第5話 2-1
誰にだって憎くて憎くて仕方がない、どうか死んで欲しい奴の一人や二人、いて当たり前だ……と思っていたのだが、そうでもないらしい。
俺の小学校来の友人、
戸茂田が五歳のとき、タクシー運転手をしていた父親が職務中に強盗に遭い、頸動脈をやられて命を落とした。犯人はじきに捕まり、十五年の懲役刑が下った。そいつが十五年経って刑務所を出て来て、謝罪に訪れたのだという。病床にある母親を同席させるのは難しいと判断し、独りで元殺人犯の話を聞いた戸茂田は、真摯な反省の態度を感じ取り、謝罪を受け入れた。
「気の済むまで殴ってくださいと言われたんだけどさ。困ったよ」
大学の食堂で二人だけで早めの昼食を摂っている際、彼が話してくれた。
「どうして? 相手がOKなら、殴ってやればよかったじゃないか」
カツカレーを食べながらするにはあまり似つかわしくない話題だったが、興味深くはあった。
「いや、それで殴ったら犯罪だし。気が済むまでとなったら、相手が死んじゃうかも。ああ、それじゃ手ぬるいか。親父と同じ死に方をしてくれないと、完全には気が済まないだろうな」
軽い調子で笑いながら言った戸茂田。冗談なのだろうが、こっちは笑えない。
「そもそも、ずっと恨みを持ち続けるのってしんどいんだよ。それくらいなら、許した方がすっきりして、僕らも前向きに生きていける。まあ、十五年前にけりが付いていたしね」
「俺なら多分、そこまでは割り切れないな」
思い返すと、戸茂田は昔から心の広い奴だった。
小学校の習字の時間に、戸茂田が書き上げた物を他の男子達が台無しにしたことがあった。授業中にも関わらず、ぞうきん投げを始めた二人がいて、その片方が丸めたぞうきんを投げ損ない、戸茂田の半紙の上にドサリ。でも、戸茂田は笑って許し、もう一枚書き上げた。
また、中学二年のとき、戸茂田が好意を寄せる女子生徒がクラスにいたのだが、あろうことかその彼女は戸茂田の親友に告白してきたのだ。実は、親友ってのは俺のことで、俺も舞い上がったものだから告白を受けてしまった。じきにばれたけれども、戸茂田はしょうがないよとあっさりしたものだった。ちなみにその女子とは卒業間際に別れて、今どこでどうしているのかまるで知らない。
さらに高校二年のときには、いわゆる不良学生に街中で絡まれていた部の後輩を、仲裁に入って助けてやったこともあった。俺は遠くから眺めていただけだったが、いくらか身銭を切ったようだった。ああいう輩に対しても、戸茂田は寛大な態度を示した。
他にも細々としたエピソードは、枚挙にいとまがないと思う。まあ、そういう性格の奴なんだというのは前から感じてはいたけれども、まさか親父さんを殺害した犯人――刑を全うしたのだから元犯人とすべきかもしれないが、どうしてもそんな気にはなれない――の謝罪まですんなり受け入れ、憎しみを水に流すとは……お人好しに過ぎるんじゃないかと思わざるを得ない。
そういった意味の言葉をオブラートに包んで言ってやると、戸茂田は唇の端を上向きにした。なかなか見せない戸茂田のにやりとした笑い、何か意味ありげである。
「謝罪の印として、特別な物をプレゼントしてくれたんだ」
「特別な物って、犯罪の謝罪と言ったら賠償金じゃないのか」
「金じゃない。ちょっと信じられない非現実的な代物で、まともな人間なら取り合わないんじゃないかなあ」
「おいおい、何だか知らないが、そんな物を渡されたからって許したのかよ」
「そのニュアンスは違うな。許す判断は僕の端っからの意思だ。あいつからのプレゼントを受け取ることにしたのはまた別で、贈り物としてはどうかと思うが、ジョークとしてなら気が利いていると感じたまで」
「どこが気が利いているのか、説明願おうじゃないか」
「もちろん、そのつもりだ」
戸茂田は昼飯――最後に残していたミックスフライの一つを口中に放り込むと、皿などが載ったトレイを脇にやり、足下に置いていたボストンバッグをテーブルに持ち上げた。そして口をもぐもぐさせつつ、バッグの中をごそごそとやり始めた。
「もったいぶらずに、どんな物なのか、先に言葉で教えてくれないのか?」
「もったいぶってるんじゃないさ。言葉で言い表すのがやや難しいから、実物を見てもらった方が早いかと思って。名前はSカードと言っていたんだけど、これを聞いただけじゃ何のことだか分からないだろう?」
「お、おう。カードと言うからには一枚の名刺大の物なんだろうなっていう想像は付くがな。それともカードじゃないのか?」
「いや、それで合っている。あ、でも普通のカードに比べたら少し横長かもしれない。ああ、あった。お待たせ」
優しい物言いにちょっぴりいたずらげな響きを含ませ、戸茂田は言った。バッグの口から戻った手には、茶封筒が一つ。傾けると黒っぽいカードが一枚、するりと滑り出てきた。
こちらに向けられたそれを見て、俺はわずかに首をかしげた。俺自身、戸茂田にからかわれていると感じたのだ。
「何だよ、UNOのスキップじゃないか。ジョークか?」
「そう見えるけれども、UNOじゃないんだ。裏返せば分かる。手に取っていいよ」
言われるがまま、UNOのスキップそっくりなカードをつまみ上げ、裏を見てみる。小さな文字で何か書かれていた。日本語なのは分かるが、さして視力のよくない俺は目を凝らしてまで読もうとは思わなかった。説明もしくは注意書きだということは容易に想像できた。
「あいつが言うには、刑務所で知り合ったある人物から受け取ったそうだよ。極めて便利な道具だが、自分にはもう使い道も時間もないからやると言われたらしい」
「待ってくれ。道具? このカードは道具なのかい」
まさかご冗談をというニュアンスで問うたつもりだった。だが、戸茂田は大真面目に首肯する。
「話を聞いた限りではね。詳細はその裏にある取説の通り。まだ試していないから本当かどうか分からない」
「かいつまんで話してくれ。小さい字は苦手だ」
俺の求めに戸茂田は仕方がないなと呟き、カードを手に取るとしゃべり始めた。
「このカードの正式名称は、Sカード・スタンダード。何ができるかって言うと、時間旅行だ」
「時間旅行」
日常的には使わない単語が飛び出した。数秒の間を置いて、信じられない代物だと言っていた意味を理解した。
「タイムマシンみたいな物だってことか?」
「そうなる。だいぶ制約があるみたいだけど。まず空欄に名前を書き、使用者を決める。使用者の変更は絶対に利かない」
「つまり、一人でしか時間旅行はできないと」
「うん。それから、行ける範囲は……使用者の生きている時空に限られる」
「どういうことだ?」
「多分だけど、たとえばAって人が二〇〇〇年の一月一日に生まれて、二一〇〇年の一月一日に死んだ、という人生を送ることが決まっているとするよ。そのAさんがSカードの使用者になった場合、行けるのは二〇〇〇年一月一日から二一〇〇年一月一日までに限定されるって意味だと思う」
「……まだ飲み込めないな。仮にAさんが二〇二〇年に使用するとして、過去のことはともかく、未来は分からないのだから、行ける範囲も分からないままだぜ?」
「そこは賭けなんじゃないのかな? 僕らみたいな大学生なら、よっぽどのことがない限り、あと四十年ぐらいは大丈夫的な感じで」
考えながら話しているのか、いつもに比べて話すスピードが落ちている戸茂田。
「もしその範囲をはみ出して時間旅行をしたら、ペナルティがあるのか」
「命に関わるって」
未来への旅行は、文字通り命懸けの旅になるのか。それならほとんどの人は過去に行くことを選びそうだな。――俺はこの突拍子もない設定のSカードを、案外肯定的に受け止めている自分に気付き、苦笑した。一種の思考実験みたいに捉えているのだ。
「死ぬとは書いてないけど、死ぬんだろうね」
「迂闊に使えないじゃないか。他にもやばいルールがありそうだ」
「そうだね。三時間以上滞在すると、身の安全を保証できないし、元の時代への帰還も右に同じ。同じ時空に何度も行くことはなるべく避けるようにともある。こちらは不測の事態が起こりかねないっていうニュアンスだ。あとは、ブーメランタイプのタイムマシンだってことと使用回数に上限があるって」
「使用回数は分かるが、ブーメランタイプってのがピンと来ない」
「現在いる時空を出発して、過去に行こうが未来に行こうが、その次にカードを使って行けるのは、出発した時空のみ。必ず一度戻って来なければならないことになるね」
「あちこちの時代を寄り道してはいけないってか」
帰還が保証されているとも解釈できるから、まあ悪い条件ではない。
「使用回数は六回となっているけれども、これは行って帰ってで二回と数えるそうだから、結局は三回しか使えない」
「はは、けちくさいな」
「恐らくスタンダートよりも上級のカードがあって、そっちの方はもっと回数が多いとか、無限に使えるとかあるんだよきっと」
「カードのことはだいたい分かった。で、これのどこがどう気の利いたジョークになるって?」
改めて尋ねる。すると戸茂田は唇が渇いたのか一度舌で湿らせ、さらに深呼吸をしてから話を再開した。
「謝罪に来たあいつはSカードの説明を終えたあと、僕に真剣な眼差しを向けて、こう言った。『もし今後、やっぱり許せないという気持ちになったときは、Sカードを使っていつでも私を殺しに来てくれていい。いっそ、私が事件を起こした時点に行って、私の凶行を止めれば、お父上は亡くなることなく今に至るまでご存命である、新たな歴史が作られるはず』と」
「……」
続く
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