第2話 


 自分の生きている時代から数えて、遥か未来であるこの時代の街は、何度訪れてもその空の近さに慣れることはなく。

 冷たくて固い物体に覆われた空中都市の、整備された無機質な道の感触を靴の裏に感じ取りながら、アルドは大きな背中を追うしかなかった。


 事情は、まったく良くわからないまま。


 なんで、彼は黙って娘の後を追うんだろうか。

 逢いたいなら連れて来る、という申し出は、なぜ断られたのだろか。爺ちゃんなら、そんなまどろっこしいことはせずに、逢いたいときは逢いたいと言ってくれる気がする。そりゃあ、オレから逢いに行けば、喜ぶとは思うけれど。

 いや、もしかしたら、爺ちゃんも言わないだけで、本当はオレの後をこっそり追ってたりするんだろうか。それが親心ってもんなんだろうか。まったく良くはわからないけれど。


 というか、こんな謎の意地を張るのが親心なのか? 違う気がする、そもそも、なぜ後を追うんだ。いままで通り待ってはいられなかったのか? 待ちきれなくて飛び出すなんて、むしろ子どもでは。あれ親心はどこへ行った? 親心ってなんだっけ?


 疑問は堂々巡りを繰り返し、アルドは巨躯の後を駆けながら唸った。

 つまり、注意力散漫だった、前後不覚とも言えた。

 結果として、急に足を止めた広い背中に、顔面からぶつかることとなったのだ。


 先ほど撥ねられた、大岩のような身体に、である。


 あまりの衝撃にそれまで思考していた内容は吹き飛び、一瞬眼前に火花が散ったが、今度こそ、アルドは片膝を付くのを堪えた。

 顔、とくに鼻柱は恐ろしく痛かったが。


「い……った。なん、どうしたんだよ、急に」

「アルド、隠れろ。そこにエイミがいる」

「え、ここに? ……ここは」


 場所は、なんの変哲もない、同じガンマ区内の道の途中。ちょうど、ブティックの前に当たる位置だった。

 そしてその辺りは、常に、いわゆるゴシックロリータ風、と呼ばれるフリルがふんだんにあしらわれたシックな衣装を身に纏った、やや風変わりな少女がたたずんでいる場所でもあった。

 エイミは、その少女と、なにやら話し込んでいるように見えたのだ。


 店主は彼女らの視界に入らないようにと、己の巨体を建物の物陰に隠そうとし、アルドにもそれを強いた。

 仕方なく従い、大きな肩越しに少女たちを見つめることにはしたが、うまく隠れられる位置からは、二人の会話は聞き取れない。どんな内容の話をしているかは、唇の動きからも窺い知ることは難しそうだった。


 そして、それは店主ザオルも同様だった。


「アイツは知り合いか? なにを話してるんだろうな。黒いほうばっかり、やたらと得意げに喋ってるが」

「それは、まあ、通常運転だから。エイミは逆に、なにか考え込んでみるたいだな。内容が知りたいなら、もっと近付くか?」

「ばかやろう、近付いたらバレちまうだろ。それじゃあ本末転倒なんだよ」


 そんなに見付かりたくないんだな、と店主の一際強い思いを無意味に確信するアルドだった。


 身を潜めたままそうこう言い合っているうちに、ゴスロリ少女に手を振って別れた少女は真っ赤なジャケットを翻し、颯爽と区画移動エレベーターへと向かっていった。

 当然、大男も物陰からがばりと身を乗り出し、追うぞ、と低い声でアルドを振り返る。


 建物の影から突然現れた巨躯を目にしたゴスロリ少女が、怯えたように身を強張らせながら長い得物を構えたが、店主は我関せずという様子でエレベーターへと歩みを進めた。

 アルドは諦観を匂わせる菩薩のような表情で、少女に頭を下げながら彼女の前を横切り、重い足取りで大男を追うしかなかった。


 これは、長くなりそうだ。

 お手本のようなお人好しとして、数多くの案件に関わってきたアルドにとって、それはもう、経験から来る直感だった。



□□□



 シータ区画には、エイミが特に仲の良い友人の少女、セバスちゃんが住んでいる。

 案の定、彼女の住居へ迷いなく向かう背中を物陰から見守ることになり、隣で大きな身体を折り畳んで隠れていた大男は唸った。またなにを話すのか、聞こえないじゃないか、と。

 どこに行ったって隠れていれば聞こえないだろう、という指摘を、アルドは辛くも飲み込んだが。


 だが、ここでのむさ苦しい潜伏は長くは続かなかった。

 入って行ったばかりの家から、エイミは即座に飛び出してきたからである。


 普段の勝気な顔立ちを、羞恥に真っ赤に染めて。


 建物の影に身を潜めていることも失念して、アルドとザオルは唖然と立ち尽くし、走り去ってしまう少女を見送ることしかできなかった。


 ガンマ区と比較して、こちらは通り沿いに住居群が整然と立ち並んでおり、視界が良い。彼女がエアポートへ繋がるエルジオンのエントランスゲートに向かって駆けていく姿を、見失わずに済んだことは有り難かったが。

 とはいえ、なにが起こったのか、状況を把握しようと長く時間を費やして、少女の背中が吸い込まれていった大きなゲートの扉を凝視し続けていた二人は、どちらともなく相手へと向き直り、そして力なく首を振った。


「……なん、なんだ、いまのはよお」

「あんな顔したエイミ、見たことないけど。セバスちゃんの家で、いったい、なにがあったんだ?」

「女同士の会話で、なにか、恥ずかしくなるような話題……。ズボンのケツが破れてた、とかか?」

「それは走って逃げる前にすることが山ほどあるな。走ったらもっと破れそうだし危険だ」

「おまえ、いまのアイツのケツ見てたか?」

「見てるわけないよな?」

「だよな、安心したぜ」

「急に悪魔裁判するな」


 何故か嬉しそうに背中を叩かれ、前のめりに倒れそうになるのを、辛くも堪えたアルドだった。

 ともあれ、ただ事ではない雰囲気ではあった。放っておけない、とアルドの中のお人好しの精神が叫んでいた。


 往来の真ん中で直立したまま、あれやこれやと言い合うのを、道行く人々に怪訝に一瞥されながら。

 とにかく見失うわけにはいかないか、と我に返り、先ほどまでのように追うのだろうと駆け出そうとして、だが大柄な店主はいつまでも動こうとしないので、アルドは首を傾げた。

 追わないのか、と当然の疑問を口にすると、店主は唸って首を振ったのだ。


「……いいや、この件はどうも、俺が思っていた以上に複雑だ。女友だちの家から真っ赤になって飛び出してくるような、重大な何かがあったんだろ。追いかけて連絡の一つくらい寄越せ、と一喝している場合じゃなさそうだ」

「一喝する気だったのか。素直に顔を見せろの一言が言えないだけなのに、むちゃくちゃだ」

「ああむちゃくちゃだ、わかってる。父親ってのは基本、横暴なもんなんだよ」

「(自覚はあるのに反省がない)」

「だからな、アルド。予定変更だ。ここまで出てきちまってなんだが、俺はそろそろ店に戻らにゃならん。イシャール堂の顔たる俺があんまりサボってたんじゃ、レジのアイツにどやされる」

「あの人はあの人で、ほかに言いたいことが山ほどありそうな顔はしていたけどな」

「そこでだ!」


 アルドの険の立たない非難をさらりと受け流して、店主はいかつい顔を突き出し大きな拳を握り締めた。

 浅黒く雄々しい顔立ちの中で、不敵に煌く真っ黒い両目を見返し、アルドは瞑目して唇を噛んだ。


 嫌な予感しかしない──。


 だがすべて時すでに遅い。

 自分はもう、彼ら親子の引き起こす騒動に、とっくに巻き込まれていたのだ。いまさら、尻尾を巻いて逃げることは許されなかった。

 まず、目の前の大男から逃げる算段が思いつかなかった。


「アルドよ、アイツが真っ赤になってダチの家から飛び出して、走って逃げた理由を突き止めてきてくれ」

「いや無理だろ。どうせまた、絶対に見つからないまま突き止めろって無茶を言うんだろ?」

「察しがいいな」

「察したくなかった」

「本人に見つかったら、どこから尾行していたのか、なんで尾行していたのかを白状しなきゃならなくなるだろう。そうなれば芋蔓式に俺の企みもバレちまう。それだけは駄目だ」

「だから最初から本人を呼べばよかったのに!」


 アルドは悲鳴のような声を上げて抗議したが、ザオルの意思は強固だった。

 ほら、さっさと後を追え、見失うぞ、などと薄情な声を背中で聞きながら、一人で駆け出すしかなく、恨み言を返す余裕もなくて。


ああもう、となけなしの泣き言を口にするだけで、彼はエアポートに向かって走るしか、なかったのだった。



□□□



 最初に、この時代に迷い込んだとき、アルドはまるで空に浮いているかのようだ、と錯覚した。

 それくらいに、ここ、エアポートから眺める景色は、それまでの彼の生きた世界とかけ離れていた。大地を踏み締めて歩く世界では、どこまでも続く緑豊かな地平線が途切れることはなかった。

 それを、いまは、空中から見下ろしているなんて。


 いまだに、柵も手摺りもない、宙に浮いた金属をつなぎ合わせただけの通路を渡って、停車しているカーゴに乗り込むのは緊張する。

 足を踏み外して、遥か彼方に広がる地上へ落下してしまうのではないかと、いつもわずかな恐怖が過ぎる。その恐れも、長く続きはしないのだけれど。

 あと、案内板が少なくて、どこにどの車両が到着するかいまだに把握していない。案内板は欲しい。


 足を滑らせないようにと細心の注意を払いながら、身につけた甲冑が擦れ合う音を聞きつつ、通路上を疾走する。

 その最中に見通しのいいポート内を探せば、巨大な腕のような作業アームや飛び交うドローン、たくさんのコンテナの合間に、最奥に位置する通路を駆ける見慣れた背中が、床にぽっかりと口を開けた時空ゲートに吸い込まれていくところだった。


 その足に、一切迷いはなかった。彼女は、躊躇いなく時空を超えたのだ。


 いったい、どこへ? なんの目的で?


 それを判明させるために、こうして追っているとはいえ、疑問は尽きない。

 駆ける速度を上げて自身もゲートへ向かいながら、アルドは当初、エルジオンの街でエイミと別れたときのことを思い出していた。


『ちょっと親父の様子を見てくるから』


 そう、はにかみながら、ガンマ区の入り口で手を振り合った。

 てっきり、旅のせいで長く離れて暮らす父親に、元気にやっていると、報告をしに行ったのだと思っていたのに。


 父親であるザオルは、逢いには来なかったと言った。店の窓から覗くだけで。


 彼女は、いったいなにがしたかったのだろうか。

 いったい、なにをしようとしているのだろうか。


 顔を、真っ赤にして飛び出してきたのも、理由が、あるんだよな?


 答えの出ない疑問を喉の奥で反芻しながら。人気のない金属の床を蹴り、アルドは眼前に迫った時空ゲートに、一足飛びに駆け込んだ。



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