第2話

 さゆみは、眼が覚めると知らない和風建築の住宅の明るい一室にいた。それも布団の中だ。

 運転手さんと前の方の席に座っていた老人、そして小学生の男の子も同じ部屋の中にいて、座布団に座っていた。


 ――どこだろう? 私、眠り続けていたのかな? あの、バスの一番後ろにお地蔵さんが5つ並んでいたように見えたのは夢やったん?――


 家の住人らしい人物が冷たいグラスに入った緑茶を持って来た。住人はいかにも田舎の夫婦といった感じで、人懐っこそうな眼をした、ほっこりした感じの中年夫婦。正確には妻の方がグラスに入った緑茶をさゆみのそばのちゃぶ台に人数分置き、夫が心配して見に来ていた。夫の方はたった今まで力仕事をしていたらしく、作業着を腕まくりしていた。


「長い事、気を失っていたけど大丈夫なん? 顔色も白いけん」と腕まくりしていた袖を引っ張りながらいた。


「ハイ。大丈夫です」

 さゆみは起き上がってちゃぶ台の前に座った。まさか居眠りしていたとは言えない。冷たい緑茶が喉を通ると心地良く、生き返ったような気分だった。


「気分良くなったら、家まで送っていくけん、休んどってね」

 妻の方が言った。



 夫婦が部屋を去ると、今度は高校生らしい息子と中学生らしい娘、そして末っ子の小学生の女の子が廊下を行き来しているのが見え、急ににぎやかになってきた。

 バスの中にいた巻き毛の男の子は小学生同士、末っ子の女の子とすぐ仲良くなった。

「ね、庭で遊ぼう」

 二人は広い庭で遊び始めた。


 その庭はさゆみのいる部屋から縁側越しに見える。広く、庭自体がまるで山里の一部みたいだ。柿の木に金木犀きんもくせい野薔薇のばらの茂みが見える。それらは自生してあるかのように庭に自然と溶け込んでいた。そして色とりどりの菊の寄せ植えが目を見張るように綺麗だ。どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。バスに乗っていた老人は黙って縁側に一人座って庭を見ていた。


 一家の息子は、父親の家内工業を手伝っていたらしい。制服の上に作業着を着て、その上に赤いネッカチーフをしている。そしてセーラー服を着た、すぐ下の妹と口喧嘩を始めた。午後のまどろみに溶けてしまいそうな感じの家族のやり取り。


「兄ちゃん、また勝手に使った!」


「いいやろ」



 さゆみには弟と妹が一人ずついるけど、どちらも年が離れているせいか、さゆみが一方的に威張るだけのケンカに終わる。だから年齢差のない兄妹がちょっとうらやましかった。


 ――いや、なんでこんな知らないうちでのんびりしとるん?――


 庭の向こうの田舎道には、先程まで乗っていたベージュ色の車体のバスが午後の陽光に照らされ、停まっている。オリーブグリーンの2本のストライプがまるでリボンでバスをしばっているかのようだ。


 さゆみは、同じ部屋にいるバスの運転手に聞いてみた。

「運転手さん、バスに一体何が起きたんですか? あんな所に普通停めないですよね」


「いやあ、道に迷ったんですよ。不思議に路線を外れて元の道が探せないんです」

 運転手は困ったように言う。


「はあ?」


 さっき見たことのない街をバスが走っていたのは一体どの位前の事なんだろうとさゆみは考えた。見当もつかない。バスの中では日も暮れていたはずなのに、今はこんなに太陽が高い位置にある。もしかしたらあの、夜のとばりが下りた知らない街の風景も夢だったのかもしれないと思った。


 落ち着こうとしたさゆみは、まず通学のバッグからスマートフォンを取り出した。さゆみはスマートフォンに、ドーナツのアクセサリーを付けていた。ピンクの砂糖がけのドーナツのミニチュアだ。中学生の女の子はそれを見逃さない。


「可愛い! これ、本物やないん?」


「ん。よく出来てるでしょ?」


「本物やっても食べれんくらい可愛い! こんなの、母さんの料理の本で見たっけ」


 さゆみは心の中でつぶやいた。

 ――料理の本でなくても街なかに行けば本物はドーナツ屋さんに幾らでも売ってるよ。山の中に住んでるから知らないのかな――


 その時、子ども達の母親が丸い編みかごに入ったお饅頭まんじゅう蜜柑みかんを持って来た。


「うちでは、兄ちゃんも私も柚子ゆずもおやつはお饅頭まんじゅう蜜柑みかんばっかりよ。あ、柚子は妹の名前。うちではみんな植物の名前なんよ。かえで、桜、柚子って」


「そうなんだ。でもそう言えばね、私もこんなおやつ、おばあちゃんちでよく食べよったよ」


 さゆみの田舎のおばあちゃんの家では、おやつと言えば、お饅頭や手作りのかき餅ばかりだった。れ物もよく似ている。広告のチラシを細く折り、編んだ編みかごだ。


 世間話をしながらもさゆみは焦っていた。さっきから何度もスマートフォンを立ち上げ直しているのに、圏外のままなのだ。通話も他のメッセージを送るアプリも使えない。

 バスの運転手も停めてあるバスに戻り、無線で連絡しようとしたけど、つながらなかったそうだ。

 老人はポカンとしているだけで、何も焦っていない様子だし、小学生らしい男の子は家を恋しがる素振りもない。


 さゆみは、何とかして連絡しなきゃと思う反面、なぜか疲れて家に帰りたくなくて、当分この風通しの良い、それでいて暖かな和風の家にしばらく滞在したいと願ってしまうのだった。


 ――何だろう、この圧倒的な居心地の良さ。やっぱり都会より田舎の家の方が、のんびり屋の自分に向いてるのかな? 今からでもおばあちゃんちに滞在させてもらって、転校するのをやめる? ――


 さゆみはすぐに打ち消した。

 ――いやいや、今は疲れているだけ。将来、インテリアデザイナーになるという夢があるやん――


 その時、この家の長男、楓が言いに来た。

「そろそろ暗くなるけ、みんな帰った方がいいですよ。グズグズしてると帰り道が分からなくなるから」


 親切だけど、この少年の言葉は荒い。彼の両親は、もう少し休んでもと言ってくれているけど、楓は帰るのをしつこく勧めてくる。


「暗くなると帰り道が危ないけん」


 中学生の妹も「そうだよ。こんな田舎でグズグズしとったら、帰るのが遅れるよ」と言う。


「家に連絡したらいいんやない? そんな急がせんでも……」と彼の母親。楓は反対した。


「ここは危険やけ。知っとるやろ?母ちゃんも父ちゃんも」


 何だか抑えた声で密やかな会話という感じ。その時、バスの運転手が言った。

 「でも無線が使えない今、帰り道が分からないですし、第一、手をケガしているようなんです」

 右腕に痛みがあると言い、ギュッと反対側の手で押さえていた。


「じゃあ自分が運転するけん。自分は大型も乗れるから」と楓は言った。そして運転手、老人、さゆみを急いで乗せて言った。

「あまり窓に近付き過ぎんように座っとって」


 桜が突然、バスに飛び乗った。手には花壇用のシャベルをなぜか持ったままだ。

「道案内役で私も乗る!」


 ――小学生の男の子が乗っていない――

 気付いたさゆみがその事を言う と、「あの子は乗客じゃなかったやん。近所の子やん」と桜。


 ――え? バスにいた子と同一人物じゃなかったん?――


 その時、老人がフラフラとバスを降りた。


「降りちゃだめ!」と叫ぶさゆみに、楓は「あの人は、今日はここにとどまった方がいい」と言った。

 まあ明日になってからの方が安全かもしれないけど、家族は探してないのかな、とさゆみは心配になった。



 楓は運転が上手く、滑らかにバスを走らせた。さゆみは窓からの夕陽や海の風景か美しい事に感動した。

 ――これまで居眠りしていて気付いてなかったんだ。今頃になって気が付くなんて残念――


 すると辺りは急に真夜中のように暗くなった。車窓からはつるのある植物が両側に繁っているのが見えた。つるはまるで意志があるようにバスにからまってくる。黒っぽい鳥が不気味な声で鳴いている。


 森に入ってしまったのだろうかとさゆみは不安になった。臨時の若い運転手は難場をすり抜けるようにデコボコ道を走った。そして時々作業用のナイフで窓からつるを切りながら運転を続けるのだった。桜も持ってきていたシャベルで窓の外のつると格闘していた。つるの衝撃は次第に大きくなり、ついにバリッという音と共にさゆみの座席の横の窓ガラスを割った。さゆみの手から赤い血がしたたった。楓は運転を続けながら赤いネッカチーフを投げた。

「これでおおいな!」


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