第2話 1-2

「これだけ?」

「お、もうお済みですか。それで、これだけとは?」

 湯飲みを口から離し、聞き返してくる江住氏。僕はSカードをテーブルに置き、とんとんと指で軽く押さえながら言った。

「もっと細かい禁止事項があるんじゃないの? 大雑把に言って、歴史の改竄をしてはならないっていう……」

「ああ、それならご心配には及びません。正確に説明し、かつ、田村様にご理解いただこうとすると長くなるので省略しますが、人類がSカードを発明し、使うことをも含め、全てが時間の流れであり、歴史なのです」

「……分からないなあ」

「歴史が変わったとしても、結果が全てということです。ご納得がいただけなければ、時間の流れは実に強大で、一個人が少々がんばったぐらいでは変わらない、とも言えます」

「うん? まるで正反対のようだけれど」

「そうですねえ……仮に一個人の行為が歴史の書き換えにつながろうとも、因果応報、バランスを取る形で揺れ戻しが起こり、結果的には丸く収まっている。これでどうです?」

「うん、まだ分かったような分からないような」

「考えてもみてください。私がこうして、未来の製品を田村様に紹介し、今まさに売り渡そうとしている、この行為自体、歴史の改変でしょう。でも、これは禁じられていないし、実際に歴史に大きな影響を及ぼすこともないのです」

「……調査済みってことかな」

「そう受け取ってもらって結構です。第一、歴史を変える行為はだめと禁じたところで、一般人に過ぎないお客様が、把握できやしません。極端な例を想定するなら、道端の小石を蹴っ飛ばすかどうかで、人類全体の将来に関わるかもしれないのですから」

 そういう筋書きのSF漫画を、小さな頃に読んだ覚えがあった。既に記憶は曖昧だが、読後、少なからず怖さを感じた気がする。

「他にご質問は」

「6にある使用限度の六回っていうのは、スキップの回数だけ? それともRスキップを含めた回数?」

「Rスキップも含めます。ですから、実質、三回とも言えますね」

 ちょっとがっかりした。三回では、余程吟味して使う必要がある。

「もう一つ、質問。3番だけど、使用者、つまり僕の生きている時空でしか使えないというのは分かるんだけど、過去はともかく、何年先の未来まで自分が生きているかなんて、どうやって知ればいいんだよっていうか……」

「その疑問はごもっともですが、お教えすることはできません。ただ、サービスとしておおよその目安はお伝えできます。現時点の田村様なら、あと六十数年は確実に生きられます」

 てことは、八十歳ぐらいまでなら、まず大丈夫という訳か。

「これも親切心のつもりで付け加えておきますが、未来に行く折は、充分にお考えになった上で、実行するのが賢明です。たとえば、移動した先が大火事のまっただ中であれば、焼け死ぬ恐れがあります。思い浮かべた建物が取り壊され、高速道路が通っていることも、ないとは言えません」

「危なくて使えないじゃないか」

「ええ。ですから、なるべく過去に行かれることをお薦めします。過去なら、調べさえ万全にしておけば、まず大丈夫です。それに」

 江住氏は口元をきゅっと結び、会ってからこれまでにない、真面目な顔つきになった。

「それに、田村様は過去に行き、是非とも食い止めたい出来事があるのではございませんか? 私、僭越ながらそれを見越した上で、今日という日を選び、販売に伺ったのですが」

「――確かに。ないこともない」

 即座に認めるのは何とも気恥ずかしいので、そんな返事に止めた。

「もう一度確認するけど、江住さん。過去を変えてもいいんだね? 死んだ人を生き返らせても?」

 僕は腰を浮かせ、江住氏へとにじり寄っていたかもしれない。

 セールスマンは、らしいスマイルを浮かべ、

「問題ありません」

 と答えた。


 僕は五年前の事件について、改めて、調べうる限りのことを調べた。

 中学二年生のときのクリスマスイブに、クラスメイトの一人が死んだ。殺されたのだ。彼女の名は、森野早紀子もりのさきこ。僕の好きだった異性、そして恋人になるはずだった人。

 十二月頭に思い切って、付き合ってほしいと告白し、OKの返事をもらっていた。二十三日にプレゼントを交換した。そのとき、「今年のイブやクリスマスは女友達や家族と過ごす予定がもう入ってるから、来年ね」と言った彼女に、「どうだろ? 来年は高校受験があるからなあ」と僕はとぼけた。

 犯人は年明け早々に捕まった。森野さんで三人目となる犠牲を出した連続殺人鬼で、四人目を襲おうとしたところを第三者に見付かり、逮捕された。二十歳になったばかりの、設楽幸三郎したらこうざぶろうという大学生だった。動機は身勝手なもので、大学生になっても未来が見えて来ないとか、自分よりも優秀な人間に馬鹿にされている気がしたとか、思い通りにならない現実にむしゃくしゃしたとか、そんな理由で自分よりも体力的に劣る者を狙い、鬱憤を晴らしていた――と語ったらしい。

 一人目を殺した時点では未成年であった点が多少問題視されたものの、判決は死刑で早々に確定。現在は執行を待つ状況にある。

 無論、犯人が死刑になっても死んだ者は戻らないし、遺族を始めとする遺された者の気が晴れることもないかもしれない。そうと分かっていても死刑を望んだ。

 今でもその感情に変わりはない。森野さんを助けられるかもしれないという立場に立った今でも、だ。

 僕はただ、思い掛けず手に入れたSカードの力を借り、最善を尽くすのみ。チャンスは三回。しかし、注意事項に、同じ時空への介入は繰り返さない方がよい旨が記されているだけに、なるべく一度で決めたい。

 そのためには、まずSカードで移動したあと、どんな具合になるのかを体験しておくべきだと考えた。リハーサルを経ることで、本番では計画した通り、落ち着いて行動できるに違いない。

 では、具体的に、森野さんをいかにして凶行から救うか。

 真っ先に心に決めたのは、僕自身が犯人の設楽と同じ位置に堕すまい、ということだ。噛み砕いて表現するなら、いくら森野さんを助けるためでも、他の何者かを死なせてはいけない。たとえそれが、今や死刑囚となった設楽であろうとも。

 最も穏便な方法として僕が思い付いたのは、事件当日までに設楽と親しくなり、事件を起こさせないというものだったが……滞在三時間で達成するのは、困難極まりない。

 逆に考えるのはどうだろう? 森野さんを犯行現場から遠ざけるのだ。あの日、彼女は女友達の家から徒歩で帰宅途中、襲われた。ならば、僕がそれよりも早く彼女の前に姿を現し、送って行くなり、どこかで時間を稼ぐなりすれば、悲劇に遭わずに済むのではないか。

 いや、待て。僕は移動した先でも今の僕の姿であって、森野さんからすれば見知らぬ青年(おじさんかもしれないが)に過ぎない。下手をすると、僕自身が変質者や犯罪者扱いを受けかねない。

 だが……小さな修正を施せば、この作戦はまだ行ける。事件当日の時空には、当時の僕が存在する。だから、当時の僕に事情を説明し、森野さんを迎えに行かせる。これで危機を回避できるのではないか。三時間あれば納得させる自信があるし、いざとなったらSカードの秘密を明かせばいい。Sカードについて口外禁止の条項があるが、自分が自分に言うのは当てはまらない、だろ?

 悪くない案だと思うのだが、不安なのは、江住氏の言葉。そう、時間の流れは強大だとか、因果応報だとか。僕のこの程度の介入なんて消し飛ばされ、なかったことに? あるいは、その時点では森野さんを救えても、別の日に被害に遭うかもしれない。もしくは、設楽の手から逃れたはいいが、他の凶事に巻き込まれて命を落とすかも……? 不安は尽きなかった。

 ただ、江住氏は、僕が森野さんを助けに過去へ行くと踏んだからこそ、Sカードを売りに来た、みたいな話もしていたっけ。あの人には胡散臭いところもあるが、基本的に信用している。その江角氏がわざわざ無駄に終わると分かった上で、僕を煽るような真似をするだろうか。しないと思う。思いたい。

 と、計画を練る内に、失敗に終わった場合、何も同じ時空に行かなくても、他の時空に行き、別の方法で介入すればいいと気付いた。これなら、同じ時空への介入繰り返しにはなるまい。

 そう考えるに至り、ほっとする。同時に、リハーサルがもったいなく思えてきた。一度たりとも無駄にせず、三度のチャンス全てを森野さん救出に注ぎ込むべき。その上で、一度目で成功すれば御の字だ。

 僕は改めていくつかの救出作戦を考え出し、その中から特に有効そうな三つを選んだ。


 一度目。

 僕が行き先に選んだのは、事件発生の一時間前、森野早紀子が通るであろうルートからほど近い、寂れた公園。そのトイレ裏。冬の夜七時過ぎだから人目は少ないはずだが、念には念を入れて、目立たぬ場所に出現するよう心掛けた。

 出発日は、クリスマス前日。意図した訳ではないのだが、彼女の命日と重なった。これをなかったことにしてみせる。

 説明書きの通り「スキップ」と唱えたら、アパートの個別トイレから、いつの間にかこの地点に立っていた。足下を見るとSカードがあったので、忘れない内に拾っておく。

 過去に遡った確証こそまだないが、瞬間移動を果たした。Sカードはジョークでも詐欺でもなく、本物だった。でも一応、間違いなく目的の過去に到着したと、確認しておきたい。革ジャンの襟を立て、僕は近くの商店街を目指した。そうして寒風に翻るのぼりに記された数字が、五年前の西暦であることを認めるや、すぐに引き返す。これで確実だ。

 改めて、周りを見渡す。

 記憶に残る光景と、今、眼前に広がる光景に、大きな差はない。五年程度なら、まだまだよく覚えている。懐かしさに浸る間もなく、また、時間旅行をしたという感激を味わうこともほとんどなく、僕は急いだ。森野さんを待ち構えて、呼び止めねばならない。

 最初の作戦として選んだのは、悲劇へとつながるルートを変更すること。そのためには、未来から来た僕自身が彼女に声を掛けるのはまずい気がしたのだが、さらに考えを詰めると、僕が五年前の僕とよく似ている事実が利用できると思い至った。

 僕は田村市彦の親戚に扮し、田村家を探しているという設定で、森野さんに近付く。道を尋ねるだけなら、警戒される恐れが大きい。しかし、田村市彦や家族の名前を出し、この僕の顔を見せれば、道を教えてくれるに違いない。うまく行けば、実際に家まで案内までしてもらえるかもしれない。そうなれば目的達成だ。自宅前まで来て、彼女に家の者を呼び出してもらっている間に、姿を消す。怪訝がられるのは必至だが、森野さんを守るためには仕方がない。思い付いた中では、最も穏当なやり方なんだ。

 目星を付けていた道端に立ち、しばらく待った。何人かの人、何台かの車両をやり過ごした後、とうとうやって来た。

 五年前の森野早紀子。

 視界の端でショートヘアの彼女を見つけたとき、僕は叫びそうになった。すぐにでも手を取り、安全な方角へ引っ張っていきたくなった。よく堪えたものだと、我ながら感心する。

 僕は深呼吸して自分を落ち着かせ、道に迷っている演技を続けた。森野さんとすれ違い、僕は五秒を数えたところで、振り向く。

「あの、すみません。――すみません!」


 続く

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