親の心、子の心

ミオヤ

第1話 

 

 親の心、子、知らず。

 そして子の心もまた、親には与り知れぬもの。



 その日。

 空中曙光都市エルジオンのガンマ区画内で、三ツ星ウェポンショップとして絶大な信頼を置かれている、イシャール堂内で。その店主は、明るい照明下で煌々と輝く通常商品ラインナップほか、鳴り物入りで入荷した目玉品を展示するモニターが並ぶ店内で、一際大きなディスプレイに表示されている愛娘の雄姿を見上げて腕を組み、

 唸っていた。


 こうなると、彼は長い。話が。


 レジ係を務める青年は、店主との短くはない付き合いでそれを痛感していた。だがそれを、避けようと逃げ出すことは叶わない。レジ係ゆえに。


 奥の作業スペースで手入れや加工などを行っている技術者たちは、店主が唸り始めると諸人こぞってスペースに閉じこもり、出てこなくなる。

 実にわかり易く、レジ係にすべてを押し付けていた。いやその気持ちはわかる。わかるのだが。

 押し付けられるほうとしては堪ったものではない。

 とはいえ、彼らのように面倒ごとは御免だと、頑なに篭城を決め込むことは不可能なのだ。レジ係ゆえに。


 だからこの日も、自分だけは店主の長話に付き合うしかないと、腹を括っていた。そして、溜息すら吐き始めた大柄な背中に声を掛ける決意をも、固めたのだ。


「……今日も、連絡ないんですか、エイミちゃん」


 ぐるんと音がしそうな勢いで振り返った店主は、逞しい体躯に見合った険しい表情を浮かべ、わかるのか、と呟いた。

 このやりとりも、何度目かもわからない。わからいでか、という言葉を毎度、飲み込むしかない青年である。


 手元で操作していた在庫チェックデータを閉じ、ふらふらとレジまで近付いてくる巨体へ慰労の言葉を掛けてやろう、と小さく頷いて見せた。


「いやな、あいつも、ハンターとして一丁前にひとり立ちをした身だ。いまさら親父が、あれこれと世話を焼く必要はないと、わかってはいるんだ。頭ではな。だがな、便りがないのは元気な印、っつーのは、待つしかない親の身としては堪らんわけよ」

「はあ」

「だってなあ、考えてもみてくれよ。元気でやってる、の一言、メッセージで送るだけ。それがいったい、何分で出来る? って話だろ? それしきの労力も掛けられないほど忙しいのか、ってまた不安が腹に積もっていくのよ。数分だぞ、トイレに行くよりも短い時間でできるだろ?」

「それはね、男と女じゃ、勝手が違い過ぎてぴんとこないでしょうね。っていうかトイレの時間となんで比べたんですか」

「俺なら10秒で済むけどな」

「なにと張り合ってます? 仕事に戻っていいですかね?」

「おまえなら何分掛かる? 元気だってメッセージ送るだけだぞ?」

「あ、そっちです? トイレで張り合ってるんじゃなかったんだ。っていうかそんなに心配なら、自分からメッセージ送ればいいじゃないですか、元気でやってるか、って」


 わかってんだよ、と丸太のように太い両腕をレジ台に付き、店主は今にも殴りかかりそうな勢いで、厳つい顔を青年に突きつける有様だった。

 ホームシックならぬ、娘シック、という症状があるなら、いまの彼はまさしくそれだ。会えない期間の長さに比例し、普段の己を見失うほどに病的に娘を心配しているのだ。

 まあ、そんな病名はないのだが。


 常であれば、客や、娘の前でこそおおらかに構え、イシャール堂の顔として頼りがいある店主然とし、ここまで子どもの身を案じて千々に乱れるようなひとではない。

 可愛い子には旅をさせろ、などと、なんと無責任な先人の言葉があったものだろうか。


「あっちから欲しいだろ。連絡は。こっちからして、ウザ、なんて思われたらどうすりゃいい」


 知らんがな、の一言もひり出せないまま。徐々に距離を縮めてくる暑苦しい相手を遮ろうと、青年はさりげなく顔の前を両手で庇う仕草を取った。

 とはいえ、店主の危惧を、大袈裟だろ、と思いはすまい。彼女は危険な仕事に従事している。唯一の肉親の安否を気遣うは当然の心境だと、青年とて理解はしている。


 だがその不安の噴出の矛先を向けられるのは、堪ったものではないというだけで。


 毎日、数時間、二人きりの密室で付き合う間柄ゆえに。客の一人でもいれば話は逸らせる、第一に、他の人間がいれば、彼とてここまで明け透けに愚痴を連ねたりはしないのだから。


 ああ、誰か来てくれ。祈りのように両手の隙間から入り口のドアに目を向けて、

 青年は、それに気付いた。


 入り口ドアの真横に位置する窓の、外から、こちらを注視する、熱い視線。

 レジ台に覆い被さるように肩を落とす巨躯に、まっすぐに眼差しを注ぐ、


 彼の、娘の姿に。


「……あの、あれ。エイミさんじゃないんですか?」


 言い終わるより先にがばと顔を上げ、いまエイミって言ったか、と低い声を出す店主に、青年はその迫力に怯みながらも、辛うじて窓を指差した。

 いまそこで、こっちを見てましたよ、と青年が何とか搾り出すと、大男は脇目も振らず踵を返して入り口へと駆け出し、


 ちょうど入店してきた客と正面衝突して、相手をドアプレートへと吹き飛ばした。


「おおい、大丈夫かいアンタ!」

「いてて……、なんだ、いま、大岩にぶつかったのかと思ったぞ」

「悪いな、急いでて……、って、アルドじゃねえか! じゃあ、やっぱり外にいたのはアイツなのか?!」


 床に膝を立てて後頭部を片手で擦る客の姿に、店主は差し伸べていた太い手を引っ込め、再びドアへと突進する始末。今度こそ店外へと出て行った巨躯を見送り、レジ係の青年は不運に遭った中世甲冑コスプレ客へ、すみませんね、と頭を下げたのだった。


「ちょっといま、あのひと、冷静じゃなくってね。アルドくん、だったっけ。エイミさんと仲良しの」

「ああ、エイミとはさっき別れたばっかりだけど。探してたのか? 言ってくれれば、連れて来たのに」

「なんか、逢いたいって言い辛いんだって。放っておいていいよ」

「え、いいのか……。あの調子じゃ、また誰か撥ねそうだけど」


 たったいま撥ねられた人間の言葉は重みが違うな、と頷きかけて、青年は遠ざかって行ったばかりの重厚な足音が戻ってくるのを、はっきりと聞いていた。


「おおい、本当にいたのかよ、見間違いじゃねえのか!」

「アルドくんがいるのに、エイミさんだけ見間違うわけないでしょう。ちゃんと探したんですか」

「そもそも、なんで窓から覗き見る、なんて水臭い真似をしやがるんだ。そこまで来たなら、逢いにこいってんだ、なんで逃げる?」

「その巨体がエアチューブみたいに突っ込んできたらみんな逃げますよ」

「なあ、あのさ、二人とも落ち着いてくれよ。エイミならオレが連れて来るから、それでいいんだろ?」


 いいやよくない、と店主は鼻息荒く腕を組み、客の青年を見下ろして顎で店外を指す。

 付き合ってくれや、と低い声を出され、彼はへ、と気の抜けた声を漏らした。


「俺はエイミのやつに、元気でやってるから心配するな、の一言をもらうまで声を掛けない。アルド、おまえもだ。見つけ出して後は尾けるが、絶対に見付かるな」

「なんなんだそれは……。こっちから、元気か、って声を掛けるんじゃダメなのか?」

「言い出したら聞かないんだよ。ほら、オヤジって頑固だろ?」

「そうだぞ、頑固オヤジに付き合え、アルド。尾行大作戦だ」

「否定しないんだ?」


 もはや呆れすら隠さなくなったアルド青年の指摘もさらりと流して、店主は太い腕で彼の腕を取り、有無も言わさず駆け出した。

 入り口のドアプレートに突進しかねない勢いで店を飛び出していき、わああ、と上がった悲鳴が大きな足音とともに遠ざかっていく。


 そうして、店内は瞬時に、嵐が過ぎ去ったかのごとき静寂に包まれた。

 つまり、客としてやってきたお人好しの看板を背負った青年に、レジ係は面倒ごとのすべてを押し付けることに成功したのだ。


 よしよし、と人知れず満足そうに頷いてから、静まり返った店内で一人、彼は一度閉じた在庫データチェック作業を、再開することが叶ったわけだ。



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