そして、彼がやってきた.3

 旅はキリクにとって最悪の形で終わった。カラルの体が粉微塵に砕かれたのだ。カラルは肉片というよりも、もっと細かな、赤い煙になってしまった。キリクは空へと昇ってゆく赤い煙を呆然と見送った。

 広い砂漠で、すれ違った4人組。カラルはその4人に軽くお辞儀をした。そこに意味などない、ただの反射行動だった。しかし、

 「お前、なに見てんだよ? 不細工なツラ見るの、不快なんだけど」

 4人の先頭を歩く男がそういった途端、カラルは真っ赤な煙になったのだ。

 何が起きたのか? キリクが事態を把握すると、

 「お、お前、チートだな!?」

 震える声でそう叫んで、剣を構えた。カラルの肉体を消失させた、目の前に立つ男に向けて。しかし、目の前の男がチートであるなら、この行動が何の意味もないことは頭の中では分かっていた。アリアスはゼンを抱きしめ、キリクの背に回った。彼女もまた、この動作に何の意味もないと分かっていた。

 剣を向けられた男は、けだるそうに答えた。

 「そうそう。チートだよ。ほら、コレを見りゃわかるだろ?」

 男が上着の胸元を開いた。心臓のうえに、矢印で描かれた三角形があった。それは全てのチートが転生の際に刻まれる紋章だった。

 「あのさぁ、剣を下げてくんない? なんの意味もないけど、やっぱそういう態度を取られるとムカつくし、イイ気分はしないわけよ。オレだけじゃないし。ほら、オレの仲間もいるわけで、みんな女の子で……そもそもさぁ、そんなふうに剣を女の子に向けるのは男としてカッコ悪いと思わない?」

 そういって男は自身の背後に立つ3人の女を指さした。すると、

 「そんな気遣いは無用よ。ヨウタロウ」

 余裕に溢れた女の声がして、それと同時にキリクの両手剣が切断された。折られたのではなく、斬られたのだ。しかもキリクの手には何の感触も残されていなかった。突如として剣が軽くなり、刀身が消えたと表現すべき感触だった。女の手には仰々しい装飾が施された片手剣が、その均整の取れた顔には余裕の笑みがあった。

 「下げる気がないなら、下げさせるだけだから」

 「ははっ、エリナは相変わらず強気だね。ヨウタロウ、エリナの前でカッコつけるのは、まだまだ無理だよっ♪」

 「この男は総合レベル【37】。エルフの女は【8】、赤ん坊は【1】。赤ん坊は人間ではなく、エルフですね」

 「そりゃ珍しい組み合わせだな。お前らって、どういう関係よ?」

 3人の女からヨウタロウと呼ばれた男が、キリクに尋ねた。

 「オレたちは、ただ旅をしていただけだ」

 キリクが答えたが、

 「なるほど、隠れた村があるのか。そいつはいい」

 キリクが隠そうとしたことを、ヨウタロウはあっさりと口にした。

 「オレの考えが読めるのか?」

 「まぁね。思考盗聴の魔法なんて基礎の基礎だし。お前らくらいのザコなら、ずーっと頭の中が垂れ流しになってるようなもんだよ。まぁチートのオレから見ればね」

 キリクは背後にいるアリアスを見た。彼女は目をつぶって、もう諦めていた。あの日、砂漠で倒れていた時と同じ顔だった。死を迎え入れる準備ができている。キリクは顔を横に振った。そんな顔をしないでくれ、諦めないでくれ、そう声に出して伝えたかった。しかし、声には出せなかった。下手は発言は、そのまま死に繋がる。現時点で残ったわずかな生存への可能性にすがるために、つまりは余計なことを言ってヨウタロウを刺激しないために、発言は最小限に絞る必要性があった。

 「ねぇねぇ、キリちゃん。オレは10年前にこの世界に転生してきたんだよね。能力値はカンストしてたし、ある程度好き勝手やってきた。そうこうしているうちに、こうやって嫁とも知り合えた。剣士のエリナ、格闘家のミア、賢者のナスターシャ。でさぁ、そろそろオレら4人で、どっかでスローライフをやりたくなってね。この間もどっかの国で王様やってたチートが、原住民に殺されたらしいのよ。オレ、そういうの嫌なの。で、お前が行こうとしている村は、ちょうどいいポイントっぽいし。イイ情報をシェアしてくれてありがとう。そんじゃ、お前をどうするかだけど……」

 ヨウタロウは考え始めた。キリクの意見なんて求めていない、そう言っているも同然の口調だった。キリクはそれも分かっていた。だが、

 「オレは、あなたと争う気はありません」

 キリクはそう言って。刀身が切断された剣を投げ捨てた。

 「あなたがその村に行くなと言うなら、オレは行きません。あなたの邪魔になるようなこと、いいや、あなたの機嫌を損ねるようなことだって、そういうことは一切しない。だから――」

 ヨウタロウは大げさに手を横に振った。

 「助けてくれ? そりゃ無理よ、キリちゃん。お前らを逃がして村に報告されたら厄介じゃん。さっきの奴は死んでほしい顔してたから殺しただけで、正直やりすぎたなぁって自己嫌悪だし、なんならワンチャン生かす可能性はあったよ? でも、もう事情が違うっつーかさ。とにかく、お前は無理だよ。きっちり死んでもらう。もちろん全員ね。気の毒だけど、人は犠牲を出さずには生きられない。オレは偽善者じゃないからハッキリ言う。この理屈、キリちゃんも分かるっしょ?」

 キリクは「ちくしょう」と呟いた。相手はチートだ。チートは生まれた時から全てを持っている。キリクは23歳まで絶え間なく己を鍛え続けて、ようやく総合レベルを37にした。生まれながらの素質があったから、「火」に関する幾つかの中等魔法を修めた。しかしチートは生まれながらにして総合レベルは99で、さらに「火」「氷」「土」「雷」「闇」「光」、6つの属性の魔法を使いこなす。つまり目の前の男は人間が持てる最高の身体能力を持ち、全ての魔法を使える。戦って勝てる相手ではない。

 キリクは別の案を考えざるをえなかった。自分は間違いなく殺される。しかし、自分の妻と子は、助けないといけない。どんな手段を使ってでも。

 「助けてください」

 キリクは手と膝を地に付けた。枯れた大地を覆う砂は、優しく彼を迎え入れた。

 「助けてください。どうか見逃してください」

 キリクが額を地にこすりつけ、叫んだ。他の方法などなかった。ただ無心に命乞いをすること、ひたすらに助けを求めること。こちらを見下ろすチートが気を変えるか、あるいはチートの妻の誰かが自分を憐れに思って口添えをするか、とにかく乞うしかないのだ。命乞いの言葉を叫ぶ間、砂が鼻と口から潜り込んできたが、そんなことはどうでもよかった。

 「私は構いません。どうか、妻と子は、見逃してください」

 キリツは叫び続けた。やがて、口の中にドロリとした液体が侵入してきた。砂と混ざったそれは、彼にもすぐに正体が分かった。

 血だった。生暖かい熱を帯びた、先ほどまで体内を流れていた新鮮な血液だ。

 キリクの頭の中で、最悪の結論は既に出ていた。怒りと恐怖が全身を支配していくのがわかった。骨までもが怒りに震え、理性が消えていく感覚を覚えた。

 キリクは、ゆっくりと頭を上げた。

 頭を木端微塵に握り潰された死体が2つ、転がっていた。そしてヨウタロウの両手は、血にまみれていた。そして、

 「ハハン♪ オレが本気を出せば、こんなもんよ。今のワン・ツーのパンチは、エリナ、お前の居合い抜きより断然速かったぜ」

 「ふん、偶然よ。私が油断してたから、先を越されただけ」

 「なーんでイチイチ張り合うかなぁ。あんたら2人は」

 「切磋琢磨。お互いを高め合うのは悪いことじゃありません」

 「そーいうこと! ナスターシャ、お前はいつもイイことを言う!」

  男が1人、女が3人、笑っていた。

  そしてヨウタロウは、キリクの目を見ていった。

 「つーかお前さぁ……いきなり土下座って、男としてどうなの? 大事な奥さんと子供を守りたいなら、目を逸らしちゃダメよ。生きるためには頭を使って、あれこれ工夫して、何より諦めちゃダメ。そもそも命乞いされても助ける理由がないよね。お前の奥さんと子供なんて、預かっても無駄なだけじゃん。お前って男らしくないし、頭悪いし……とにかくキリちゃん、最低だよ。ザコで使えないうえに、精神的にも最低。ゴミだよ」

 キリクは叫び、飛び掛かった。怒りに突き動かされるまま叫び、正面から。

 「うるさいなぁ」

 それがキリクが、この世界で最後に聞いた言葉になった。

 ヤマカワ・ヨウタロウが人差し指と親指でパチンという音を立てると、キリクは一瞬にして天に届く炎の竜巻に包まれた。それは上級火炎魔法『フレイムストーム』【習得レベル89】。キリクは絶命する直前、頭の潰れたアリアスとゼンも炎の竜巻に飲まれるのを見た。「ごめん」それが彼の最期の言葉になった。アリアスとゼンは死んだ。キリクにとって唯一の幸いは、家族と共に死ねたことだった。

 そして、通りすがりのザコキャラを倒したヨウタロウは、

 「さて……村に行こう。チートが1人いるっぽいから、そいつとの戦いになるかもだけど。エリナ、ミナ、ナスターシャ、これがオレたちの最後のバトルだ! 頑張ろうな!」

 ヨウタロウが3人の妻に呼びかけると、

 「「「お―――っ!」」」

 元気のいい声が、砂漠に響き渡った。

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