その7

『昨日、また来ました』

 電話口の声は、流石にか細く、流石に疲れ切っているようだった。

 依頼を受けた時に聞いたような、些か尊大な部分は影を潜めているように感じる。

『僕もどうしていいか分かりません』当麻淳氏はそう言って、ため息を吐いたようだった。

 彼によれば、この頃パソコンを開くのが怖くてたまらないという。

 送られてくる”浦島太郎”からのメールの内容が、日に日に狂気に満ちてくるような、そんな感じがするという。

 たまりかねて何度か再び警察に相談に出向いたが、返ってくる答えは前と一緒だった。

『乾さんの方は、手掛かりはつかめたんでしょうか?』不安げな口調で聞いてきた。

『何となくね。でも私の方としても無茶は出来ません。もうしばらくで証拠固めが出来ますよ』

『頼みますよ。僕の創作の自由を何としても守ってください』

 そう言って彼は電話を切った。

『創作の自由、ねぇ』

 俺は腹の中で呟くと、肘掛椅子から立ち上がり、コートを羽織った。

 外の雨はまだ止む気配はない。

 

 この雨の中を歩いて、俺は近くの老夫婦が二人きりで営んでいる本屋に出かけ、当麻淳原作、はやみ和人(彼と組んでいる漫画家だそうだ)画の漫画をありったけ買ってきた。

 前から注文してあったのだ。

 ああ?

”何でそんなめんどくさい事をする?ネット通販で頼めばいいだろう”だって?

 俺がネットをやらないってのは、前にも話したろ?

 勿論馬鹿でかい大手の”ブックセンター”というのもあるにはあるが、俺は一本独鈷になって以来、この夫婦の店には世話になってるんだ。

 だから本を買う場合はこの店と決めている。

 今ではすっかりさびれちまって、夫婦二人が喰っていくのがやっとだとこぼしているから、俺だけでも常連になってやろうと思ってな。

 こう見えても貞淑な面があるんだぜ。

 ま、そんなことはどうでもいい。

 俺としたことが、一番肝心なことを忘れて居た。

 川本博が何故あそこまで当麻淳原作の漫画を攻撃するのか、それを知っておく必要があったのだ。

 それを知らずして、ことを解決することは出来ない。

 当麻淳原作の漫画は、短編集五冊、長編シリーズ四冊の、合計九冊が発行されていた。

 全部出版社は違うが、結構な版を重ねているところから見ると、売れ行きはさほど悪くはないようだが、70過ぎの老人には、

『こんなもの、どこがいいのか分からん。あんたも物好きだな』とぼやかれた。

 最初にざっと九冊全部に目を通した。

 確かに画は綺麗だ。

 しかしどれもこれも筋はあってないようなもんだ。

 不倫の話は不倫するカップルが中心で、他の人物は殆ど出てこないか、出てきても没個性に描かれているかのどっちかだ。

 

 その点に関してはエロ漫画だからな。仕方がない。

 断っておくが、俺はそんなに立派な人間じゃない。わいせつだの、俗悪だのというものは、これまでゲップが出るほど読みまくって来たからな。

 どれもこれもそんなに引きこもり野郎が眉を吊り上げるほどのものでもないようだ。

 どこにでもあるような、ありきたりのエロ漫画だ。

 いい加減欠伸が出てきた。

 いよいよ最後の一冊にかかる。

 こいつは短編集だ。全部で六篇が収録されている。

 二つは不倫もの、

 幸せな家庭を持ついい年の女性が、年下の男性とくんずほぐれつを展開する。

 二つは近親相姦もの。

 姉と弟。

 母親と息子。やっぱりやるだけのことをやりまくって話が終わる。

 問題は残りの二編だった。

 これは前後編に分かれており、婚約者のいる女教師が教え子の男子高校生と恋に落ちるという、いわゆる”禁断の愛”ものというやつだ。

 俺は何度も読み返した。

 他はそれほど大した感覚は受けなかったのに、この前後編に分かれた最後のやつだけが妙に引っかかった。

 何故なんだろう。

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