか筋が通っているような気がしてきた。

 でもこれを認めてしまうと、自分の時代でとても世話になっているラキシスという人格者を貶められた気がしてよくないとも思えた。


 どうしよう、とアルドは震えた。パンツの話をして笑っていたザオルの笑顔が、遠くにいってしまったようで、悲しくもあった。そういえば、彼のパンツを買いに行かされたレジ係はどうしたんだろうか。


 彼のマイペースな語りで、ザオルを正気に戻してもらえたら、と祈るような思いでいた、ちょうどそのとき。店のドアプレートがしゅん、と軽快な音を立て、いま戻りましたあ、と気の抜けた声が店内に響き渡ったのだ。


「Lサイズ、でいいんでしたよね。ほら、買ってきましたよ。探したんですから、いま流行のモベチャ・アンド・ペッポーリの新作トランクス」


 なにやら馴染みのある単語を聞いた気がして、アルドは弾かれたように振り返って我が耳を疑った。


「なんなんだよ、その呪文みてえな妙な名前のブランドはよお。聞いたこともねえぞ、俺様がガキの流行になんざ乗るわけねえだろうが」

「またまたあ、通気性と伸縮性が抜群って有名ですよ。これなら、どんなに暴れたってなかなか破れません。ザオルさん向きでしょ。何回もおっさんのパンツ買いに行かされるんじゃこっちも堪りませんから」


 明け透けが過ぎるレジ係の物言いに、一触即発以外のなにものでもなかった店主の勢いは毒気を抜かれ、大きな嘆息とともに太い両腕を組んだかと思うと、彼はやれやれと首を振ってみせた。

 青くなったり赤くなったりと忙しかったが、どうやら、とりあえずは怒りの炎は収まったようだった。アルドもほう、と安堵の息を吐く。


「まあ、俺のパンツは2Lサイズだけどな。そんだけ伸縮性に自信があるなら穿けるんだろ、貸してみろ」

「いやサイズ違うんじゃどんだけ伸びたって無理だろ! あんたも、なんで買いに行く前に確認しなかったんだよ!」

「うそでしょ、先週はLサイズがぎりぎり入るって言ってたじゃないですか。あれから太ったんですか?」

「前回でぎりぎりなら今度はワンサイズ大きいのを買うとか、機転、機転! っていうか、先週もパンツ買わせてるのかよ、なんなんだこの職場!」

「ばかやろう、アルド、パンツは消耗品だぞ。いくらあったって、破れるときは破れるんだ」

「よく破れるならスペアを持ち歩くとか、ああ、もう、ツッコミが追いつかなくて疲れてきた……!」


 疲れるよね、わかるよ、この職場じゃしょちゅうさ、とレジ係は軽薄に笑ったが、疲労の原因は半分が彼だということを理解していないらしい。

 余計に疲れて、アルドはその場に座り込みたい気持ちでいっぱいだった。だが、一度膝を付いては、立ち上がるのが難しい気がして、それは憚られた。まだ、すべてが解決したわけではない。そうだ、まだ、重要なことは宙ぶらりんだった。


 パンツの一件で気分を持ち直したザオルだが、娘の問題を忘れ果てたわけではないだろう。このまま忘れてほしい気もするが、それは無理だ。なんせ、あれだけ怒り心頭だったのだから。一触即発だったのだから。


 また、不用意に爆発させないように細心の注意を払い、どうにか、穏便にあの件を──。


 などと、一人あれこれと思案しているアルドの目の前で。ブティックの紙袋の譲渡が行われ、渡したほうの青年が、そういえば、となんの気なしに口を開いた。


「エイミちゃん、いましたよ。同じブティックに。メンズコーナーで難しい顔をしながら、なんか一生懸命選んでたけど。プレゼントですかね?」


 あんまりに無邪気に投下された爆弾によって、再び繊細な父親の導火線へ火は着いた。


 ブティックのメンズコーナーだあ? と重低音を絞り出すのを聞いて、アルドは震え上がった。もうだめだ、ああ、もう、どうしてこう上手くいかないんだろうか、と泣き言を漏らしたかったが、時はすでに遅い。


「おっさんへの愛の告白じゃ飽き足らず、次はプレゼント作戦ってことか! どんだけおっさんに入れ込んでやがる、あのバカ娘! アルド、そのおっさんの家に案内しろ、いっぺん怒鳴り込んでやらなきゃ気が済まねえぞ!」


 丸太のような両腕を振り上げ、少なくない商品が陳列されている店内で暴れ出す猛牛がごときさまにレジ係は飛び上がって驚き、腰を抜かして床にへたり込んでしまった。仔細を把握していなければ、なにが起こっているのかわからず、店主の暴走についていけないのは当然だろう。


 危ないから下がっててくれ、とアルドは庇うように前に出て、いまにも駆け出しそうに鼻息を荒くする巨躯に向かい、暴れ牛をなだめるかのように必死で両手を上下させた。


「ザオル、頼む、落ち着いてくれ! 一度、ちゃんとエイミと話をしたほうが絶対にいいと思う!」

「うるせえ! ひとの娘たらし込んで鼻の下伸ばしてるくそ野郎に一発入れねえと、筋が通らねえだろうが! 若い女を食い物にするやつなんざ、ろくでなし以外いねえんだからな!」

「肩を持つようで悪いけどラキシスはそんなやつじゃないから! 頼むから誤解はそこまでにしてくれ!」

「なんだと、おまえはそのおっさんに味方するのかよ、見損なったぞ! クソが、ああ、もう、なんだってんだよクソッタレがああ!」


 烈火のごとき激しさで怒り狂っていた大男は、思いがけない冷や水を浴びせられ、一瞬だけ沈痛に眉根を寄せながらも即座に再度燃え上がり、大声で喚きながらドアプレートに向かって突進し、通りへ出て行ってしまった。

 危ない、あれではまた誰か撥ねてしまう、自分のように受身を取れない一般人では大怪我を負ってしまうだろうと、アルドは慌てて後を追った。面倒だから放逐しよう、などとは欠片も発想がなかった。


 後に残されたレジ係は、店から出て行った二人をぽかんと見送るしかできず、床に放り出された紙袋を見つめ、首を傾げた。


「ラキシスって誰だ? ザオルさんの下の名前?」



□□□



 暴れ牛にも欠片の理性が残っていたらしく、通りを行く人垣を縫うようにして駆け、彼は次第に人通りの少ない道へと入っていった。その先は、廃道ルート99に出る。街中では暴れられないと見て、存分に怒りを発散できる場所を選んだのだろうか。


 それにしたって、リーダーを欠いたとはいえ、いまだに反共生派の過激な合成人間たちが闊歩しているエリアだ、危険極まりないことは理解しているはずなのに。

 かつては、愛娘のために作成していた特注の武具を盗んだ不届き者に差し向けられた大型メカに、正面からぶつかって拮抗したという武勲があるとはいえ。


 それとこれとは状況が違い過ぎだ、自暴自棄にもほどがある。あんまりに無謀だろう、そこまで思い詰めることなのだろうか。


 親父さん、待って、待ってくれといくら叫べども、意外と軽快に失踪する彼の足は止まらない。

 走りの専門家のように姿勢は洗練されていて、無駄のない筋肉の使い方をする。エイミの俊敏な身のこなしは彼譲りのものだったのかと、場違いに感心しながらも、アルドは懸命に後を追った。


 機械の残骸や、崩れた道路の瓦礫などの散乱するこの辺りは、未来世界にしては珍しく空気も悪く、埃っぽい。廃道として放棄されたエリアゆえに、空調ほか、管理自体が放棄されているのだろう。それゆえか、ここだけは時折、自然由来の雨に当たることもあるほどだ。


 崩れかけた継ぎ接ぎの道路上を、巨躯が駆け抜けるたびに足元の粉塵が舞い上がり、アルドは幾度かごほごほと咳き込んだ。追う背中の向こうに、工業都市廃墟の大きな影が見えてきたころ、アルドは一際大きくそれらを吸い込んでしまい、気管に取り込んだのか息苦しさに思わず足を止め、激しく噎せた。


 道に膝をついてげほんごほんと咳をする声を聞き、ザオルもさすがに立ち止まった。己の暴走に巻き込んだ自覚はあったのだろう。足を止め、振り返って駆け寄ろうか、そのまま走り続けようか躊躇し、注意力が散漫になった、そのときだった。


 きゅいいん、と甲高い目標捕捉音が、二人の鼓膜を同時に貫いた。

 アルドはがばりと顔を上げ、ザオルも前方を振り返る。エアポートに配置されている巨大作業アームよりまだ大きい、黒い影。

 巨人のようなシルエットの顔の位置で、真っ赤なセンサーがぎらぎらと光っていた。


 人間だな、と機械音声が響く。巨人型の合成人間に捕捉され、アルドは背中がぞわぞわと粟立つのを自覚した。

 まずい、この体勢では、ザオルの前に出るより先に、相手のリーチが彼に届く。


 青褪めて立ち上がるより早く、機械の長い腕が、手にしていた凶悪な得物を振り上げるのが、はっきりと見えていた。

 周囲の音が消える、

 雑音が遠ざかり、

 己の鼓動が、鼓膜の裏でどくどくと波打つのを、

 聞きながら


 ザオルが忌々しそうに相手を見上げたまま、両腕で頭を庇おうとするのも、見えていた。だけど、そんなの、意味がない。


 避けてくれと、叫ぶのも、間に合わない。


 まっすぐに、振り下ろされる。

 ぎらぎらと不気味に煌く、自分の時代では斧と呼んでいた、鋭利で巨大な刃を備えた、その凶器が


 彼の、脳天に向かって


「せええいっ!」


 勇ましい掛け声を上げ、巨人の脇腹へ渾身の拳とともに突進してきた身体は、

 隣に位置する、道路レールから、躊躇なく跳躍してきた。


 轟音とともに粉塵を舞い上げて転倒する巨体の足元に、まるで猫のようなしなやかなモーションで着地したその人物は、己を信じられないものを見るように見つめる二つの視線を一瞥し、敵個体に向き直ってアルド、と凛々しく青年を呼んだ。


「このエリアに入ったら、油断は禁物よ。武器も持たずに飛び込んだお荷物が居るなら、なおさら」

「……お、お荷物たあ、お、俺のことかよ!」

「下がってて。ほら、アルド、まだ終わってないわ、付き合いなさい」


 言い終わるより早く、ぴんと伸びた背中を屈めて姿勢を低くし、重心を狙う体勢に入る。

 この手の敵との渡り合い方を、熟知している。

 その頼もしさを見て、深呼吸とともに冷静さを取り戻し、アルドも腰に佩いていた剣を構えた。

 ああ、すまない、助かった、と言葉すくなに礼を述べると、肩越しに振り返った少女が不敵に微笑む。調子が戻ったことは、伝わったようだった。


 彼女の意図を汲んで、アルドが先手を切って跳躍する。大振りの動きで注意を引きつけ、上体を狙う攻めの手を繰り出し、相手の攻撃を誘う。


 エイミも強靭な下肢への突きをいくつも見舞いながらも、決定的な打撃は与えない。踏み込む足、切り返しの癖などから、利き足を探る。決定打を外さないために。


 そうして、彼女が合図のように大きく振り被るのを見て、アルドはひとつだけ頷き、間合いを取るために後ろへ跳んだ。

 改めて構え直した大剣で敵に狙いをつける動作に続き、大声で威嚇してから、渾身の一撃を放とうと、あえて隙を作る。それを見逃すまいと、巨人型合成人間が、素早く手にした武器を大きく振り上げた。


 相手は腕が長い、勢いよく振り被った武器は重量を増し、目にも留まらぬ速さで落ちてくる。


 振り下ろせられれば。


 男の渾身の一撃が放たれるより早く攻めねばと、これで決めるとばかりに大きく踏み込もうとした膝を、待ち構えていたエイミが真横から強烈に殴打した。


 むき出しの間接部が軋む。

 膝を破壊できなくても、異常を起こせられればそれでいい。正しく着地ができなければ。


 アルド一人に注意を逸らし、自身は目立たず、巨体の全重量を支える膝一点に決定打を絞ったのは、そのためなのだから。


 利き足の機能を破壊され、振り被った武器の重さと勢いを正しく処理できなくなり、バランスを崩した巨体は激しく咆哮しながらも、残った一本の脚部で全身を支えようと揺らめいて足掻いたが、その隙を見逃すはずもない。

 容赦のないアルドの渾身の一撃が大きな跳躍とともに届き、巨人は頭部を破壊され、振り下ろすはずだった武器もろとも道路上に崩れ落ちて、完全に沈黙した。


 長い旅の中で培った、二人の完璧な、コンビネーションだった。


 動かなくなった金属の身体を見下ろし、仲間はいないな、と確認してから大剣を鞘に収めて、アルドは大きく息を吐いた。

 危なかった、守れないかと思った。絶体絶命だった、間違いなく。


 彼女が、駆けつけてくれなければ。


「……で。どういうことなのか、説明してもらうわよ。本当に危なかったんだからね、自覚はあるんでしょうけれど」


 娘の言葉に従い、二人から離れて瓦礫の裏に隠れ、ことの成り行きを見守っていたらしい大男が、完全にご立腹の娘に言い寄られ、両腕を組んだままああ、とかうう、とか歯切れ悪く唸っている。

 窮地に立つまで、ご立腹だったのは、彼のほうだったというのに。


 まあ、あんまり責めてやらないでくれよ、と見かねて仲裁に入るアルドだった。


「ちょっといろいろあって、冷静じゃなかったんだよ。エイミだってわかるだろ、いつもの親父さんなら、こんな無謀なことしないって。本当にちょっと、いろいろあったんだ」

「ちょっとなのかいろいろなのか、ハッキリしなさいよ。親父が冷静じゃなかったのは、通りを爆走するところから見てたから、知ってるわ。なんでそんなことになってたのかを聞いてるの」

「ううん、それを聞いちゃうかあ」


 どうやら、人垣を縫いながらガンマ区の通りを駆け抜ける父親の姿を見て、なにごとかと後を追ってきたらしい。

 派手に暴れて悪目立ちをしていた、と反省はしていたが、目立ったからこそ彼女の助けを得られたということか。怪我の功名とはこのことだ。


 だが、暴走の理由を、ほかの誰でもない彼女自身から問いただされることになるとは。まさか、自分が原因だ、などとは露も思ってはいないだろうに。

 ザオルも、己をあれだけ翻弄した愛娘本人から責められるなど、筋が通らないと憤慨してもおかしくはない。

 現に、なりを潜めていたはずの怒りが舞い戻り、肩を怒らせ全身を震わせ始めていた。命の危機を救ってくれたとはいえ、それはそれ、これはこれ。


 アルドが親父さん落ち着いて、となだめすかすより先に、ザオルは自分と同じように両腕を組んで己を見据える娘に向かって、説明しなさいよはこっちの台詞だとうへんぼく、と怒号を飛ばしたのだ。


「親に黙ってこそこそとなにを企んでるかと思えば、俺に顔も見せられねえくせに、男には逢いに行ってたんだろう! この親不孝者が、おまえがそんな娘だったなんて失望したぜ!」


 まさか命を助けた父親に怒鳴られるなどと思いもしていなかったのだろう、エイミは大きな瞳を見開いて、はあ? はああ? と負けじと青筋を浮き上がらせ始めた。

 言われっ放しは彼女らしくないとはいえ、ここで怒鳴り返せるとはさすがはザオルの子。父に理不尽に声を荒げられても、臆すことなく立ち向かえる勇敢さには脱帽するしかないアルドだった。


 とはいえ、いまだ危険地帯であるエリアで怒号合戦を始められては収拾がつかない。やはり仲裁に入る役は必要不可欠だった。


「ごめん、エイミ。オレ、今日はずっとエイミを尾行してたんだ。親父さんに頼まれて」

「こんなやつの頼みを聞いて、貴重な一日を潰したの? お人好しも過ぎると酔狂っていうのよ」

「ごめん、怒るよな、悪かったと思ってるんだ。反省してる、ザオルも反省してるから」

「反省するのはそっちだろうが、たまにエルジオンに帰ってきたと思ったら、離れて暮らす父親に挨拶もなしかよ。恩を仇で返されるたあこのことだな!」

「手塩にかけて育てた娘なら、後をつけてプライバシーを侵害しても不問だと言いたいのね? 危ないところを助けられても、礼の一つもしなくても良いと言いたいのね?」

「ザオル、オレも言うことはあると思う」

「ちくしょう……っ。助かったよ、おまえが来てくれなきゃ、俺はいまごろ真っ二つだった!」

「尾行も謝ろうな?」

「そっちは謝らねえよ! 言いたいことは山ほどあるんだ、ラキシスっておっさんに告白して、服屋でプレゼントも選んでたんだろ! おっさんに! 親子ほど年の離れたおっさんにだ!」


 太い両腕を振り回して暴れながら吠える父親に、エイミはまた特大のはあ? を返した。

 さきほどは売り言葉に買い言葉のごとく青筋を立てていたが、今回は純粋に疑問符を伴ったものだったらしく、勢いがない。


 違和感を覚え、二人の間に立っていたアルドが、なにか違うのか、と言葉を挟む。


「親父さんが後をつけたのは、セバスちゃんの家の前までなんだ。そこから真っ赤な顔をして飛び出してきたのを追ったのはオレ一人で、ラキシスと爺ちゃんのところからも、同じ顔して飛び出してきたのは見てたんだけど」

「あー……、そういえば、そんなこともあったわね。わたし、そんなに顔、赤かった?」

「真っ赤だったぞ。なにごとかって気になって、頼まれはしたけど、純粋に心配だったのもある」

「それは、申し訳なかったわ。赤くもね、なるのよ、あれは。もうびっくりしちゃったんだから」

「びっくりはこっちの台詞だ、放蕩娘が。ダチの家を飛び出して、おっさんに逢いに行ったって聞いて、俺はもう呆れてよお。自分の倍は生きてるおっさんに誑かされて、プレゼントまで選ぶなんざ、情けないったら。娘ほど年の離れた若い女に入れ込む男はみんな、ろくでなしだっつーんだ。一発入れてやるって暴れてたのよ!」

「あっそう、ぜんぶ自分の勘違いなのに?」


 へえ? と今度はザオルが妙な声を出す番だった。


 それまでは両腕を組んで肩を怒らせ、父親の態度に怒り心頭、という様子だったエイミは呆れたように肩を落とし、大きく嘆息を吐いた。

 目を丸くする男二人の前で。

 括り上げた長い髪を掻き上げ、やれやれと首を振って。


「まったく、なんでそんな勘違いしちゃうのよ。ぜんぶ外れよ、きれいに。逆にびっくりだわ」

「ぜ、ぜんぶ外れ? どういうことだ?」

「まず、ブティックに行ったのだって、まさにプレゼントを選んでたからよ。父さんに」

「とうさ……、は? 俺?」


 唐突に己を上げられ、ザオルは仰け反って驚愕した。怒りで真っ赤だった顔が一瞬で元に戻る。素直に過ぎる父親の反応は捨て置き、呆れながらもエイミはさらに続けた。


「最近、なかなか帰ってこれないからさ。手ぶらで逢いに行くのも申し訳ない気がして、店の前まで行ったけど、予定変更したの。なにをあげたらいいか、セバスちゃんにも相談しようと思って。そうしたら、メンテナンス中のガリアードがいたから」

「ガリアード? なにか今回の件に、関係あるのか?」

「おおアリよ。ガリアードにも聞いてみたんだもん、父親ってなにをもらったら嬉しいか。そうしたら、クロノス夫妻の記録があるかもしれないってメモリ検索してくれて」

「ああ、まあ……、父親といえば父親か。で、なにかわかったのか」

「そうよ、検索終わったガリアードが、開口一番に、パンツだなって言うから」

「パンツ」

「パンツ」


 無意識に鸚鵡のように繰り返してから、アルドとザオルは同時にエイミを見た。


 それまでの気丈さはどこへいったのか、俯いたその顔は、真っ赤だった。友人の家から飛び出してきたときと同じように。


 ミグランス城の詰め所から飛び出してきたときと同じように。

 バルオキーの村長の家から飛び出してきたときと同じように。


 ああ、とアルドは大きく口を開けて驚愕する。

 そういうことだったのか、と。


「マドカ博士は、月に一度は新しいパンツをプレゼントしていたようだって、あのひと、真顔で言うのよ。もう、びっくりしちゃって。セクハラよってぶん殴ったほうがよかったんだろうけど、そのときはそんな余裕なんかなくて。飛び出したはいいけど、どうしようって考えて、じゃあ本当に父親はパンツなんてもらって嬉しいのか、ほかの父親に、聞いて回ろうと思って」

「それで、娘がいるラキシスと、フィーネの育ての親である爺ちゃんに、パンツの話をしにいったのか。……エイミ……、どう考えてもむちゃくちゃだ」

「わ、悪かったと思ってるわよ。いきなり押しかけて娘にパンツもらったら嬉しいですか、って聞くなんて、ほぼ通り魔だったわよ。ラキシスさんには大笑いされるし、村長さんには微笑まれるし、もう散々よ。我に返って、すぐに帰ってきたじゃないの」

「ラキシスの時点で我に返ってくれよ」

「反省はしてるわよ。数時間前に戻ってやり直したかったけれど、できないんだもんね、いくら時空を超えられるとはいえ、はあ。仕方ないから割り切って、パンツを選んでやろうと思ったんじゃないの」


 疲れ果ててブティックから出てきたら、その親父がなぞの暴走をしてるのを見かけたのよ、びっくりどころじゃなかったんだから、と重ねて、エイミは大きく肩で息を吐いた。


 真相が判明すればなんのことはないが、親子でずいぶんとすれ違ってしまったものだ。


 真っ赤になりながら淡々と説明をしてくれる娘を、大柄な父親は灰色の空を背負いながら、呆けたように見つめていた。

 己の危惧が杞憂であったとわかり、気が抜けたのかもしれない。

 愛娘を狙う下衆男は存在していなかったのだ。その感慨や、いかばかりか。


「……おまえ、おっさんに誑かされてるわけじゃ、なかったのか。変な男に引っかかってるわけじゃなくて、おっさんどもに、パンツの話をしに行ってた、だけ、なのか」

「その言い方はやめてよ。一言一句間違ってないけど。手土産にはケーキとか、手料理とか、いろいろ考えもしたんだけどさ。父さん、物持ちいいし、古いものも大事に使うでしょ。新しいの、買ってあげるのも、いいのかなって思っちゃったのよ」

「エイミ……」


 感動からか、声を詰まらせてごほごほと咳き込む父親を見つめ返し、エイミはまだ少し照れ臭そうに笑ってから、ほら、エルジオンに戻りましょ、と父親の隣に立ち、背中を押して促した。


 あれほど怒り狂っていたザオルも、娘の気遣いを余すところなく受け止め、嬉しそうに大股で歩き出す。


 かくして、二人の父娘の確執は氷解し、大団円へと向かっているように見えた。

 後を追って歩き出しながら、アルドも苦笑を浮かべ、やれやれと肩を竦める。


「……まあ、物持ちがよくて古いのばっかり穿いてるから、すぐに破れるってことなのかな」


 周囲に散乱する瓦礫を踏み越えて、先を行く二人に名を呼ばれるのに片手を上げて応えながら。なんだか大変な一日だったな、と振り返って、嘆息が漏れて仕方のないアルドだった。


 そして、変わらぬ親子の絆を見せられて、逆に安堵すら抱いてしまう始末だった。



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