第4話 1-4
一番初めに誓ったように、僕は設楽と同じ立場まで身を墜とす気はない。あいつを殺すという選択肢は端から無視だ。
そうなると当然、もう一つの選択肢、あいつを遠ざける方法に絞るほかない。遠ざけると言っても、強制的に連れ去るなんて、できっこない。五年よりももっと過去に行き、設楽に接触して、奴の人生を変える――これも無理そうだ。何せ、たったの三時間しか使えないのだから。
そうだ、警察に逮捕させるというのはどうだろう? たとえば、設楽が最初の殺人をする現場に飛んで、あいつを現行犯で捕まえる……。
よい方法に思えたが、じきに恐怖心が僕に芽生える。殺人鬼に立ち向かおうというのか? 首尾よく組み伏せることができても、僕自身も無傷で済むまい。
いっそ、捜査本部宛に匿名の手紙を出すのはどうだろう。殺人現場を目撃したが、怖くて名乗り出られないので手紙で知らせる、というのはありそうな話だ。ただ、犯人の名前まで記すのは不自然だ。自然な形で設楽が犯人であると示すには、凶行の瞬間を捉えた写真でもあればいいのだが……そんな写真を撮ること自体は可能でも、設楽に気付かれるリスクが大きい。だいたい、僕にできるだろうか? 見ず知らずとは言え目の前で女性が殺されるのを黙って見過ごし、写真に収めるなんて。
半ば運を天に任せるつもりで、僕は過去のある時空へと飛んだ。
移動が完了するや、足下にあるはずのSカードを回収することをも後回しにし、さらにその下、今まさに女性――第一の被害者になるはずの
そう、僕は最初の犯行現場の上空五メートルに現れた。裁判記録などを読んでも、厳密な意味での正確な犯行時刻は不明であるため、その点は賭けるしかなかったのだが、どうやら間に合った。春日井さんは死んでいない。必死に抵抗している。
僕は落下しながら、未来より持ち込んだ鉄パイプを構え、設楽の肩口に狙いを定める。そして一撃!
見事にヒット。設楽はばね仕掛けのおもちゃみたいに、横方向へ飛んだ。いや、倒れたのか。僕の体重も加わっているから、強烈な不意打ちを食らったことになるはず。だが、殺しまではしない。設楽の自由を奪えればいい。僕はジーンズのサイドポケットに突っ込んでいたおもちゃの手錠を取り出すと、設楽を後ろ手にして拘束する。おもちゃではあるが滅多なことでは壊せない頑丈な物を選んだ。念を入れて、ガムテープでぐるぐる巻きにする。仕上げに、梱包用の丈夫なロープで近くの大木と設楽の手錠とを結び、くくりつけた。
全ての作業をやり終えたあと、設楽に意識があることに気付き、ぞっとする。うっすらとではあるが奴の目が開いて、こちらを睨んだようだ。逃げるか、叫ぶかしたいところを耐え、僕は負傷した女性に話し掛けた。携帯電話を借り、救急車とパトカーを呼ぶのだ。
それから暗闇を凝視した。Sのマークが黄緑色に浮かび上がっている。Sカードには前もって蛍光塗料を塗っておいた。おかげで回収を素早くできる。僕は息を整える間も惜しみ、元いた時空に引き返す。
大晦日の夜、戻って来た僕は即座にアパートを出た。過去をいじったことで、また新たな“今”が生じているに違いない。タクシーを拾い、目的地へと急ぐ車中で、その変化を吸い取る。
森野さんが無事であることは感じ取った。最初の犠牲者になるところだった春日井恵さんも怪我は負ったが、命には関わりなく済んでいた。それから設楽が五年前に傷害で逮捕されたことも分かった。
でも肝心の真っ先に知りたいことが、まだ分からない。森野さんの身に、別の凶事が降りかかっていないのか。普通に暮らしていることまでは感じ取っているのだが、前のときに残っていた傷跡の類がどうなったのか、把握し切れていない。彼女のいるマンションに行き、直接会う方が早い。
「あ、迎えに来てくれたの? それもタクシーだなんて」
マンション前、玄関ホールを出たところで、森野さんは立っていた。
この瞬間、僕は、僕らがこれから初詣に出掛ける約束をしていることを理解した。
僕はタクシーを降りると、滅多に口にすることのない「お釣りは取っておいて」の台詞とともに支払いを終えた。
そして星明かりと外灯の力を借りて、彼女の顔を、全身をじっと見る。
「ど、どうしたのよ。何かついてる? なんてありきたりのこと、言わせたいのかしら」
「……よかった」
思わず、彼女を力いっぱい抱きしめていた。
森野さんは五年前からずっと、犯罪や事故に巻き込まれることなく、今日この日、こうして僕の前に立っている。因果応報やバランスなんて関係なかったんだ。
「――痛いってば。寒いからって、人をカイロ代わりにしないの」
「あ、ごめん。何だか、凄く、嬉しくってさ。やっと君に会えた気がした」
「……」
黙って聞いていた森野さんの真顔が、不意に崩れ、頬が緩む。
「時々おかしいよお、市クン」
「大丈夫、もうおかしくない。今まで通りの僕さ」
さて、じゃあ当初の予定通り、初詣に出発しようと、道路を見やると、すでにタクシーはなし。待っていてくれとは頼まなかったし、運転手だって、こんなラブシーンまがいのものを見せつけられては、さっさと立ち去りたくなるのもうなずける。
しょうがない。にぎやかな通りまで出て、改めて車を拾うとしよう。
歩き始めて五分ほど経った頃だったろうか。
生活道路の十字路で、右側から出て来た男とぶつかりそうになった。揉めごとは避けねば。そんな心構えをしてから相手を見やる。と――。
「……おまえ、こんなところで、見つけたぞ!」
いきなり殴り掛かってきた男の顔には、見覚えがあった。
設楽幸三郎。
森野さんの悲鳴が聞こえた。
何故だ? 設楽の奴、死刑に……。いや、僕は勘違いに気付く。
今の設楽は死刑囚でもなければ、殺人犯でもない。傷害事件の犯人だ。未成年で、傷害事件一つを起こしただけなら、五年もあれば出て来られるのか。
そして、何というこの偶然。これが因果応報ということなのか?
「おまえのせいで!」
外灯の明かりに、銀色に光ったのはバタフライナイフか?
次の刹那、僕は脇腹の辺りに熱い痛みを――。
僕は五年前、設楽が最初の事件を起こした直後に、飛んだ。
森野さんや設楽に姿が消えるところを見られたに違いないが、緊急事態だったから、許してもらいたい。あの場合、Sカードを使って逃げなければ、命が危なかった。それに、これから僕は過去にまた介入し、森野さんの目の前で消えたという事実自体、なかったことになる。
動悸が激しくなっている。過去に飛んでも傷は消えない。痛みは血とともに、どんどん広がっているようだ。傷口を見る気がしないので確認していないが、急いだ方がいいに決まっている。
僕がSカードのラストチャンスを使い、この時空に飛んだのは、最早覚悟を決めたから。
僕と森野さんの完全な幸せのためには、設楽幸三郎という人間自体、存在してはならないんだ。
それに、今なら、僕は設楽を殺してもいいはずだ。何故って、“ついさっき”僕は設楽に殺されそうになったのだから。正当防衛で、逆に設楽を葬っても、何ら問題あるまい。法的にも、倫理的にも。
僕はSカードを拾い上げると、なくさないよう、懐にしっかりと仕舞った。そうして、前回来たときに置いていった鉄パイプを探す。すぐに見つかった。
縛られたままの設楽の前に立ち、奴を見下ろし、狙いを定める。早くしなければ、僕自身が携帯電話で呼んだ警察が、ここに着いてしまう。
大きく息を吸い、得物を振り上げた。
――エピソードの1、終わり
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