試練の紅白戦 前編

第27話 試練の紅白戦 前編 その1

「おいおい!!どうしたよ!?全然ダメじゃねーか」


 ゴール前でうつ伏せに倒れこんでいる颯太の背中に向かって、野沢勇人のざわゆうとが後ろ指を差すように笑っている。


 颯太の顔には大量に汗が滴り、それが接着剤のようになって地面の砂を丁寧にベッタリと拾い上げていた。


「くそっ!!」

 悔しそうに叫んで、颯太が直ぐに立ち上がった。


 着ていたオレンジ色のビブスは色の判別も出来ない程すっかり砂まみれで、全身からは汚れていない所を探し出す方が難しかった。



「ここで奪ったらチャンスだぜ?」

 勇人は颯太の目の前で、煽るようにボールを足裏でチョロチョロとこねくり回す。


「ほらほら、取ってみろって!!」

「ぬりゃッ!!!!」


 我慢できずに颯太がつい足を出すが、ボールは颯太の足をするりと躱して、再び勇人の足元でネズミのようにすばしっこく転がり出す。


 颯太はバランスを崩しそこに勇人からの激しいプレッシャーが掛けられ、またもグラウンドに這いつくばる格好になった。


「やっぱだめだったな!!残念!!」

「うぅ……くそ!!」


 無様に倒れた颯太を勇人がもう一度嘲笑った。


 鋼の筋肉。


 身長158cm、2年生にしては小柄な勇人だったが、身に纏ったその肉の鎧が生み出すパワープレイ、それこそが彼にとっての最大の武器だった。


 手足は当然のように丸太並に太く、首から肩に係る僧帽筋はこんもりとした円みを帯び、最早中学生のそれと呼べるようなものではなかった。


 幼さを残した愛くるしいベビーフェイスとは正反対に、格闘家さながらに鍛え上げられたその肉体は、この年齢にしてすでに完成しているのではないかと思える程だった。



 フィジカルコンタクトなら俺は誰にも敗けない……

 足元だって……


 俺が姫野に劣ってるとは少しも思わねえ……

 俺の居場所はここじゃねえ……


 勇人はボールをキープしたまま、ハーフライン付近にいる姫野を見つめて下唇をぎゅっと噛んだ。



 俺の居場所は……

 ……あそこだ!!!!



「勇人!!そこで持ってないで早く誰かに出せって!!」

「はいはい……うるせーなキャプテンは」


 颯太相手にゴール前で余裕を見せつける勇人に、新キャプテン港から激しい檄が飛ぶ。


「こんな素人に取られねえっつーのによ!!」

 勇人はふて腐れながら前線に大きくボールを蹴り上げると立ち上がった颯太に向けて言い放った。


「俺にも勝てねえ奴が島崎なんか倒せるかよ!!!!」

「!!……くそっ!!」


 勇人相手にまったく手も足も出ない颯太は、捨て台詞を残して走り去っていく彼の背中を目で追いながら直ぐ様自陣まで戻っていった。



「何よアイツ、全然駄目じゃん……」

 生ぬるい風に優しく流れる髪を押さえながら、陸上部の練習着姿の夏海がポツリと呟いた。


 憂うようなその眼差しがどこか寂しげで、何故だか取り残されてしまったような孤独感があった。


 彼女の目には、ボールを追いかけて遠ざかっていく颯太の背中が、いつもより少しだけ小さく見えていた。



「オーイ!!タイム測るよー!!」

 遠くから夏海を呼ぶ仲間達の声が聞こえてきた。


「今行くー!!!!」

 大きく手を振ってそう返すと、夏海は後ろ髪を引かれるような想いでその場を離れていった。



 ダメな時の顔になってたな……

 アイツがあの顔の時は何をやってもダメなんだから……


 何があったかは知らないけれど……

 早く切り替えなさいよ、カッコ悪い……



「小川君!!教えたでしょ!!アナタはもっと良い場所でボールを受けなさい!!周りをよく見て!!」

「ハァ……ハァ……ウッス」


 息を切らして目の前を走っていく颯太に、百合が厳しい表情で声を掛ける。



 全然ダメね

 相当速いって聞いてたけど……


 サッカーに活かせるような類いの速さじゃない

 やっぱり陸上の方が向いてるんじゃないかしら?



「姫野ナイス!!やっぱお前FWで正解だよ、もう何点取ったか分かんねえぜ!!」

「あのコーチの言った通りじゃねえか、癪だけど……」


「相手が相手だからな……1年相手じゃ参考にもなんねえよ」

 たった今ゴールを決めた姫野に仲間達が駆け寄ってきて次々と声を掛ける。


 姫野の反応に仲間達は彼が謙遜しているようにも思えたが、実際のところまったくの本心からであり、彼の言葉には何の裏も無かった。



「……オイ、お前そんなもんか?

 もう少しくらいは出来ると思ってたが……」

「ハァ……ハァ……」


「オイ……シカトかよ……フン、まぁ良い」

 すれ違いざま姫野が颯太に声を掛けるが、心ここにあらず、まるで上の空だった。



「稲葉……悪いけど小川君全然駄目だよ……これじゃあゲームになんないよ」

「そうだよ、まだ小川君を無視してやった方が良いんじゃないのか?こぼれ球だけ狙ってもらうとか……」

 ビブス組の1年生達がチームの中枢を担う紘に次々と不満を漏らし始めた。



「田代コーチが颯太を使えって言うんだから仕方ないじゃん」

「でもさっきから野沢先輩にやられっぱなしで……それに、小川君も大分へばってるよ」

 紘自身そうは言ってはみたものの、仲間達の言う事ももっともだとも思っていた。


 ゲームにならない。


 颯太まで面白い位にパスは通るが、その後がまるで駄目だった。

 素人の颯太にボールを回す事で、それまで順調に組み上げてきた全ての歯車が狂ってしまう。



『攻撃には必ず颯太を絡めろ』



 百合のその指示がなければ紘も颯太はいないものとしてプレーしていただろう。

 これまでの内容から、まだその方がゲームになる事は誰の目にも明らかだった。



「早く始めなさい!!休んでる暇なんて無いわよ!!アナタ達負けてるのよ!!」

 ピッチの上でプレーもせずいつまでも話し込んでいる1年生達に、業を煮やした百合がヒステリック気味に言った。



「うおっ!!おっかねえ……しゃあない、やるか」



 チーム内での意見もまとまらないまま試合が再開すると、トップの位置にいた颯太がまずは駆け上がった。


 そのスピードには目を見張るものなど何処にもなく、サッカーの動きを知らない素人がただゴール目掛けて走っているだけだった。


 とりあえず一旦ボールを後ろに下げると、颯太の居場所目掛けて後方から一年生達が縦方向にテンポ良くパスを繋いでいく。


 敵陣地中盤でフリーになった紘にボールが渡った瞬間、ダイレクトで颯太へのスルーパスが繰り出された。


 が、肝心の受け手の颯太にはスルーパスに反応する技術が伴っていなかった。


 颯太の目の前を転々と転がっていくボールに仲間達からも思わず溜め息が漏れる。


 颯太はパスコースを予測出来ず、試合開始から何本も決定機を逃していたのだった。



「オイオイ……裏取れって言われてただろ?俺を躱して前に出ようとしてみろよ、お前にピッタリくっついてても何の練習にもなんねーぞ」

「ハァ……ハァ……ハイ、すみませんッス」


「やっぱ足が速いだけの素人に出来るわけねーんだよ、まだキーパーやってた方が良いんじゃねぇのか?」

 マークに付いていた勇人が呆れたように颯太に言った。


 容赦無い夏の午後の暑さの中、無意味な運動量だけが刻々と増えていく。


 颯太はチームの為に何かを為すでも無く、ただ疲労だけを蓄積し、最早考える事すらままならない脱け殻のようになっていた。


 自分のせいだ……誰にも何の実りも無い、重なる失敗にそう思い始めた颯太にとって、この時間はまさに地獄の苦しみであった。




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