そして、彼がやってきた.5

 ナギは怒っていた。悔しかったし、悲しかったし、情けなかった。だから「ちくしょうめ」と悪態をついて、檻の鉄格子を掴み、ありったけの大声で怒鳴った。

 「村長を呼べ! オレとあいつで、男同士の話をしたい!」

 ナギは14歳、この村で生まれて、この村で育った。エルフと人間のハーフで、身長は同い年の人間よりもやや低い。エルフの血の証であるピンと伸びた大きな耳は、元来の荘厳さよりも、不釣り合いで、間の抜けな印象を与えた。幼い見た目のせいで――実際に子どもなのだが――周囲から子ども扱いされることが多かったが、彼はそれを何より嫌った。村の誰かにからかわれると、「オレは子どもじゃない! もう立派に戦える男なんだ! オレをバカにして、今に見てやがれ! オレはこんな狭い村を飛び出して、チートが作ってるデッカい国に仕官して、スゲー偉いやつになってやる!」常にそう早口でまくしたてた。そして実際に村から無断で逃げ出したのだが、そのたびに掴まって、檻に放り込まれていた。この日もそうだ。

 「ちくしょう、なんでオレが成り上がるのを邪魔すんだよ! つーかカラルがよくて何でオレがダメなんだ!? オレもあいつも、似たようなもんじゃねぇか!!」

 「カラルは20歳で、お前は14歳だ。大人と子どもだ。全然似てないだろう」

 檻の見張りをしていた中年の男がいった。

 「たった6年ちょいじゃねぇか! 同じようなもんだ!」

 「6年の差が分からないってのが、お前が子どもの証だ。わかったら、おとなしくしてろ。お前、今年になってから3度も無断外出で檻にブチ込まれてるんだぞ? さすがに村長も怒っているだろうし、今度ばかりは厳しい罰を受けるかもしれん。少しは反省しているように振る舞っておいた方が身のため――」

 「おっさん! オレはな、あんな臆病な村長に従う気はねけよ。世界は広いっつーのに、チートで凄い力を持っているっていうのに、こんな小さな村に閉じこもって、オレにゃ理解できねぇぜ。男はでっかく勝負しねぇとな! そうだろ!?」

 檻の番人は、深くため息をついた。そしてほとんどの大人が、駄々をこねる子どもを前にした時にそうするように、その場から離れることにした。ほんの少し、嫌味を付け足して。

 「さっきの6年の話もそうだが、そういう態度だから子ども扱いされるんだ。そろそろ村長が来るから、そこの行き倒れの世話を頼む。村長にも、少しは反省していると思ってもらえるかもしれん」

 見張りは、そういって桶に入った水を檻の中に入れた。

 「こいつを飲ませて、目を覚まさせてやれ」

 「おい待てよ! オレはこんなヤツの相手をする気は――」

 「やるんだ。それじゃ、また来る」

 見張りは檻を閉めて、姿を消した。しばらくの間、ナギは「おい待てよ」「なんでだよ」と文句を言い続けたが、どれだけ怒鳴っても事態が変わらないことを悟ると、

 「ったく、仕方ねぇなぁ……」

 ボヤきながらも、与えられた仕事を片付けることにした。檻の中には、たしかに自分とは別に1人の男が倒れていた。特段これと言って特徴のない男だった。背格好も顔も、ありふれている。黒い髪に、平坦な顔。ナギはそれ以上に彼の顔に興味が持てなかったし、それ以上に彼がまとっていたボロ着の異臭が酷くて、その姿を観察する気力をなくした。服はもちろん、体も洗っていないのだろう。

 「あーあー。酷いもんだな。よく生きてたよ。このクソザコ野郎、ったくよ、何でオレがこんなヤツの世話をしなきゃなんねぇんだよ」

 そういってナギは、男が日よけ代わりに顔に巻いていた布を剥がし――その一部は肌に張り付いていた――日に焼けてボロボロになった顔が現れた。ほとんど乾燥した死体のようだったが、かすかに口が動いている。

 「オラッ、起きろ。水だぞ」

 ナギが水を手にすくい、その口に落とした。すると、

 「みっ……水?」

 水を啜った男が声を出した。ナギは胸を撫でおろし、笑った。

 「そうだよ、水だよ。うめぇだろ?」

 ナギはもう一杯、水を手ですくって、男に飲ませた。水滴を落とすたびに、男の血色がよくなっていくのが見て取れた。かすれていた声が戻り、体を起こし、身振り手振りもできるようになっていった。その様子を見てナギは尋ねた。

 「チビチビやってねーで、桶ごと飲む?」

 「ああ、お願いします」

 ナギが水の入った桶を引き寄せると、男はぎこちなく体を起こした。そして顔を桶に突っ込んで、水をがぶがぶと飲み始めた。

 「そうガっつかなくても大丈夫だよ。この村、水と食い物は無駄にあるから――」

 ナギがそう言い終える頃、男は桶の水を飲み干した。そして大きくため息をつき、

 「ふぅ……感謝します。生き返った気分です」

 そう言って、ずぶ濡れの頭を深く下げた。

 「どういたしまして……って答えたいところだけど、そういう感謝のお言葉はオレより村長に言えよ。普通なら見捨てるところだが、うちの村はお人よしばっかりでね。行き倒れはなるべく助ける方針なんだ。村長はチートのくせに、他人のためにばっかり力を使って、理解できねぇぜ。オレにはよ」

 男の顔が曇った。

 「チート? この村の村長ですか?」

 「そうだよ。そうじゃなきゃ、こんな砂漠のド真ん中に、こんな立派な村は作れねぇよ。あんた、ブッ倒れたまんま運ばれてきたから、分かんねぇんだろうけど……ほら、そこの窓から外が見えんだろ?」

 ナギが指さした鉄格子つきの窓の向こうには、緑が生い茂る畑が見えた。井戸があり、用水路があり、水が流れていた。それを見て、男は言った。

 「凄い……いい村ですね」

 ナギが呆れた調子で答えた。

 「まぁな。恵まれてるとは思うぜ。けどよ、それだけだ。今の時代、こんなふうに一か所に留まり続けるなんて、ゆっくり死ぬようなもんさ。もっと上をガンガン目指していかねぇと生きていけねぇ。オレみてぇに、ずっと舐められてばっかだ」

 「上?」

 「そうだ。あんただって知ってるだろ? チートの連中は、みんな好き勝手をやってる。とんでもねぇ軍勢を率いて、てめぇの王国を築いているヤツもいるし、神様を名乗って、数えきれねぇ信者を抱え込んでいるヤツもいる。そういう連中がこの1000年、ずっと大陸中で戦ってんだ。おかげでどこもかしこも焼け野原になったけど、戦いは終わってねぇ。力のあるチートは、今でも戦士を探してる。そこに上手く入り込めれば、オレみてぇな平凡なやつでも、成り上がる機会がある。メシの心配をせずに、誰にも舐められずに、デカいツラができる。つまりガキ扱いされなくなるってことだ」

 ナギが話し終えると、男は微笑んだ。

 「なるほど……野心家なんですね。君って」

 瞬時に、ナギは男の言葉の裏にある感情を読み取った。

 「あー! 今てめぇオレのことを鼻で笑っただろ! 絶対わかる! そういう感じだった! 今のは! お前、よそ者のくせにオレを子ども扱いすんのかよ!」

 「でも、まだ君は子どもじゃないですか」

 男の真っ当な返事に、ナギの声はますます大きくなった。

 「くそー! よそ者のくせによ~! つーか、お前は誰だよ!? まず名前くらい教えろよ!? 自己紹介もしないうちに人をガキ扱いったぁ、感心しねぇぜ!」

 「あ、失礼しました。命の恩人には、まず自己紹介をすべきでしたね」

 男は頭を下げた。そして、真っすぐにナギを見据え

 「私の名前はギレイです」

 そう名乗って、再び深く頭を下げた。

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