第六話 死体と展望

まず感じたのは、右のふくらはぎの尋常でない痛みだった。


まるでノミで素早く抉り取られる様なその激痛は、起きてまだ数秒しか経っていない意識をまた気絶させかねなかった。


「いぎっ…ガッ!グアアアアアアアッッッ!!!!」


この世の人間とは思えぬ絶叫と共に完全に目覚めた俺は、その凄惨な光景に愕然とした。


3本足の獣が痛みを感じた部分を食い漁り、そこに大きすぎる血溜まりを作っていたのだ。


「おっウッうわぁぁアぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」


まだこの世の人間とは思えぬ絶叫(13秒ぶり2回目)はできるが、段々と意識が朦朧としてくる。


このままでは…間違いなく死ぬ! 何か、ダメージを与えなくてもいい、何かこの三つ足を怯ませるだけの何かを!


獣がまだ俺のふくらはぎのかけらを咀嚼している間に、俺は確認できる範囲で武器を探す。


だがここは森林。緑が生い茂り葉っぱが大量に落ちているこんな所ではろくなものも見つからない。なぜか石すらないのだ。


そんな豊かな森林の地面に血だまりはどんどん広がり、余計に焦る。


なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ?


脳内ではそんな怒りにも似た感情と、これまでの人生が走馬灯の様に流れ出す。


誰もいなくなってしまった部屋の中で、どうしたらいいかわからないし、


食べるものが余りにも無さすぎてアルミ箔をかじったあの夕暮れ。


子供なりに必死で置き引きをしたり、ジャスコのトイレでコソコソ1日中過ごして

その日その日を生きていたあの冬の思い出。


ゲロまみれで、訳の分からない坊主頭の男に拾われた深夜2時。


それから男の元でめちゃくちゃな暮らしを続ける、永遠にも感じた3年間。


思い返せばろくな思い出がない。 むしろ絶体絶命とか危機一髪な記憶しかない。


そしてこの変な世界で遭難だ。挙げ句の果てにふくらはぎまでかじられてしまっている。


だんだんとそんな記憶や、今自分が置かれている境遇に怒りがふつふつと湧いてきた。


自分の体を齧られておいて、怯ませる事しか考えなかった自分。


その後すぐ諦めて何もせずただ走馬灯見るしかなかった自分。


そんな自分に俺は今一番イラついていた。


俺がここで終わり……? 違う、そんな訳がない! ふざけんな……「ふざけんじゃねぇよおおおおおおおおおおおおお!!」


でかい声を出し、痛みを必死に紛らわせる。


そして両手と片足を使って立ち上がり、近くにあった枝をちぎり取った。


「ハァ…ハァ…覚悟しろよ……!テメェの気持ち悪い三つ目、ハァ…グチャグチャにしてやるからなッ…!」


痛みは増すばかりだがそんな事は関係ない。


目の前にいる獣に、全身全霊でこの痛みをぶつけるだけだ。


「っらアアアアアアアアアッ!!!!」


そのシカにも似た醜悪な頭部に、俺は木の枝の先を突き刺そうとする。


止まらない血液。少しでも気を抜いたら気絶しそうな痛み。昨日から蓄積している疲労。


全て怒りに替えて、俺は精一杯腕を振り下ろした。


しかし当たらない。相手は獣。人間の俺よりも優れた反射神経や動体視力を持つのだ。


だが一回当たらなかった程度で諦める俺じゃない。


幸か不幸か、獣も俺を諦めていないようだ。


一本だけの前足を何度もすり、捕食ではない、「攻撃」を始めようとしている。


耳を後ろにしぼって、口を突き出し、歯をむき出す。


“テメーを今から蹴り殺してやる” そう言わんばかりの表情を獣は見せているのだ。


「上等じゃねーかこの野郎……!」


1発。2発。3発。 何度も、何度も、何度も、俺は奴に木の枝を振り下ろす。


同じように獣も、凄まじい勢いで何度も蹴りを入れていく。


だがそんな事は御構い無しだ。目的は単純。目の前の相手をただ殺す。


ハイにも似た俺の殺意はアドレナリンを分泌させ、打撲による痛みを麻痺させる。


そしてついに、まぐれの一発が奴の眼球に枝が突き刺さった。


「ギゥイ!ギュアアアアアィィィィ!ミィィィィィッッ!」


聞くにも耐えない汚物の様な悲鳴が、甘く軽やかに俺の鼓膜に浸透していく。


「もう一発ううううううううう!!!!」


目を潰され動きが鈍った獣に何度も、何度も木の枝を突き刺す。


硬いゼラチンが砕ける感覚を何回か覚える。獣の眼球は全部潰されたのだ。


「よし…! よしよしよしよしよぉし!!」


もはやボキボキに折れて使い物にならなくなった木の枝を放り捨て、


ふくらはぎの痛みも忘れた右足で、ピクピク痙攣しかしなくなったを蹴り続ける。


「調子乗んなよコラ……!オラァッ!」


ケガから飛び散る血が、己の白いブレザーを汚していくのも御構い無しに。


俺はひたすらこの己の命を狙ってきた獣を、気がすむまで蹴り続けた。



やがて獣が動かなくなったのを確認した俺は、満足したかの様に気絶した。


すぐ近くに居た男、烏丸を完全に忘れたまま。



——Side 烏丸


「もう一発ううううううううう!!!!」


武藤の雄叫びで目覚めた俺は、いつもと何もかもが違う状況に絶望していた。


発狂してるようにしか見えず、かつ夥しい量を出血している武藤。


その出血により、もはや紅葉にしか見えない地面の葉っぱ。


更には目に木の枝が突き刺さっている三つ目で三本足の化け物。


「何だよ……!何なんだよこれぇっ……!」


もはや恐怖が脳内を支配した時、武藤は仰向きに倒れた。


しかも気づいたら化け物の頭はぐちゃぐちゃになっていたのだ。


文字どうり死闘が終わり一瞬茫然していたが、俺は武藤の出血を思い出し必死に介抱する。


「おい武藤!しっかりしろ!」


反応は無いが、心音は辛うじて聞こえる。


下着を脱いで俺はそのふくらはぎにきつく巻きつけ必死に止血をした。


出来る限りきつく、そう、きつく……!


「うっ、うぇっウウォボロロロロロッ!!」


あまりにもグロテスクな状況に嘔吐してしまったが、何とかふくらはぎを止血することに成功した。


止血なんてやった事なかったから不安でしかなかったが。とにかく出血は免れた。


正直こいつの事は死ぬほど嫌いだ。だし、何を考えているかまっッッたく読めないし、皮肉や罵倒を浴びせても何一つ効いてやしない。むしろ俺のプライドを傷つけるばかり。


……思い出したらマジでムカついてきた。

左利きなのもなんかムカつくしな!


それでいて学年2位の成績を持つ変人だ。こんな奴に追い抜かされるのだけは嫌だ。


だが死にそうになってる人間を見捨てるほど俺はクズでいるつもりはない。


「よし…武藤、死ぬなよ…」


武藤を担いでとにかく来た道を思い出しながら、俺は戻る事にした。


これからどうなるかは分からないが、今俺がやるべき事は分かる。



このゴミクズ野郎の命を助ける事だ。


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