第40話 0-3
「ええ?」
それを早く言って!と怒りがわく。だが最早、少しの声でも出すのがもったいない。「スキップ」「Rスキップ」と発声できるだけの呼吸は残しておかねば。
「ただ、気を付けねばならない点があります。説明書きにある注意事項はほぼ一緒ですが、貸出カードに模したスキップカードは。お試し版でして。一枚につき一回の往復時間旅行のみできるという代物」
「行って帰ってくるだけ?」
一度で決めろってことか。毒が回りつつあるのか思考力は緩やかに落ちて来ているし、身体だってまともに言うことを聞くかどうか怪しい。ここは大人しく、一番穏便で確実性のある手段を執るのがよさそう。すなわち、この図書館に入る前の時点に行き、自分を足止めする。腕力では誰が相手でも勝てそうにないけれども、“自分自身”の言葉なら聞くんじゃないか、との希望的観測に立ったいささか受け身の策ではあるが、現状これが精一杯。
そう決めて、スキップを試みようとした。カードを放って唱える間際、男性図書館員がマスクの下の口を開く。
「本当にそれでいいので?」
「それ……どういう……意味」
「先ほど私が話したことをすべて正しい情報だと思って取り入れるのは、非常に素直な行為だなということです」
何を言っている?という目で見返すあなた。
「ほんとに手のひらに薬品を吹き付けて、毒が入るようにしたとお思いですか。公共の図書館員が。何のためにあなたにそんなひどい真似を? 動機を考えたら、ご家庭のどなたかに対して、思い当たる節はないですか?」
長く一つ屋根の下で一緒に暮らしていると、つまらない喧嘩ぐらいはする。それが殺意に育つのには相当無理があり、考えづらいが……。
「家族の仕業って言うなら方法は?」
「マスクですよ。毒を染み込ませておけば、嫌でも吸い込むんじゃないですか」
ぎょっとして、あなたは目を動かし、すぐそこにあるマスクを見る。息苦しいのはこのせい?
また分からなくなってきた。自らの混乱と困惑を意識する。
可能性だけ言えばどっちもどっち。ありそうにないことである点に大差はない。
にもかかわらず、現実に起きてしまっている。一体何故?
「もしや」
今度は閃いたあなた。いよいよ命が追い詰められている証なのかも。マスクをずらしながら、続けて言った。
「自分がこんな目に遭っているのも、誰かが強く信じ込んだ結果の産物? スキップカードを使ったら、知らない内に毒を摂取させることだって簡単にできる」
「どうでしょう? そうお思いになるのなら、それを防ぐためにスキップカードをどうぞお使いください」
そんなこと防げる訳がない。どこの誰がいつやったのか分からない限り、不可能。それともスキップカードの発明を阻止しろって? それも無理。だいたいスキップカードを使って、スキップカードの発明をなかったことにしたら、そのあと元の時代に戻れるのだろうか?
スキップカードなんて物が存在するおかげで、考え得る選択肢は多岐に渡ってしまい、絞りようがないじゃないかとあなたは途方に暮れる。すると眠気に襲われた訳でもないのに、瞼が重くなってくる。意識が薄れてきた。
結局、スキップカードが諸悪の根源。こんな道具、最初っからなければ、自分が今こんなに苦しむこともなかっただろうに。理不尽さに身もだえし、あなたは椅子から崩れ落ちる。靴が持ち込んだ土で汚れた固い床に、片方の頬が着く。冷たい。
そのひんやりとした感触が、最後の気力を振り絞る導火線に火を着けた。冷たい火が走る。
タイムマシン発明のパラドックス、あれが現実に起きるというのであれば、こうも考えられやしないか? あなたは強く念じる。
そう、タイムマシンを発明したのは自分である。自分は発明したタイムマシンに乗って、スキップカードの開発をやめさせる。そして今この時間に戻って来て、タイムマシンを破壊して時空を超越して起きた出来事のすべてをなかったものとする。それが確定した歴史となる……。
あなたはまぶたの重さに耐えきれなくなり、目を瞑った。
~ ~ ~
あなたは両目を開けた。ぱちりと音がしそうな、はっきりとした覚醒だった。
床にうつ伏せで横たわっていた。慌てて上体を起こし、辺りを見回す。近くには誰もいない。話をしていた男性図書館員はもちろんのこと、他の利用者もいなかった。
ずれたマスクを直しながら、立ち上がる。目を瞑る前までの経緯が頭の中で鮮明に甦る。気分の悪さは嘘みたいに消えていた。でも何故だか疲労感が激しい。よろけて、近くの椅子に手を突いた。そのまま腰を下ろし、背もたれに身体を預ける。
何だったんだろう、いったい……夢にしてはいやに生々しい……。
そういえばあの本は?と、椅子回りを探す。たいして物陰なんてないのに、見付からない。
うたた寝を始めた自分が床に放り出してしまったのを、図書館員か他の利用者が拾って、片付けてくれたのか。あなたはそう考えることで、辻褄を合わせようとしている。
そこへ、女性の図書館員が通り掛かった。出入り口にいた人でも、カウンターにいた人でもない。返却されてきた本を書架に並べるため、専用のワゴンを押している。
「あのすみません」
小声で話し掛けるあなたに、相手は一瞬眉間にしわを寄せたが、すぐににこやかに笑って見せた。
「何でしょう」
「書架から持って来た本が見当たらなくなっていて、どうなったのか気になったもので」
「えっと、何ていう題名の書籍ですか」
「『スキップ・カード』です、自費出版のようでした」
「――自費出版物の中にそんな本、あったかしら」
呟きながらも端末で調べてくれる。
「やはり、ないですね。他の題名とお取り違えではありませんか」
「え、そんなはずは」
食い下がろうとしたあなたがったけれども、はっと思い付いて、ポケットをまさぐる。じきに見付けて、それを取り出した。新型の貸出カード。ラミネートプレスされたそれは、外見上、スキップカードには似ていない。だが、一皮剥いてみればどうなっているのか……。あなたは図書館員に尋ねた。
「あの、貸出カードって、中を見ることはできます?」
「何か不備がございましたか」
「いえ、そういう訳ではないんですが……字が気に入らないなあ、書き直せないかなと」
「それでしたら」
女性図書館員はほっとした様子で言う。
「名前が分かればいいのですから、充分ですよこれで」
「そう、ですか」
自宅に帰ってから剥いでみようかと考えるあなたに、図書館員が「それでお探しの本は?」と聞いてきた。
「あ、自分で探します。タイトル、ど忘れしたみたいで……どうしても見付からなかったらお願いするかも」
「分かりました。失礼します」
目礼してワゴンを押し、遠ざかっていく相手を見送った。
床に横たわる前までの出来事は現実なのか夢だったのか、あの自費出版本は果たして存在するのか否か。
あなたは少し考え、最も手っ取り早い確認方法があることに気が付く。絶対確実ではないし、試すには多少の勇気を要するが。
もやもやを抱えたままいるのは嫌だ。あなたは決心を固めると軽く息を吸い込んだ。脳内のスクリーンに、ある情景と日時を総天然色カラーで思い描き、それから貸出カードを床に放った。
「スキップ」
了
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