第19話 4-2

 と、少しがっかりしていた私の耳に、おばあちゃんが不意打ちを掛ける。

「次の来院予定が、私と同じ日時であることをちゃんと確かめた上でね」

「――さすが」

 やっぱり恋は始まっているのかもしれない。始まったのなら、いつかまた聞かせてもらうとしよう。

 思い掛けず話が脱線したけれども、元に戻してSカード、どう説明しよう。目が見えないからっていい加減に済ませると、あとでばれたときにすごく怒るもんね、おばあちゃん。

「ぶつかったとき、相手の人も何か落とした風じゃなかった?」

 とりあえずはカードが誰の物なのかを考える方向に話を持って行く。

「そんな気配はなかった。そのあとの会話にも出て来なかったわねえ」

「だったら元から病院の床に落ちていたのかな」

「まあ、そこは後回しでいいじゃない。カードの裏側には何て書いてあるのかしら」

 やはり、説明をせずには終われないみたい。

「えーと。多分、小さな子供の遊びのカードなんじゃないかな。突拍子もない内容なのよ」

「突拍子もない、大いに結構。この歳になると何でも知っているような気分になってしまって、刺激を受けることに鈍感になるみたい。そうならないためにも、ぜひ話して聞かせて」

 参ったなあ。まあ、おばあちゃんは映画を観るにしても小説を読むにしても、ジャンルは満遍なく選ぶ人だったから、タイムリープやタイムトラベル、未来や過去、時間の流れといった概念は一通り理解できていると思う。あくまでも物語の中で起きるという理解もしているのは、言うまでもない。

「名前を書くスペースがあってね。そこに名前を書いた人が使用者になるの。そして使用者はこのSカードを使って、昔や未来に行けるようになるんだって。ただし三時間だけ」

 どういう順序で話せばいいのか判断しかね、私は目についた順に自分なりの言葉に置き換えて伝えた。

 するとおばあちゃんは柔和な目をぱっと大きくして、楽しげな笑みを口元にたたえた。「本当に?」

「あ、ううん、本当かどうかは分からない」

 多分、嘘だよと続けようとしたが、先におばあちゃんが口を開く。

「そういう意味で聞いたのではありませんよ。Sカードの裏側には、本当にそのような文言が書いてあるの?」

「あ、そっちの本当かどうかなのね。ええ、もちろん。咄嗟の冗談でこんなこと言えないわ」

「それじゃあ、試してみなくてはいけないわね。でなきゃもったいなくてたまらない」

 その線は私も思い付いてはいた。だが、積極的に言わなかったのは、もしSカードを試すとしたら、名前の欄にはおばあちゃんが原島弥生と記入し、おばあちゃん自身が試さなくちゃならない。でも、目の不自由な人を単身で送り出すなんてできっこないでしょ。着いて行けるならサポートとして同行したいところだけど、注意書きに二人以上の移動が可能かは記述がなかったし、どうこうできる物じゃなさそう。想像するに、名前を書いた当人のみが使用可になるっていうことは、誰かを連れてというのは無理っぽい。

 いやいや、何を真面目に考えているのよ、私ったら。

 試すだけ試して、これがジョークグッズか小さな子供の遊び道具だということをはっきりさせればいいだけの話。

 とはいえ、名前のことが気懸かりではあるなぁ。おばあちゃんに断りを入れなくちゃ。

「おばあちゃんはこれ、試してみる?」

「これっていうのはSカードとやらのことね? ええ、関心はとてもある。試したい気持ちもあるけれども、一人じゃどうしても不安だわ。ねえ、清美ちゃん。あなたが同行してくれることはできないのかしら」

「私も何度も説明書きを読んだんだけど、名前を書いた人だけのようだよ」

「そう……」

 ちょっぴり淋しげに息を漏らすと、おばあちゃんは元気なく傾げいていた首を戻した。私の方を向いて、「じゃあ悪いんだけれど」と切り出した。

「代わりに清美ちゃんが試してみてくれる?」

「えっと、試すのはかまわない。だけど、そのためには私が名前を書くことになるよ。万々が一にもSカードが正真正銘本物だったとき、おばあちゃんは使えなくなるみたいだよ?」

「それは仕方がないわ。だから本物だったときは、続けて私のお願いを聞いてほしいの。難しいかしら」

「ううん、いいわ。三回行って帰ってこられるとあるから、一回は試し、一回はおばあちゃんのために使って、あとの残り一回は私が私のために使うことにすればいいよ」

「よかった、引き受けてくれて」

 すでにSカードはおもちゃじゃない、本物だと信じているようだ。こういう精神が、気持ちを若く保つ秘訣なのかもしれない。


 さて。

 信じることは一毫もできていないんだけど、試しにスキップするからには本当だった場合を考えて、行き先を定めなくちゃ。Sカードの使用条件を読むと、未来に跳ぶのはリスクが高そうなので、必然的に過去に絞ることになった。さらに日時が定かじゃないといけないようだから、私の記憶力で大丈夫な範囲内……と、ここ一年ぐらいを思い返して、一つ見付けた。

 あれは去年の夏のこと。某アイドルグループのコンサートに行けなかったのだ。チケットを苦労して手に入れたのに、学校のテストが重なってしまったせいだ。それはおまえが悪いと言われそうだけれども、事情があるの。定期考査は全科目終わって、終業式までのある一日が、コンサート開催日。普通なら問題なく楽しめたはず。

 ところが古文の先生から全クラス再テストをしたいという告知が、謝罪とともにあった。私達の答案用紙を入れたアタッシュケースを愛車の助手席に置いて、ホームセンターかどこかに立ち寄った際、車上荒らしに遭ったという。その泥棒は金目の物に見えたのだろう、アタッシュケースの他にはダッシュボードにあった小銭のみを持ち去ったそうだ。採点はまだほんの一部しか済んでおらず、記録もしていない。成績を付けるには再テストしかないという訳。

 全面的に先生のミスなのに、私達生徒がその尻拭いをするなんて納得しかねたけれども、学校の決定は絶対だし、肩を落として憔悴した先生を前にすると、あんまりやいやい言えなかった。

 問題は再テストがコンサートの翌日に設定された点。そう、物理的には観に行くことは可能だった。けれども再テストがあると知ったうちの親が、今回はあきらめなさいと命令気味に諭してきたんだからしょうがない。チケットは転売防止がきちっとされていて、私以外は行けないから知り合いに代わってもらうことができず、開催日が近いため返品も利かなかったわ。

 ちなみに再テストの点数は、多分、最初のテストよりも下がった。こういう事情なら採点が甘くなるんじゃないかという期待は、無残に打ち砕かれた。

 よし。あれを取り戻そう。コンサートに行けるようにという目標が決まると、Sカードを信じる気持ちが一気に強まった。現金なものだよね、我ながら。


 続く

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