第29話 試練の紅白戦 前編 その3

 紅白戦が始まってかれこれ20分以上は経過していただろうか、試合は2年生チームのワンサイドゲーム、1年生チームを0点に押さえたまま、圧倒的な得点力を見せつける展開となっていた。



 パスコースは悪くないけど裏が取れなきゃ……

 そもそも稲葉と小川君の息が合ってない、絶望的に……



 大成がボランチの位置から全く噛み合わない二人を眺めていると、ふと練習前の姫野の言葉が脳裏を過った。



 このままじゃ小川君……



「姫野君、あなたは今から3タッチ以内ね、ゲームにならないから」

「……了解」


「……それから!!!!

 1年生はもっとしっかりしなさい!!

 これじゃ話にならない!!!!

 小川君が潰されるのはもう分かってるでしょ!?

 その後がお粗末すぎるのよ!!!!

 小学生じゃないの!!みんなもっと頭を使いなさい!!」

 とうとう百合が不甲斐ない1年生チームに声を荒げて感情を爆発させた。


 その怒鳴り声に奮起するどころか、1年生チームの雰囲気は益々悪くなっていく。

 颯太を除いたあちこちでは責任の擦り合いが始まり、2年生達がその様子に苦笑する程だった。



「だとよ、ハッキリ言うね、お前どーすんの?コーチからちっとも期待されてないみたいだぜ?言う程スピードだってないみてえだし」

「……ハァ……ハァ……ウッス」

「ハッ……ダメだな、こりゃ」


 勇人の嫌味も颯太にはまったく響かない。

 颯太の頭の中はすでに負の感情で一杯になっており、彼の嫌味が入り込む余地などどこにも無かった。



 全然パスが飛んでくる場所が分からねえ……

 腕も足も変だ……

 まるで俺の体じゃないみたいに……


 くそ……

 俺何やってんだろ……



「小川君!!!!」


「!!!!」


 一人で悶々としていると気付かぬ内にまたスルーパスが出ていた。


 仲間の声に颯太は慌てて反応するが、勇人に行く手をガッチリと阻まれ、ボールは空しくタッチラインを割り、颯太は三度みたび地べたに這いつくばる格好となった。


「いってえ……」

 勇人に倒された瞬間、固くてカラカラに乾いた地面が颯太の前面に余す事なく激しく叩きつけられた。


 全身に受けた衝撃やらそこら中にできた擦り傷やらが酷く痛み、呼吸をすれば鼻や口にも砂が入ってくる。


 まさに泣きっ面に蜂だった。



「ほらほら!!小川君、いつまでも寝そべってないの!!そんなに地面が好きなの!?ゴールは目の前じゃない!!まだ一回もボールに触れてないんだからもっと頑張りなさい!!」


 痛みにもがいて中々立ち上がれない颯太に向かって百合が叫んだ。



 野沢君相手じゃやっぱり何もさせて貰えないわね……

 当然と言えば当然だけど……

 体格からしてもう少し出来そうに思えたんだけどな……


 ま、未経験者だしこんなもんか



「オイ、いつまでも寝てねーで早く立てよ」

 勇人が颯太の手を取り、無理矢理その体を引っ張り起こす。



「小川……これじゃあとても練習にならねえ……言ったよな?俺の邪魔はするなって……このままじゃあの約束を守ってもらわねーとな」

 うめきながらヨロヨロと勇人の手を頼って立ち上がる颯太に、姫野が近づいて無表情のままそう告げた。


「……ウッス……」

 颯太は苦痛に顔を歪めて、何とか姫野にそう答えた。


「約束?何だよ姫野、コイツと何約束したんだよ?」

「お前には関係無い……しっかりディフェンスしてろ、コイツにはもっと厳しく当たって良いからよ……」

 割り込むような勇人の質問をあっさり躱して、姫野は前線へと走り去っていった。


「何だよアイツ、偉そうにしやがって……オイ小川、今の聞いたか?まだまだ甘いんだってよ、俺もお前にはイラついてたからな……覚悟しろよ」


「……ウッス」


 颯太は体中の砂を払おうともせずに、ただ弱々しく頷くだけだった。



「……!?」



 ……約束?

 一体何の事だ?



 姫野の言葉が紘にも聞こえていた。



 そう言えば姫野先輩……

 ずっと颯太につっかかってるような……



 姫野のシュートが外れ、ゴールキックを直ぐ様大成が受ける。

 一旦右サイドにボールを預けると、マークを振り切った紘がボールを要求した。

 そして再び紘から颯太に無言のパスが繰り出される。


 何度目のやり取りだろうか、颯太は勇人の圧倒的なパワーを前に、裏を取るどころかただ前に進む事すらままならなかった。


 またも空しくラインの向こうへ逃げていくボールを、颯太はただ目で追うしかなかった。



 ドンッ



「良い加減にしろよ!!!!お前さ、一体何しにウチに入ったんだよ!!昨日あれだけの事言っといてよ!!」


「……」


 立ち尽くす颯太の肩を突き飛ばして勇人が言った。


 颯太は一瞬グラリとヨロめいたが、勇人に対して何かを言うでもなく、ただうつ向いて肩の辺りをプルプルと震わせている。


「ホントにやる気あんのかよ?そんなでけえ体しててよ、情けねえ……こっちも暇じゃねーんだ!!上目指してんだからよ!!」


 耳元でどれだけ吠えても颯太は何の反応も見せない。

 拉致が開かない状況にますます勇人のイライラが増していく。



「そこ!!必要の無い事は喋らない!!時間の無駄!!」

「チッ!!コイツに付き合うのが時間の無駄だっつーの」

 百合の制止にようやく勇人の矛が納められた。


「うぅ……うっ……」

「!!ってオイオイ、嘘だろ……泣こうとなんてするなよな……誰もお前に同情なんてしやしないぜ、ほら、さっさと走れよ!!」


 切れ切れの声と共に、颯太の目からは突然大量の涙が溢れだした。


 勇人は少し慌ててそれでも颯太にボールを追うよう促すが、歯止めの効かなくなった颯太はその場から一歩も動けず、止めどない涙を拭うのに精一杯だった。


 またもあっさりゴールを決めた姫野が悠々自陣へと引き上げていくが、最早颯太に興味を示すことはなかった。


 トボトボと嗚咽しながら引き上げていく颯太に、仲間達も掛ける言葉が見つからなかった。



 颯太……



 そんな颯太に背を向け、紘は一人複雑な思いを抱え込んだまま、胸の辺りが消化不良のようにムカムカしていた。



「稲葉、あのさ……俺、練習前に聞いちゃったんだよ」

「え!?……聞いたって何を?」


 大成が紘に駆け寄って言った。


「姫野先輩が部室で言ってたんだよ……もし小川君が使えない奴ならサッカー部辞めてもらうって、そしたら島崎との勝負もどうこうとか……」


「……そんな事……言われてたのか……」


「このままじゃ小川君クビになっちゃうぜ?……小川君、島崎と戦う為にサッカー部に入ったんだろ?

 稲葉……君が何とかしてやれよ!!!!」

 大成の嘘の無い真っ直ぐな言葉が、紘のグラグラと揺れ動く心の楔となった。



 アイツは馬鹿だ……

 付き合いはまだ全然浅いけど、痛い程知ってる……


 昨日のあのセリフだってきっと本心だ……

 アイツには隠し事なんて出来ないんだろーな……

 馬鹿だから……


 そして

 島崎君とサッカーで戦いたいってのも……

 間違いなく本心だ


 ホント何でだろ?散々振り回されたってのに……


 昨日はホントにムカついたのに……

 よく分かんないな、マジで何でだろ?

 俺は……お前の望みを叶えてやりたい!!!!


 絶対に!!!!



「颯太!!!!」


「!!!?……うぅ……えふっ……うぅ……」

 紘の呼ぶ声に反応して涙と鼻水でグシャグシャになった颯太が紘にトボトボと歩み寄ってくる。



 うっ!!!!

 近くで見ると……スゲエきたねえ……


 ……



「……俺を殴れ!!」


「……???」


「だから俺を殴れって!!」


「……うぅ……なっ……何でなぐっ……なぐんなきゃいけ……いけないんだよおおおお」

 紘の突然のセリフに、カオス状態だった颯太が絶叫して言った。


「いーから!!」

 紘は歯を食い縛って、早くやれと言わんばかりに颯太に向かって左頬を突き出す。


 いくらなんでもいきなり殴れと言われて、ハイわかりました、と簡単に殴れる筈がない。


 しかし、紘にも引き下がる様子はこれっぽちもなかった。


 颯太と紘の押し問答が続く中、部員達も二人の只ならぬその状況に騒然とし始めた。


 だが……ただ一人、この異様な空気に決して流されず、毅然とした態度を取り続ける者がいた。



「稲葉君!!!!何してるの!!!!早く再開しなさい!!!!」



 百合だった。


 目の前で繰り広げられる茶番も全く意に介さず、両目を吊り上げ、腹の底から湧いてくる怒りを露にしていた。



「え!?これはその……昨日の……」

「昨日ですって!!!?昨日の何よ!!!?」

「い、いや、昨日殴っちゃった分を……」


 紘は捨て身とも言える自分の覚悟に、容赦無く水を差す百合に心底げんなりした顔を見せて答えた。



 えぇ……?

 ここはホント空気読んでくれよ……



「だったら!!!!小川君も子供みたいにピーピー泣いてないでさっさと殴って早く再開しなさい!!!!」



『!!!!!!!!』


 止めねーのかよ!!!!



 全員に衝撃を走らせるセリフだった。



 ビターン!!!!



 瞬間、百合の言葉に驚いた颯太が、反射的に紘の左頬目掛けて右の手の平を振り抜いた。


「いってえええええ!!!!!!!!」


 紘は綿毛のようにフワリとふっ飛び、けたたましいまでの叫び声を上げた。


 他の運動部の生徒達も、何事かと振り返る程のボリュームだった。



「ほら!!気は済んだでしょ!?さっさとやる!!!!」

 もの凄い剣幕の百合が、大きく手をパンパン叩いて早く再開しろと急かしてくる。



『……』



 最早部員達には何の驚きもなかった。


「うぅ……痛い……マジで痛い……馬鹿力め」

「うぅ……ごめん紘、もっと加減すれば……」

 涙目で頬を擦る紘に、颯太が心配そうに駆け寄った。


「くそっ!!メチャクチャ痛い、だけど……これでおあいこだからな!!俺とお前は!!もう変な感じはこれで終わり!!良い?」


「うぅ……ごめんよ紘……俺、俺……」


「もう良いって…………今は試合に集中して!!次からはパスを受ける前にちゃんと俺を見て!!俺の目だよ!?そしたらコースが分かる!!どんなパスでも颯太の足なら絶対に届くよ!!だからもう泣かない!!!!」


「……うん、泣かない……泣くもんか……よし、見せてやる……俺の走りを、本当の走りを!!!!」


 涙と鼻を拭うと、颯太の垂れ下がっていた眉が力強く尻上がりになっていく。

 同時に全身に力が漲り、これまでの疲労が一気に吹き飛んでいくのが分かった。


 颯太はポジションに着こうと走っていく紘の背中を見つめていた。


 このピッチで一番小さな紘、しかし今の颯太には他の誰よりも大きな存在だった。


 颯太は紘の頬を叩いた感触が残る右手を力強く握りしめた。



 やってやる……


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