第24話 5-1
プリントアウトされた紙を受け取り、教務課のカウンターからだいぶ離れたところで眺める。大学における自分の成績一覧である。そのまま建物を出た。
優のマークが並ぶ中、一つだけ可があった。一年生のとき最初に受けたテストだ。一年生の僕は大学の定期考査がどんなものなのか勝手が分からず、なのに周囲の“あの先生のあの授業は簡単に優がもらえるよ”という評判を鵜呑みにして万全の対策を取らぬまま、試験を受けた。その結果が可である。
以来、後悔と反省をし、勉強にもしっかり取り組むようになった。おかげで残りすべてで優をもらえた。いや、自分の力で獲得したのだ。
そうなってくると、目障りなのが最初に付けられた可だ。一行目、真っ先にあるから目立つ。
僕ら四十三期生の中でオール優なのは一人だけ、
僕は卒業が近付くにつれて、唯一の可を何とかしてなかったことにし、優に書き換えられないものかと考えるようになった。
真っ当な手段として、教授に談判に行くことを考えた。が、一年生時の一般教養、しかも楽に取れると名高い科目。当然、受講者数は多い。大勢いる学生の中で僕一人を特別扱いしてもらうというのは恐らく無理がある。それに談判が成功して再チャンスがもらえたとして、そのことが噂になる恐れがある。たった一つの可に拘るなんてみみっちい奴だ、なんて思われるのは嫌だった。
だが、担当教授へのアプローチを手段から除外すると、他にはイリーガルな方法しか残らないのではないか。成績表そのものを改竄するか、成績を記録・保存するワークステーションに不正アクセスして書き換えるか、教授を買収して優に書き換えさせるか、教授を脅して(全学生の成績を)優に書き換えさせるか、ぐらいしか思い浮かばない。
もちろんそんな手に出てまで、可を優にするのは馬鹿らしい。ハイリスクローリターンにもほどがある。
あきらめるほかないかと思っていると――妙なセールスマンの訪問を受けた。珍しく大雪が降り積もり、一夜明けた晴れた午前中のことだった。
小顔には不釣り合いな大きな丸眼鏡を掛けたその男性は、スキップ社商品販売員の江住末雄と名乗り、Sカードなる物を勧めてきた。
「もうじき引っ越しになられるとの話を耳にしまして、急いで参上した次第です」
弁舌爽やかに切り出した彼は、胡散臭さも併せ持っていた、いつもの自分なら速やかにお帰り願う種類の人で、実際そうしてもらおうとしたのだが、「未来や過去に行きたいと思ったこと、おありでしょ? しかも最近」というフレーズを囁かれ、気が変わった。どうやったかは知らないが、僕の欲しいものをリサーチ済みらしいのは気になる。
江住氏は三和土でアタッシュケースを広げた。上蓋を立てたままだったので、すべては見えなかった。薄っぺらい物を取り出すと、蓋をぱたりと閉める。
「これがSカードです」
「こんな物で時間を超えて旅することが可能になるっていうの?」
不信感を隠さないでいる僕に対し、江住氏は嫌な顔一つせず、その商品の説明を始めた。制約は多いが過去にも未来にも行けて、三時間滞在できるみたいだ。原理は話せないが間違いのない品物だという。
「言葉でいくら聞いても無意味だなぁ」
率直な感想を伝える。すると江住氏は察しよく、「では実際に使うところをお見せしましょう」と応じた。
「どんなことをしてみせれば、信用していただけますか?」
「この場で簡単にできることなら、何でもいいですよ」
「と仰られても、私の方から提案しますと、なかなか信じてもらえない場合も多々ありますので……」
なるほど。僕が指定したことをやってこそ、インチキではないと証明できる訳か。
「それじゃあ、こっちから提案させてもらいます。そうですね……未来の出来事を予言してくれますか。僕が紙に文字を書きます。あまり多くしてもしょうがないから、十文字以内で。もちろん、あなたには見せない。何て書くのか、江住さんは未来に行って見てきてください。見た文字を紙に写し取る、いや写真に撮って戻って来る。こういうのはどうですか」
無理だろうな、何だかんだと難癖を付けて文字や書く条件を絞り込み、手品的なテクニックで覗き見るに違いない。僕は高を括っていた。
「お安いご用です。ただ、いつお書きになるのかを明言していただきませんと」
「あ、そうか。だったら……よし、今、午前十一時八分だから三分後の十一時十一分に書く。江住さんは今すぐに十一時十二分に行って、写真に撮ってきてくれます? そして戻ったら写真を僕には見せずに、一緒に三分経つのを待ちましょう」
単純な予言よりもワンランク難しくなったはずだ。現時点ではまだ書かれていない文字を当てろと言っているのと同義なのだから。普通に考えれば、絶対に不可能だ。当てるだけなら、これからの三分間、僕に話し掛けて誘導したり催眠術的な行為をすればひょっとしたらできるのかもしれない。しかしその上で写真に収めるのは絶対に不可能。それこそタイムマシンでもなければ。
さあどう断る?と、身を乗り出し気味にした僕だったけれども、江住氏は「承知しました」と軽い調子で言った。
「十一時十二分にスキップしてきます。四分後の私と顔を合わせるのは私的には気まずいので、会わないようにぱっと見て、写真を撮って、ぱっと帰ってくるつもりでいますから、どうか文字を書いた紙は、この廊下の縁に表向きで置くようにしてくださいませ。くれぐれも頼みます」
「わ、分かりました」
この条件を受けるのか? 驚きを飲み込んだ僕の前で、腰を上げた江住氏は別のSカードを背広の内ポケットから取り出した。かと思うとすぐに「スキップ」と唱える。彼がSカードを土間に放るのを見届けた――と思った次の瞬間、江住氏は元のようにしゃがんでケースに手を掛けていた。さっきよりも営業スマイルに磨きが掛かっている気がする。
「行って来ました」
「え……っと。そ、そうか。スキップとやらをして消えたんだけど、その直後の時間に戻って来たってことね」
万々が一、Sカードが嘘偽りのない時間旅行の道具だったとしても、ユーザーは使う間、元の時空からいなくなるもんだと、漠然と想像していた。だが直後に戻れば消えることはないという理屈は、遅ればせながら気付くことができた。そしてこれはまだインチキの余地が残ったとも言える。一瞬で消えて、少し経ってから突然現れる方がよっぽど時間旅行している証明になるんじゃないか?
そんな疑問を口に出そうか出すまいか迷っている内に、二分半が経過した。あと三十秒。
続く
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