第25話 5-2
「お書きになる前にカメラ、お渡ししておきます」
江住氏は背広のサイドポケットから古めかしいカメラを取り出した。デジタルカメラではあるようだが、随分と旧式だ。外部からのデータを無線受信できるような物ではなく、単なるカメラらしい。このタイプでは、僕がこれから各文字を素早く撮影し、データを送信するなんて手も使えない。
「それでもお疑いでしょうから、私は失礼して背を向けておきます。お書きになったらすぐにカメラのデータをディスプレイで確認してみてください。一枚目にありますので」
僕は無言で首肯し、彼がこちらに背中を向けたのをこの目で見て、さらに時刻が十一時十一分になったのを確かめた後、紙にこそこそと文字を綴った。少し考え、“αω
「今、書き終えて、紙を廊下の指定の位置に置きました。これからデータを見ます」
江住氏の背中に宣言した。江住氏はそのままの姿勢で「はいどうぞ。お手数を掛けます」と返事。どこにも怪しい動きはない。
僕は彼の旧型デジカメを操作し、写真を見た。
――驚きすぎて声が出なかった。
ついでに言うと、その十数秒後にもう一人の江住氏が極短い間、姿を現したのにも腰を抜かしそうなぐらい驚いた。
僕は引っ越し用に準備していたお金をはたいて、Sカードを購入した。江住氏がにこにこ顔で辞去していくのを、こちらも笑顔で――ただし変に興奮したちょっと硬い笑顔で――見送る。
セールスマンの姿が視界から見えなくなったところで、早速、カードをどう使うか考え出す。
いつどこにスキップすればいいのか。まず思い浮かべたのは、一年生のときに問題のテストを受けた教室だった。一年の僕になりすましてテストを受けるのだ。普通、一年生時のテスト内容なんてほとんど記憶から消し飛んでいるだろうが、可に終わった悔しさから僕はこのテストだけはしっかりと覚えている。優を取った友達の答案も見せてもらい、しっかり復習したのだ。テスト時間は一時間半だから目一杯使っても、安全に現代に戻れる。
だけど、単にテスト時間にスキップしてもうまく行かないことはすぐに分かった。一年生の僕と鉢合わせしてしまうからだ。それなら一年生の僕に会って、交代するように言い含めるか。あるいは「過去問を手に入れた」ってことにして、下宿の部屋に置いて行ってやるか。後者は、黙って置いて行ったら怪しんで信じないかもしれない。
そもそも、過去の自分と会うのは、色々と面倒くさそうだ。四年生になった僕が本物であると信じさせ、Sカードを一から説明して理解させ、優を取るための勉強をさせる……三時間で可能なのか? まあ勉強はテスト問題そのものがあるのだから、それを置いて行けば一人でもできるだろうが、その前段階として未来から訪れた僕を見て、騒がれると困る。未成年の頃の僕は、いわゆる超常現象全般に関して、完全否定派寄りの懐疑派といったスタンスを取っていたから、自分とそっくりの男が未来からタイムマシンで云々と言っても、簡単には信じないに決まっている。
……一年生の僕も同じ名前なんだから、Sカードは使えるんだよな。当人にスキップを体験させてやれば、一発で信じるかもしれない。しかしこれをやるにはリスクが伴う。スキップした先で元の時代に戻る前に、さらにスキップをすることは大丈夫なんだろうか。同じ僕とは言え、Sカードがちゃんと認識すべきところは認識し、区別すべきところは区別して機能するのか。妙なバグを起こして、一年生の僕が現代に戻るなんてことになりはしないか等々、注意書きに記載されていないケースが複数浮かぶ。
テストの成績を優にするためだけに、己が時空の隙間に挟まりかねない危険を冒すのは御免蒙りたい。
あと考えられる方法としては、テスト終了後に答案を手直しする、これだろう。回収された答案用紙の中から自分の物を見つけ出し、自分で書き直す。採点される前に済まさねばならないのは言うまでもない。
この計画の難関は、答案用紙の保管場所がどこなのかと採点終了がいつになるのか、だろう。保管場所に関しては、四年間大学に通う一に指導者各位ともそれなりに親しくなり。見当が付く。過去に色々あったらしく、回収した答案の学外への持ち出しが禁じられてもいるので、必然的に教授の研究室に保管せざるを得ないのだ。
採点のタイミングもおおよその推測はできそうだ。試験期間中、担当教授は他の試験の監督の役割も果たさねばならず、また、試験の監督中は他の作業をしてはならないとの決まりがある。さらに言えばくだんの教授はいくつもの講義を持っているため、当然テストも多く、問題作成及びチェック、さらには試験時間中の質問受け付けに回ることもしなければいけない。これらを総合すると少なくともテスト当日、キャンパス内で採点をする暇はない。よって僕がSカードで行くべきは、試験当日の深夜辺り、大学の教授の部屋だ。さすがに室内には防犯カメラはないから、自由に探せる。ペンライトか懐中電灯を忘れずに持って行かねば。
残る懸念はデスクの抽斗などに答案用紙の束を仕舞い込んで、施錠されているパターンだが、部屋のドアをロックしておけば事足りるのだから、わざわざ鍵付きの抽斗に利用するとは考えにくい。もし仮に鍵付きの抽斗で保管しているとしても、あの手の鍵の構造は単純だから開けられると思う。加えて、担当教授の受け持つ講義の数、つまりはテストの数から推すに、すべての講義の答案を抽斗に保管するのは物理的に無理なはず。
施錠されていてどうしても開けられないときは、一度目のスキップで鍵の型を取り、現代に戻って合鍵を作ってからもう一度行く、という段取りを踏むことだってできる。僕は楽観的に努めた。
続く
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