第41話 試練の紅白戦 後編 その5
勇人は深く腰を落として、迫り来る颯太の一挙手一動に全神経を集中させる。
素人丸出しの爪先ドリブルで突き進む颯太の体がやや右方向、ゴールとは反対方向に傾いた。
右……!!!!
勝負しないでコーナーのスペースに逃げる気か……
コイツにフェイントは無い!!!!
つーか出来るわけがねえっ!!!!
このまま寄せてサイドに弾き出してやるっ!!!!
勇人は颯太の進行方向に合わせて、ゴールを隠しながらその距離を詰めていく。
颯太の内側へのコースは完全に塞がれ、ボールが勇人の間合いに入った時だった。
「ヨーーーーイ……」
「!!!!!!」
まずいっ……
「ドンッ!!!!!!」
「しまっ……!!!!!!」
掛け声と共に颯太は勇人の読みとは逆、彼が切っていた左側、コート中央へとボールを大きく蹴り出した。
ボールは咄嗟に出された勇人の足を大きく躱して、彼を横切るようにゴール前の無人のスペースへと勢いよく転がって行く。
颯太は体勢を崩した勇人の裏を取り、大きく右側から回り込んで彼を置き去りにする。
勇人は、背後を異次元のスピードで走り抜ける颯太をただ見送るしかなかった。
裏街道!!!!
あの距離で!!!?
まさか、追い付くわけが……
百合がそう思うのも当然だった。
裏街道と呼ぶには颯太とボールの間に随分と距離がある。
それは最早宛のないスルーパスのようだった。
ボールが自分の目の前を横切っていくのを、キーパーの港が黙って見過ごす筈がない。
勇人を躱しても今度は港との競争になる。
圧倒的不利なスタート位置からの。
そうよ、追い付ける筈が……
大地を踏みしめ蹴りあげる颯太の足の回転が、尋常ではない速度で乾いた音を刻みつける。
飛び出した港は、横から猛烈に突進してくる颯太に思わず反応してしまう。
「嘘っ!!!!」
百合がそう口に出し、自分のその目を疑った。
百合だけではない。
フィールドの誰もが颯太のプレーに驚愕した。
衝突を想像してほんの僅かばかり怯んだ港の隙を狙い、颯太はその加速を一気に爆発させ、港の目と鼻の先、すんでのところで空気を切り裂く稲妻のように一瞬でボールをかすめ取ったのだ。
颯太は驚異的なスピードを保ったまま港の目の前を走り抜け、一切振り返ることなく足裏でボールを背後に転がした。
ボールは慌てて反応した港を大きく避けて、いつの間にかゴール前へと抜け出していた紘の足下にピタリと収まった。
絶好のパスを受けた紘は、背後から押し寄せる姫野のプレッシャーを感じていたが、振り上げたその右足はもう止まらない。
「ぐおっ!!!!」
「!!!!!!!」
ゴール前、後ろから突っ込んできた姫野と紘が揉みくちゃになって二人同時に倒れ込んだ。
巻き上がる砂埃が煙幕のように二人を包み込み、彼等の視界は昏昏と遮られた。
「いてててて……あっ……」
「……クソッ、どけっ……!!!!」
徐々に視界が晴れていき、どうにか起き上がった姫野と紘の目に映ったのは、無人のゴールにゆっくりとボールが転がり込む瞬間だった。
『ピッ__ピッ__ピッ___________ 』
一瞬の静寂を切り裂くようにホイッスルが響き渡り、長きに渡った紅白戦の終了が今ようやく告げられた。
颯太はしばらくの間その場に留まり、肩で大きく息をしながらゴールの中でゆっくり転がるボールを眺めているだけだった。
颯太だけではない。
ピッチにいた誰もが何かしらの感情を表立って表現するでもなく、戦いが終わったという目の前の事実に対して、ただ何となく理解を示しているだけのように見えた。
呼吸を整えながら少しずつ状況を飲み込んでいた颯太に、100mを走り終えた後のような達成感みたいなものはまるで無かった。
そのかわり、自分の出したパスがゴールに繋がった瞬間のあのえも言えぬ高揚感が、長く尾を引くように未だ颯太の心の中で熱く滾っていた。
それは颯太にとって、今までに味わった事のない初めての感覚であった。
「オイ……」
「!!!!」
不意に声を掛けられ、颯太の体が一瞬硬直した。
そのぶっきらぼうな声の主は他ならぬ姫野だった。
「お、おお……お疲れ様ッス!!」
「……」
思わずうろたえてお辞儀する聡太だったが、姫野はいつも通りのポーカーフェイスで向けられた颯太の頭頂部をじっと見つめていた。
この坊主頭、どこまでもふざけた奴だが……
俺の
それに……
あのスピードだけは本物だ……
認めたくはねえが……
……
「ハハ……」
「……」
颯太が顔を起こして愛想笑いすると、姫野は無言でクルリと振り返り背中を見せて一言言った。
「本当に続けるかどうかもまだ分かんねえのに……
新しく買うのももったいねえだろ?
そのスパイク……くれてやる、大事に履けよ……」
「え?……あ、あの……それってどういう意味……」
「……自分で考えろ」
「!!!!……ウッス!!アザッス!!!!」
立ち去る姫野の背中に、颯太は礼を言ってもう一度深々と頭を下げた。
今度は心からの笑顔を見せて。
口には出さずとも、最後に姫野は認めたのだ。
彼が我を忘れて妬む程、凄まじいまでの輝きを放つ颯太のその才能を。
終わってみれば勝ちも負けも無いような戦いだった。
それでも新たに動き始めた静和中サッカー部にとって、大いに実りのあるものだったに違いない。
また、百合にとっても彼等同様、非常に有意義な紅白戦であった。
私が思っていたよりも1年生全体のレベルが高い……
特に、即戦力として計算できる中野大成
彼のあのサッカーセンスは流石の一言ね
そして……嬉しい誤算とでも言うのかしら……
恐らくあの天才島崎海にも匹敵するスピードの持ち主
小川颯太
果たして使い物になるかどうかは分からないけれど……
この先どうなるか楽しみね
それともう一つ……
内容では完全に圧倒されていた事も忘れて、1年生チームは紘と颯太を中心にピッチの中で大いに沸いた。
そんな彼等をよそに、戦いを終えた2年生達が無言でコートから引き上げていく。
「姫野君……」
すれ違い様百合が姫野に声を掛けた。
「!!……何だよ?」
「言った筈よ……アナタには100%以上の実力を出して貰う必要があるって……これからは自分自身をもっとよく見極めて練習する事ね……」
「……」
「……それだけよ、お疲れ様」
「チッ……何だよそれ」
そう言い残して姫野は一人部室へと向かって行った。
姫野君、アナタには目の前の敵よりもまず先に倒さなければならない者がいる……
それは
誰あろう自分自身……
過去の呪縛から抜け出せない限り……
本当に進むべき道は見出だせないわよ
乱暴に閉められた部室の扉を見つめながら、百合は姫野に向けて口にする事はなかったその真意を、そっと一人胸の中にしまい込むのだった。
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