第3話 1-3
「……何でしょうか」
振り返った森野さんの戸惑いがちの表情が、外灯に照らされている。計算通りだ。この位置なら近付くことで、僕の方も顔をはっきり見せられる。
「親戚の家を初めて訪ねるところで、探してるんですが、分からなくて。あなたと同じぐらいの年頃の男の子がいる、田村さんというお宅なんです」
早口になっているのが自分でも意識できたが、不自然さとまではなっていまい。相手の反応を期待を込めて待つ。
「田村……もしかしたら、知っているかも」
「え? その男の子は確か市彦君と言って、中二で。親戚連中に言わせると、僕とよく似ているらしいんだ」
相変わらず口調に焦りが滲んでしまうが、致し方がない。悪いことをしようとしているんじゃないんだ、落ち着け。
森野さんは僕の言葉に意を留めたらしく、こちらの顔をまじまじと見つめてきた。一拍おいてから、にこっと笑みをこぼす。
「ええ、似てる。私の知っているクラスメイトと」
信用を得た瞬間だった。正直、涙がこぼれそうになるほど嬉しい。だが、ここで本当に涙を流しては、それこそ変な人だ。ぐっと我慢し、話を続ける。
「ということは、同級生かい? それはラッキーだ。大まかでいいから、どう行けばいいのか教えてほしい」
「……」
森野さんは少しよそ見をする。上目遣いになって、何かを迷っている風だ。
僕も迷う。何かを言って、望む方へ話を持っていくべきか否か。
だが、こちらが誘導せずとも、彼女は親切さを発揮した。
「偶然、私は田村君と親しい方ですから、案内します」
そんな前置きをしたのは、付き合い始めたことを知られたくないからかな、なんて思った。
とにもかくにも、ルートを曲げることに成功した。内心で、小躍りしている。その喜びを面に出さないよう、努力が必要だったくらいだ。
勝手知ったる道順を、さも初めて通るかのように振る舞いつつ、森野さんの斜め後ろを歩く。道すがら、会話を交わす方がいいかとも考えたが、結局よした。「悪いね、ありがとう」の謝辞ぐらいに止めておく。
家が見える位置まで来て、僕は何気ない風を装って時刻を確かめた。よし、もうすぐ犯行時刻とされる時間帯だ。このあと僕が姿を消して、しばらく騒ぎになり、時間を稼げるはず。それに五年前の僕は、ガールフレンドの思いも寄らぬ訪問に、少しぐらい一緒にいようと引き留めるだろう。何たって、今宵はクリスマスイブなんだ。
「ここです。表札が出ているから、間違いないか、確かめてみてください」
森野さんに促され、僕は表札に目を凝らした。
「ああ、ここみたいだ。ほんと、わざわざ案内してくれて、ありがとう」
「いえ、別に大したことじゃ……」
きびすを返されない内に、僕は急いで付け足す。
「ついでに頼みたいんだけれど、呼び鈴、君が押してくれないかな。それで誰でもいいから、玄関まで呼んでほしい」
「え?」
「驚かせたいんだ。ご無沙汰していて、恥ずかしいってのもあるけれどね」
「……ここまで来たら、しょうがないですね」
困ったような笑顔になった森野さんは、手袋をした手を伸ばし、呼び鈴のボタンを押した。
うちのインターフォンは音声のやり取りができるだけで、カメラはない。スピーカーを通じて『どちらさまでしょう?』という声が届く。この年のこの時間、父は酔って寝ており、母は食後の後片付けで忙しかったのだろう。その声は僕自身のものだった。
森野さんはちょっとだけ考えを巡らせる仕種を覗かせ、やがて口を開いた。
「夜分にすみません。私――森野です。その声は、田村君?」
『あ』
突然の事態に、機械が瞬停したみたいに、音声が途切れる。一秒か二秒の沈黙を挟んで、『あ、ああ、森野さん。えっと、何』と応じるのがやっとの様子。我がことながら、苦笑を禁じ得ない。この様子なら、充分に時間を稼いでくれよう。
いつまでもとどまって、笑っていられる状況ではない。僕は気持ち、忍び足になり、この場を離れる準備をする。しばらく待っていると予想通り、森野さんがこちらを肩越しに見た。それから彼女がまたインターフォンの方を向く。そのタイミングで、僕は姿を消すことにした。
戻るなり、驚かされた。それこそ、心臓が喉から飛び出るんじゃないかと思うほどに、どきりと。
「どうかした?」
アパートのトイレを出発点とし、また戻って来たのだが、Sカードを拾って戸を開け、居室に足を踏み出した矢先のことだ。女性の声が、話し掛けてきた。
「――君は、森野、さん」
森野さんがいた。五年分成長しているが、見間違いようがない。髪型こそ長く伸ばして、おしとやかなイメージだが、そこを除けば、中学二年生時の姿を拡大コピーした感じがする。もちろん、化粧をして、着飾って、大人っぽくなっている。
「変なの」
僕の反応や表情がよほどおかしかったのだろう。ころころと笑う。
「やっと下の名前で呼んでもらえるようになったと思ったのに、元に戻っちゃうのかなあ?」
「いや。顔を上げたらすごい美人がいたので、ぼけてしまった」
とっさの応対にしては、まずまずではないだろうか。色々と混乱している頭で、状況把握に努める。
推察するにこれは……まず、ともかく、森野さんを五年前の悲劇から救うことに成功した。これは確定事項だ。だから彼女が生きて、ここにいる。
いや、ここにいるのは、彼女が今でも僕のガールフレンド、いやいや、恋人でいるからに他ならない……と思っていいのか? 順調に交際を続け、今や下の名前で呼び合い、アパートを訪ねるまでに、なっていると?
ひょっとしたら五年前の今日、インターフォンで会話をしたことがきっかけで、交際を始めたばかりなのに大きな進展があったのだろうか。そんなことまで想像してしまう。
「そろそろ出発しよ? 映画に間に合わなくなる」
これからデートらしい。
「うん、ああ」
肯定の返事すら、どんな言葉を使っているのか分からない。どぎまぎし通しのデートになりそうだ。
ところが――徐々に身体と心が、今の時空に馴染む。そんな感覚があった。じわじわとだが、状況を理解していく。誰に教わるでもなく、乾いたスポンジが水を吸い取るかのごとく。
そして……思い出した。
すっくと立ち、玄関へと向き直る勢いで、髪をなびかせた森野さん。その生え際に僕の目が自然と行く。
はっきりとは見えなくても、あそこには深くて長い傷がある。
森野さんは五年前のクリスマスのあと、設楽幸三郎に襲われた。命こそ助かったが、手術でも容易には消せない傷を負ったのだ。
「どうしたの? 本当に変よ、今日の市クン」
折角だから、という訳でなく、新しい“今”をしっかりと噛みしめ、実感するために、僕は森野さんとのデートを楽しんだ。早めに切り上げて、アパートに一人で戻ったのは、やり直しの必要を強く感じていたから。
殺人事件の犠牲になるという絶望の淵から助けたのはいい。目的達成である。が、あの後日、同じ犯人に襲うことを許してしまい、森野さんの身体と心に傷を残す結果になったのでは、喜べない。画竜点睛を欠くと言える。そして欠けているのは、目の点どころではない。
僕は決意した。もう一度、過去に飛ぶ。今度は森野さんを完全に無事に、助け出す。きっとうまい方法があるはずだ。
森野さんがあのあとも襲われないためには、犯人の設楽を凶行に走れないようにすればいいんじゃないだろうか。常に奴の行動を見張り続けることは、僕には到底無理だから……残る手段は、奴を殺すか、森野さんの生活範囲から遙か彼方へと遠ざけるか。二つに一つ。
続く
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