第24話 最低な新入部員とKY女コーチ その3


 ~放課後~



「……結局動画の見すぎで一睡もできなかったわ、眠い……」


 来客用の駐車場には赤いクーペの運転席で項垂れている百合の姿があった。


 コンコン……


「!!」


 窓ガラスをノックする音が聞こえ、百合がおもむろに顔を上げると、そこに立っていたのはサッカー部キャプテン大田原まことだった。


「大田原君じゃない!!一昨日は本当にありがとうね」

 百合は素早くドアを開け、開口一番タイヤ交換のお礼を伝える。


「いやいや、僕の方こそ……ウチのコーチを引き受けて貰えるなんて……じゃ、教室まで案内しますよ」



「久々の校舎ね……」

「ハハ、そうですよね……」


 廊下にいる多くの生徒が大田原の引き連れたスーツ姿の美女に目を奪われている。

 そんな周囲に近寄りがたい雰囲気を放ちつつ、百合は掲示物がペタペタと貼られた長い通路を歩いていく。


 あーもう、早くサッカーの話がしたい!!


 逸る気持ちを押さえつつも、先を行く大田原を煽るように歩みが自然と早くなってしまう。


 うぅ、我慢、我慢……

 あ、ちょっと興奮してのぼせてきたかも……


 ……それにしてもここの生徒達

 さっきから随分と人の顔をジロジロ見てくるわね……


 え、何?人の事指差してる!!

 まったく!!嫌な感じだわ……


「あ、この階段を上がりま……ゲッ!!」

 振り返って百合の顔を見た大田原が固まった。


「……?どうしたの?」

「田代さん鼻血、鼻血出てます……凄い出てます」


「!!!!」



 ~3年4組 教室~



「アイツ1年の小川だろ?あのスゲェ足速い……」

「おぉ、そうそう、運動会の時無双してた奴だよ」

「小川君、ホントにウチに入るのかよ……」

「噂じゃ結構おっかないんだろ?俺……大丈夫かな?」


 教壇の目の前の最前列の机には、行儀良く背筋をピンと伸ばして颯太が着席していた。

 集合したサッカー部員達二十数名の熱い視線が、自ずとそのニューフェイスの坊主頭に注がれる。


 顧問である小林の姿はまだ見えず、集まった部員達のお喋りには少しの秩序も無い。

 途切れない騒音はまるで縁日の屋台のようで、そのやかましさと言ったら、隣の教室で行われている補習授業に支障が出る程だった。



「オイ……お前が小川か、昨日の夜斎藤から連絡があってな……」


 背後からいきなり声を掛けてきた者がいる。

 颯太が振り向くとそこ立っていたのは2年の姫野優、彼だった。


 姫野は喜怒哀楽の読みづらい表情で颯太を一瞥すると、さも気だるそうにズボンのポケットからスマホを取り出してみせた。


「ウッス!!シマザキカイの連絡先ッスよね?」

 颯太がスッと立ち上がり、軽く頭を下げてからそう言った。


「あぁ、そうだ……そいつの連絡先だ」


 ……コイツ、タッパは俺ぐらいか……


 姫野は立ち上がった颯太が自分と同じ位の身長である事に少しだけ関心を示していた。


「アリガトウッス!!でも、もうそれ必要無いッス!!本人に会えたんで!!連絡先もその時に聞いたし!!すいませんッス!!」


「お、おい、余計な事言うなって言っただろ!?」

 颯太の隣にすわっていた紘が、もう勘弁してくれといったように頭を抱えている。

「あ……そうだった、ハハ、ゴメンゴメン……」


「チッ……なら俺と斎藤のやり取りは全くの無駄だったて事だな……」

「……いやいや、そんな事……ハハ」

 姫野の乱暴な舌打ちが聞こえ、颯太は思わず笑って誤魔化した。


「フン、まぁいい……ところでお前ホントにウチに入る気なのか?」

「モチロンッス!!シマザキカイと約束しましたからね!!グラウンドで戦おうって!!」

 そう言って颯太は力強く握った拳を姫野に見せつけた。


「そりゃお前らが勝手に言い合ってりゃ良いが……

 お前サッカー経験あんのか?」

「小学校の休み時間とかにやってたやつは入ります?」

「そいつは入れなくて良い」

「なら無いッス!!ゼロッス!!完璧に!!」


「!!……そしたらお前、試合になんて出れねえんじゃねえのか?足は速えのかもしんねえけどよ」

 姫野が呆れた顔をして颯太に言い放った。


「そうだよ、それに……颯太は知らないかもしれないけど……ウチだって結構強いんだよ、いきなりレギュラーになんかなれる訳ないじゃん、少しは考えてくれよ!!」

 紘は颯太のあまりの浅はかさに、最早耐え兼ねているような口振りだった。


「!!そうか……そもそも試合に出れなきゃアイツと戦えないじゃんか!!……練習だ!!練習!!紘、今から俺を鍛えてくれ!!早く!!!!」

「だから今日はミーティングだって!!!!それにそんなにすぐに上手くなんてなれないって!!!!」

 考えなしで行き当たりばったりの颯太に、紘のイライラが限界まで達しようとしていた。



「ぐぬぬぬぬっ!!盲点だったぜ!!あーくそ!!早いとこシマザキカイを負かして陸上部に入ろうと思ってたのによ……」



「……え!?……何言ってんだよ颯太……」

 颯太が何の気なしに言ったそのセリフに紘の表情が固まった。


 その顔は、目の前で大切な何かが壊れていくのを見てしまったあの時のような……

 何とも形容しがたいものだった。



「……オイ、お前舐めてんな?」



 姫野のその声は静かだったが、颯太に向けてハッキリとした怒りが込められている。



「……おい、何か雰囲気悪いぜ?」

「何したんだよ?アイツ……」


 三人に漂うただならぬ空気を察知して、寄せた波が引くように周囲が少しずつ静まり返っていく。



「え?いやいや、ハハ……冗談ですよ冗談、つい……ハハ……冗だ」


 バキッ……


「いってえ!!……って紘!!!!」

 左頬に強烈な一撃だった。

 紘が大きく肩で呼吸をし、颯太をきつく睨み付けている。


「ふざけんじゃねえっ!!!!昨日から一体何なんだよお前!!やったこともないくせに……

 いきなり入って試合に出れるなんて思ってるし……

 あげくに島崎に勝ったらサッカー辞めて陸上部に入りますだ?それなら最初っから陸上部に入れば良いじゃねえかよ!!!!」


 紘は怒りのままに、左頬を押さえたまま呆然とする颯太を言葉でも激しく殴り付けた。


「……あ、あの紘」

「うるさいっ!!!!触んな!!!!サッカー舐めんじゃねえ!!!!」

 颯太が肩の辺りに触れようとすると、紘は再び怒鳴ってその手を乱暴に払いのけた。


「稲葉!!落ち着け、手は出すな……小川、稲葉の言う通りだ……最悪だよお前」

 姫野が紘を諭しながら颯太に向かって吐き捨てた。


「!!……あ、いや、その……すみませんッス」

 颯太はあたふたと謝罪したが、二人に耳を貸す様子は一切なかった。



「おい!!小川お前何やってんだよ!!!!」

「調子乗ってんじゃねえよ!!テメェ!!!!」


「!!!!」

 どうして良いかわからない、言葉もなく立ち尽くす颯太に、血気盛んで屈強そうな上級生数名が詰め寄ろうとしたその時だった。



「何だか凄く盛り上がってるみたいね」


『!!!!』


 前触れもなくいきなりドアが開くと、百合がそう皮肉りながら大田原と一緒に教室に入ってきた。

 涼しげな百合とは対照的に、大田原は眉をひそめて怪訝そうな顔をしている。


「一部始終見させてもらったわ……

 君、熱くなるのは構わないけれどプレーは冷静にね、いかなる場合も手を出したら負けなのよ……アナタは大丈夫……?」

 教壇に立ち未だに憤ったままの紘を嗜めてから、左頬を擦っていた颯太を気遣った。


「あ、ハイ……大丈夫ッス、自分が悪……!?」


 !!!?


 このキレイな女の人には一体何があったんだろう……


 颯太は百合を一目見てそう思った。

 颯太だけでなく、教室にいたサッカー部員全員が彼女に対してそう思った。


「!!!!……田代さん、鼻のやつ……」

「!!!!……ちょっと失礼」

 大田原の言葉にハッとすると、百合は部員達に背を向け鼻に詰めていたティッシュを取った。


「プッ……」


 あちこちから必死に笑いを堪えるように息が漏れている。

 颯太に詰め寄ろうとしていた彼等も、思わずその場で肩を震わせた。


「……今日はもう帰ります……」

「いやいや、ちょっとちょっと……」

 顔を真っ赤にして立ち去ろうとする百合を大田原が必死になって食い止める。



「うおおおっ!!!!かわいー!!!!」

「ねえ、お姉さん先生の姪っ子でしょー?コーチしてくれんの?ねえねえ……」


 重苦しく張り詰めていた空気が一気に変わっていく。

 良くも悪くも、颯太も紘もついつい笑っていた。

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