第30話 試練の紅白戦 前編 その4

 再開と同時に颯太がピッチを駆け上がっていく。

 やはり動きは滅茶苦茶だったが、その走りには今までにない躍動感があった。


 紘が中央でボールをキープしたまま一人二人と上級生達を躱すと一旦左サイドの仲間にボールを預ける。



「颯太!!距離見て!!」

 紘はそう叫んで颯太が自分との距離感を失くさないように注意を促し、左サイドでまごつきだした仲間のフォローに入った。


 颯太はこれまで以上に首を振って視野を確保することに務めた。



 今まで紘の方は見づらくて見てなかったけど……

 俺の後ろはこんな事になってたのか……


 ……何かここでパス貰えそうな気がするな



 颯太がディフェンスの隙間にある僅かなパスコースに顔を出し始めた。


 紅白戦開始以降受け身のプレーだった颯太の新しい動きに、勇人がほんの少しだけ警戒を強める。



 !!……コイツ

 少しは考えるようになったか……



 勇人は何とか自分の前に出ようとする颯太を、自慢のそのパワーで完全に封じ込めていた。


 ……封じ込めていた筈だった。



「先輩どいて!!」

 そう言って颯太が勇人よりも低い体制で彼の体に自分の右半身を押し付け、そこから一気に擦り上げる。

 下から上に押し上げる力に対しては、どれだけ体重を掛けられるかがものを言う。


「この……てめぇ!!」

 勇人の体が僅かに浮き上がると、抵抗を感じなくなった颯太が一瞬にしてボールホルダーの前に現れた。



「!!!!」


 速い!!


 百合が思わず颯太のスピードに目を見張った。



「こっち!!」

 注意が前線に集まりノーマークになっていた大成が、後ろのスペースで一旦パスを受ける。


「チッ!!!!」

 すかさず姫野がプレッシャーを掛けに詰め寄るが、直ぐ様ダイレクトで紘にパスを繋げる。


「前向かすな!!!!」

 中央でもう一度ボールを持った紘に対して、人数を掛けて2年生がボールを奪いに来る。


 激しいプレッシャーの中で紘はボールを奪われ、カバーに入った大成も簡単に躱わされていく。


 あっという間にボールが姫野に渡ると3タッチの制約の中でその右足を振り抜いた。


 ボールはゴールネットに突き刺さり一年生チームの間には「またか……」と言うムードが漂い始めた。



「小川君!!ナイスラン!!みんなも今までと動きが全然違うよ!!この調子で行こう!!まずは1点、1点取ろう」

 大成のその明るい声が、下を向き掛けた一年生達の顔にブレーキを掛ける。



「へぇ……」

 百合が感心したように目を丸くしてそう漏らした。



 中野君か……

 良いタイミングで声を掛けたわね

 ようやく出来た良い流れを潰されたのに……


 決して否定的な言葉を使わず、彼らが迷う事の無いように真っ直ぐその背中を押すような……



 敵陣からの引き上げ際、姫野がすれ違いざまに大成を横目でチラリと見る。



 やっぱり1年は中野だな……

 アイツ中心で試合が動く


 俺にずっとへばりついてるにも関わらず、仲間のフォローも怠らない

 色々と気に入らねえが……大した奴だ



「みんなちょっと良い?」


『!?』


 大成がポジションに付こうとバラけようとする仲間達を手招きして自陣の中央に集める。


 大成を中心に1年生チーム8人の輪が出来上がった。


 ここへきて、1年生がようやくチームとして初めてまとまった瞬間だった。


「俺にちょっと考えがあるんだ……」


「ゴニョゴニョ……」


「……よし、やってみようか」



 試合再開、まずは颯太がボールを紘に渡す、ここまではいつも通りだった。


 それから颯太が一気にゴール付近まで駆け上がると、紘はクルリと逆方向、ゴールに背を向け、駆け上がってきた大成にボールを預ける。


 大成はプレッシャーを掛けにきた2年生一人を大きく躱わすと、直ぐ様颯太目掛けて縦方向に大きく高いクロスを上げた。



「勇人防げ!!」

「おう!!」

 港のコーチングに勇人が応える。

 クロスはゴールに背を向けた颯太の頭上にピタリと合う軌道を描いている。


 一瞬で落下点への激しいポジション取りが行われるが、この勝負を制したのは体の小さな勇人だった。


 颯太は勇人の圧力に制され、最早決まり事のようにその動きを完全に封じ込められていた。



 どうだ?小川!!

 自分より小さい奴にパワー負けする気分はよ!!



 くそ!!

 まずい、まずい……

 このままじゃボールに触れねえ……


 どうする!?



 勇人がヘディングでクリアしようと、ボールのタイミングに合わせてジャンプしようとしたその時だった。



 !!!!


 コイツ、飛ばねえのか!!!!



 空中でのぶつかり合いを予測していた勇人は、背後で押さえ付けている颯太から受ける反発力も考慮して飛び上がった。

 しかし本来背中に懸かる筈のプレッシャーが何も無い。

 空中での支えに使おうと思っていた颯太からの押し返す力が一切無かったのだ。


 颯太は勇人がボール目掛けて飛び上がる瞬間を狙い、体を捻ってその力を後ろへと受け流したのだ。


 高さでの勝負を予測していた勇人の裏をかく、颯太の頭脳プレーだった。


 予想外の颯太の動きに勇人は空中でバランスを失い、ボールに触れる事なく自らそのまま後ろへと倒れ込む形になった。


 ボールは一瞬の内に勇人の前へと飛び出した颯太の左太腿に当たり、上手い具合に誰もいないスペースへと勢い良く転がっていった。



 ~~~



「考えって何?」

 紘が皆を集めた大成本人に尋ねた。


「小川君にポストプレーをやってもらおうよ」

「ぽすとぷれえ?」

 颯太は初めて聞いた言葉を復唱して首を傾げた。


「いきなりは無理だって!!それが何かも分かってないんだから」

 紘が首と手をブルブルと横に振って、大成に訴え掛けるように言った。


「小川君には野沢先輩以外はマークが甘いし……それに、パスを足元に納めるよりはずっと簡単だよ」

「……そりゃまぁ」

 大成の言葉を受け、紘は難しい顔をしながらも一定の理解は示してみせた。


「?それってどーしたら良いの?」

「俺が小川君に高めのボールを蹴るから、それを空いたスペースに落としてくれれば良いんだ、それだけだよ」

 颯太が頭を掻きながら困り顔で大成に尋ねると、大成は軽く笑いながら颯太に優しく答えた。


「簡単に言うけどさ……颯太はずっと野沢先輩にやられちゃってるよ?」

 それでも紘の不安は消えない。


 それほど勇人のディフェンス力が高かったからだ。


「いくら野沢先輩でも小川君と高さで勝負したら絶対にミスが出るよ、一番良いのは小川君が競り勝ってくれる事だけど……とにかく今は野沢先輩のミスを引き出そうよ、活路はそこにあると思うんだ……蒼真右サイドと春明左サイドはサイドの先輩達を引き付けて何とかスペースを作っておいてくれよ」


 紘は一瞬考え込んだが、他に何か良い案が浮かぶ訳でもなかった。



 確かに高さでの勝負なら颯太に分がある。

 颯太を絡めての攻撃が絶対条件と言うのなら、それを利用しない手はない。



 ……

 ……皆も同じ考えみたいだな



 迷いの消えた皆の表情を伺って紘が言った。

「打開するにはそれしかないかもな……よし、やってみようか」



 ~~~



 結果、颯太は不格好ながらもポストプレーを成功させるという、大成の狙いを越えた働きをした。


 今までお荷物だった颯太が、必死に作り出したチャンス。

 そこに一番に走り込んで来たのは、クロスを上げた大成だった。



 ナイス!!小川君!!



 展開が読めている分、他の誰よりも早くボールの位置を予測できたのだ。


 大成がそのままシュートのモーションに入ると、すかさずもう一枚の2年生DFがシュートをブロックしに滑り込む。


 狙い済ましたように鮮やかなシュートフェイントでブロックを躱わすと、ゴール前の新たなスペースへと走り込んだ紘に鋭いパスが飛び出す。


 これ以上ないタイミングでボールを受けた紘は、迷うこと無くその右足を振り抜き、ようやく2年生のゴールネットを揺らすことに成功した。



「良いじゃない!!今みたいなプレーよ!!そうやってもっと頭を使わなきゃ2年生から点なんて取れない!!……よし、ここで前半終了、休憩にしましょう!!」


 百合が1年生チームのプレイに手を叩いて誉めるのとほぼ同時、首から下げたストップウォッチのアラームが前半の終了を告げていた。



 高さで勝負しなかったか……

 野沢くんには却って小川君のアドバンテージが裏目に出たわね……


 1年生は良い形で終われたじゃない……

 でも、きっと二度目は無いわね……



「くそっ!!あの野郎……」

「勇人、小川をあまり舐めてかからない方が良い……」

「……何!?」

 地面の砂を蹴り上げ怒りを露にしている勇人に対して、2年生チームのボランチを務めていた藤波ふじなみたかしが言った。


「アイツ……ボールを扱う技術はまるで駄目だけど、はっきり言って体の使い方はズバ抜けてる……一瞬で勇人を躱して前に飛び出た……あのスピードは普通じゃない」

 藤波は目隠しのように両目にかかった前髪を掻き上げながら、感情を乗せる事も無くただ淡々と颯太についての総評を述べた。


 身長は港に次ぐチームで二番目に高い176cm。


 揃った前髪の隙間からチラリと覗くどこか遠くを見据えたようなその目が、彼の物静かで思慮深い聡明さを物語っている。


 静和中の本来のシステムはオーソドックスな3-4-3、藤波はセンターバックの中心を務めていた。


 言わばディフェンスのスペシャリストであった。


 彼の持つDFとしての技術、経験、意識は、その全てにおいて急遽DFにコンバートされた勇人とは比べ物にならないものがあった。



「!!……素人相手に結構な事言うじゃねえか、たまたま上手くいっただけだってのによ」

 それでも勇人にはその忠告を素直に聞き入れる様子は無かった。


「かもね……でも、とにかく小川相手に真っ向勝負は駄目だ……アイツとはサッカーの技術で勝負しなきゃ、それと……次からは俺アンカーやるよ、攻撃は前の4人でヨロシク」


 藤波は勇人に対して別段気にする素振りも見せず、前列の四人に涼しげな顔で語り掛けた。



「まぁ今ので1年の実力は大体分かってきた……お前ら両サイドとの距離感も掴めてきたしな……

 後半からは全力で行くぞ……

 もう1点もやらねえ……あいつらが勘違いしないように徹底的に叩き潰してやる!!」

 2年生チームのトップ下、松山久貴まつやまひさきが額の汗を拭いながら言った。


 175cmの痩せ細った体、ハリネズミのように逆立つ髪の毛、吊り上がった細い目と薄く大きな口が特徴的だった。


 底意地の悪そうな薄ら笑いを浮かべるその表情からは、彼の高慢で捻じ曲がった性格がありありと伝わってくる。



「聞いたかよ、今の……全力じゃねえって……」

「マジか……」

 松山の言葉が、ようやく1点取って安堵の表情を見せていた1年生達の間に戦慄を走らせる。



「あたりめーだろ!!あんな簡単にポンポンパスが通るかよ」

「……パスが通りやすかったのは勇人のせいだけどね」

藤波ナミ、テメェ!!!!」

 フフンと鼻で笑いながら勇人が1年生達に向かって吐き捨てると、藤波がその背中をグサリと刺すように言った。



「小川……少しは良い動きをするようになったが……でもまだだ、あんなもんじゃ俺は認めねぇ……もしお前がこのままなら例の約束は守ってもらうからな!!」


 姫野が颯太に向けて言った。


 鋭く突き刺すような視線が、颯太の全身から急激に体温を奪っていく。

 その凄まじい威圧感に押し潰されそうになった瞬間、右手からビリビリとした熱を感じた。



 ……助かったよ



 右手に宿った熱が循環する血液のように全身を素早く駆け巡り、奪われた体温を一気に取り戻していく。



「ウッス!!!!」



 巨大な壁の如く目の前に立ちはだかる姫野に、颯太は負けじと力強く頷いてみせた。



「……フン」



 姫野はそう吐き捨て、何のためらいもなく颯太に背を向けた。

 まるで隙の無いその背中からは、言葉以上のプレッシャーがひしひしと伝わってくる。



 そうだ……このままじゃ絶対に終われねえ

 何とか活躍してみせねえと……


 何とか姫野先輩に……

 いや、

 みんなに認めてもらわねえと!!!!




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