第28話 試練の紅白戦 前編 その2
~約30分前~
静和中サッカー部の部室はグラウンドの隅も隅。
行き場もなく追いやられたような場所だった。
場所もさることながら見た目も随分と古臭い。
一見すると用具置き場とも区別の付かない粗末な作りの建物で、部員達が望む最低限の快適さすらそこには欠片も無いようだった。
「俺の昔履いてたヤツなら履けるだろ……ほらよ」
「あ、すみませんッス……」
姫野がそう言って部室の奥に眠っていたスパイクを颯太に向かって放り投げた。
咄嗟に受け取ったそれは随分と埃まみれだったが、それでも何故だか美しく輝いて見えた。
「小川、履きながら聞け……」
「!?」
姫野が颯太に向けて静かに言った。
「昨日の話だが……お前が言ってたあの話はキレイさっぱり忘れてやる……」
「!!……」
姫野のセリフに、颯太の靴紐を結ぶその手がピタリと止まった。
颯太はあの時の自分の愚かさを思い出し、やりきれない気持ちを押し殺すように奥歯をグッと噛み締めた。
「結局の所、お前が何を思ってウチに入ろうが俺には一切関係無い……別に入部自体は自由だしな」
「……ハイ」
「ただし……入った以上半端は許さねえ、もしお前が使えない奴だと分かったその時は直ぐに辞めてもらう……そうしたらもう二度とサッカー部には来なくて良い……島崎との話も諦めろ……分かったか!?」
「……ウッス」
颯太には姫野から突き付けられたその条件を受け入れる以外に道は無かった。
実は今日、ここに来る事さえ戸惑っていた。
友人だけでなく、部員全員を侮辱するような発言をしてしまった。
いったいどの面を下げていれば良いのか分かる筈もない。
そのまま逃げる事は出来る。
だが、それは彼の性格が許さなかった。
何よりも重要なのは償う事。
それもせず、全てをうやむやにする事など颯太にはあり得ない選択肢だった。
償うとは言っても謝罪以外に具体的な方法があるわけではない。
謝罪なら、ミーティング後に部員達がウンザリするほど謝った。
それでも颯太に許されたという実感は無かった。
ならば、彼らの自分に対する態度や要求、それらを全て受け入れるしかない、その上で許される事が一番大切だ、 颯太はそう考えたのだった。
姫野に対する返事は、颯太なりの覚悟を持ってのものだった。
「それで良い……くれぐれも俺の邪魔はするなよ」
そんな颯太の胸中など知る筈もない、あっさりそう言い残して姫野が部室から出ようと扉を開いたその時だった。
「!!!!……チワッス!!」
扉の向こうには1年の
「!!……チッ、おせーぞ……早く支度しろ」
「ハイ!!スイマセン!!」
「どけ」
動けないまま道を塞ぐようにしていた彼を手で押し退け、姫野は何の後腐れもなくグラウンドに出ていった。
「小川君……ゴメン、俺聞いちゃったんだけど……」
心配そうな表情で大成が颯太に近づいて言った。
スパイクの紐も結べないまま項垂れる颯太からは、明らかにどんよりとした負のオーラが出ていた。
『凄く良い奴』
誰もが大成の事を決まってそう言う。
168cmのやや細身、軽めの天然パーマが中性的な彼のその容姿にはよく似合っていた。
誠実な人柄もそうだが、時折見せる笑顔が柔らかで、優しく包み込むような母性を感じさせる少年だった。
輪をかけたようなお人好しでもある大成に、自分の目の前で重苦しい空気を放つ颯太を放っておける筈がなかった。
「ハハハ……中野君だったよね?まぁ自業自得だし仕方ないよ、よし!!今日も思いっきり頑張ろうぜ!!」
「え!?ほんとに大丈夫なの!?」
「え!?何が!?」
「いや……メンタルとか……」
「メンタル?俺なら全然平気だよ!!何も問題ない!!全然大丈夫さ!!」
颯太は空元気丸出しで何とか笑顔を見せた。
うっ、目が死んでる……
明らかに不自然なその笑顔に、大成は自分の想像を遥かに超えた深い闇を感じたのだった。
「!?……そ、そう!?なら良いんだけど……ハハ」
「じゃ、俺先に行ってるね……ハァー……」
「……」
誰に向けるでもなく、最後に思いっきり深い溜め息を落として颯太は部室を後にした。
大成もそんな颯太を言葉もなく送り出すしかなかった。
「ハイ、みんなこんにちは!!!!」
海外の某有名サッカーチームのユニフォームを着た百合が、歌のお姉さんのように作り込まれた笑顔で部員達に挨拶をする。
『……』
「あら、何かしら?みんなしてその変な顔は……今日から新体制で始まるっていうのに」
一同は特に挨拶を返す訳でもなく、神妙な面持ちで百合を迎え入れた。
ニコニコ顔の百合とは天と地程の温度差だった。
「……わかったって、聞くよ……あの、田代コーチ」
勇人に肘でつつかれ港が百合に声を掛けた。
「どうぞ新キャプテン、なぁに?」
「ホントに昨日決めたフォーメーションでこれからやっていくんですか?」
「えぇ、そうよ、どうして?」
港の質問に百合がまったくもって不思議そうに首を傾げる。
「いや……だって勇人がDFに転向だなんて……今までずっとFWだったのに……」
「でも野沢君には納得してもらえたんだけど……」
そう言って困り顔の百合が、同意を求めるかのように勇人に顔を向けた。
「イヤイヤ!!俺は納得なんかしてねぇって!!!!アンタが聞く耳持たないから仕方なくだ!!じゃなきゃ帰らせてくれなかったじゃねえか!!」
「え!?ヤダ!!そうなの!?ホントに……!?」
大きく手を振ってそれは違うと否定する勇人に百合はギョッと驚いてみせたが、それ以上に驚いていたのは勇人の方だった。
マジかよこの人……
俺は絶対納得しねえって……
昨日あれほど言ったのに……
「うーん……でもはっきり言って野沢君はDFが一番向いてるわよ!!うん、昨日も言ったけれど」
「!!!!」
みもふたもない……
百合のセリフに落胆する勇人の肩を港が優しくポンポンと叩いた。
「3年生がいなくなって……1年生が8人、2年生は10人か……よし、今日は1年生対2年生で紅白戦するわよ!!8人制ならできるもんね、1年生の実力も見てみたいし」
整列した部員達を見回して百合が言った。
百合の言葉に部員達がザワツキ始める。
部員達の注目の的は颯太だった。
小川颯太をどうするのか?
1年生対2年生、8人制での紅白戦というのであれば当然颯太も頭数に含まれる。
未経験者の彼を百合はどう扱うのか、自ずと皆の視線がどんより顔の颯太に集まっていく。
そんな中、またしても港が誰ともなく肘でつつかれ、質問するよう促された。
「あの……小川はどうするんですか?あいつ未経験者ですけど」
「あぁ、坊主の彼ね……小川君には1年生チームのトップをやってもらうわ」
「小川がトップに入るんですか?サッカーしたことないんですよ?取り敢えずキーパーやらせとけば良いんじゃないですか?」
「アナタね……自分だってキーパーでしょ?取り敢えずキーパーって考え方はやめなさい、一番サッカーの知識が必要なポジションなのよ、それにちょっと見てみたいのよ……小川君、アナタ相当足が速いんでしょ?」
「……ウッス……多分」
百合は港にやれやれといった表情を見せると、気を取り直すようにして颯太に問い掛けた。
一方の颯太は虚ろな目で、見るからに覇気もなく、弱々しくそう呟くだけだった。
「多分って……何か元気無いみたいだけど、お昼はちゃんと食べたのかしら?」
「……ウッス……ハァ……」
「美味しかった?」
「……ウッス……ハァ……」
「……これってちゃんと会話できてるのかしら?」
「……ウッス……ハァ……」
「そう……分かったわ……ちょっとボールを持ってこっちに来なさい」
「……ウッス……ハァ……」
百合は怪訝な顔で手応えの無い会話を終わらせると、今度は颯太をグラウンドの隅の方に連れていった。
「オイ稲葉、小川君と仲直りしたのかよ?」
明らかに様子のおかしい颯太を見て、1年生達が紘を取り囲んで問いただす。
「……あれから一言も喋ってない」
「ゲッ!!マジで!?……ゲームどころじゃないんじゃないの?お前トップ下入るんだろ?」
「うん……何かタイミング逃しちゃって……ハハ」
「だからずっとあんな感じなのかな……」
「……あ、あのさぁ稲葉、さっき部室で……」
思い詰めたようなトーンで大成が紘に声を掛けた。
「ん?さっき何?……」
「あ……いや、何でもない、悪い」
「……?」
声を掛けてはみたものの、大成には紘に何をどう言えば良いのか分からなかった。
不思議な大成の行動に紘は首を傾げるだけたった。
「ボールを芯で捉えるのよ!!!!わからないの!?」
「ウッス!!だりゃ!!」
「どこ蹴ってるのよ!!ボールをよく見なさいよ!!」
「……ウッス!!」
「だから!!!!芯だって!!!!さっきからどこ蹴ってるの!!真ん中よ、真ん中、真ん中蹴りなさい!!!!」
「ハ、ハイ……ウッス!!」
百合は颯太にリフティングをやらせてみたが、それはとてもリフティングなどと呼べるような代物ではなかった。
颯太の蹴ったボールは、蹴った本人にさえ予想の付かない方向へと飛んでいく。
まったくもってリフティングの出来ない颯太に、百合の声が段々と大きく乱暴になっていく。
「全然出来てねーな、ま、そりゃそうか……」
「それにしても田代コーチって結構短気だよな……だってまだ1分もやってないぜ!?」
部員達はすっかりギャラリーと化し、百合と颯太のやり取りを少し離れた場所から眺めていた。
「あーもう、ちょっと貸してみなさい!!よく見てなさいよ!!」
早くも我慢の限界に達したのか、百合が颯太から強引にボールを取り上げた。
まったくもう……
無理しなきゃ大丈夫よね?
多分……
百合は足元のボールを右足で掬い上げるとまず腿で5,6回、それからインステップでもやはり5,6回、最後にボールを真上に高く蹴り上げると、落ちてくる瞬間に合わせて部員達の側に置いてあるボール入れ目掛け、ダイレクトでボレーシュートをしてみせた。
ドライブ回転の掛かったボールは浅めの弧を描いてそのままスッポリボール入れへと収まった。
「うおっ!!やっぱりスゲーんだなあの人……この距離だぜ?」
「姫野できる?」
「カゴに当てる位ならな……多分」
20m位の距離はあっただろうか。
流石の姫野も、たった今目の前で見せつけられた百合のテクニックには圧倒されたようだった。
「どう!?ちゃんと見てた!?……今のをやれとは言わないけれど、リフティングはサッカーの基本だから……これからは毎日キチンと練習すること、良いわね!?」
「……ウッス」
フフ、膝がジンジンするわ(涙)
成功して良かったけど
いきなり無理するもんじゃないわね……
やっぱりまだ大人しくしとこう……
「良い?小川君、さっき教えた通りとにかくDFの裏を取ってみなさい、2年生は1年生を0点に押さえるように!!じゃあ始めましょう!!」
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