第21話 スピードスター 後編 その4

「って……嘘でしょ……颯太だって6,3なのに……」

「すげぇ……やっぱ俺の勘違いじゃなかったんだ」



「……」



「6秒ジャストはその時の一回きりだったんだけどね……でも、そうやって神がかり的に速くなる時があるんだ、試合の時は特にね……」


 海は満天の星空を見上げながら、遠い記憶でも回顧するかのように言った。



「さっきから聞いてたけど……シマザキ君さ、それって結局何が言いたいんだよ?」

 それまで黙って海の話を聞いていた颯太が突然口を開いた。


「何がって……今言った通りさ、それだけだよ……」

「え?……じゃあ何ですか?本当はもっとスゴイのに僕はサッカーしてる時じゃないと速く走れませんって事ですか?」



「……」



「そういう事言ってるんですよね?ねえ!!黙ってちゃ分からないじゃないですか……」

 颯太が口を尖らせて馬鹿にしたように言ったが、海は何も反応せずにただ黙っていた。


「……おい、俺に負けるかもしれないからって変な言い訳するんじゃねーよ!!!!」

「ちょっと颯太やめなよ!!」

「小川君落ち着けって!!」


 颯太がいきなり海の胸ぐらを掴んで、自分の方へと強引に引き寄せた。


「悪いけど……本当なんだ、ボールを持ったら僕は誰にも負けない……

 君だって圧倒してみせる!!!!」

 海は締め付ける颯太の両手を振りほどいて言った。


「じゃあ……もしまた勝負して、俺がお前に勝ったって、お前は実力じゃ敗けてないとでも言うつもりなのかよ!?それともあれか?今度はドリブルしながら俺と勝負するつもりか?ふざけんな!!!!」

「そうじゃない!!でも、何て言ったらいいか……

 とにかくちょっと黙ってくれよ!!!!」

 興奮状態の颯太を前に、海の口調も段々荒くなっていく。


「言ってることはそういう事じゃねえか!!」

「だからちょっと考えをまとめさせてくれって!!」


「そうじゃねえだろ!!言い訳っですて認めろよ!!」

「あーもう!!!!このわからず屋め!!!!」


「なっ!!!!なんだこの外人面!!!!」

「!!……何だと!!このイガグリ!!!!」


「いが……!!てめえ、このパッチリ二重野郎!!」

「この……◯▲□%……!!!」

「うるせえ……▲%$□……!!!!」




「……まぁ、颯太の気持ちも分かるけどね……」

「負けず嫌いというか、島崎君も引かないな……」

 夏海と紘は、目も当てられない程低レベルな言い争いを繰り広げる二人からそっと距離を置いた。



「……この□$▲%の$%%□野郎が!!!!」

「……」

「□%□%が□%$+=みたいなんだよ!!」

「……」


「この……ハァ……ハァ……?……何だ?もう言い返せないのか?俺はまだまだ行けるぞ!!」

「……いい加減……」

 海は何かを言い掛けたが、そこから先を言おうとせず急に押し黙ってしまった。


「いい加減?いい加減の続きはどうしたんだよ!?」

 颯太はすっかり頭に血が登り、今にも海に噛みつきそうな勢いだった。


「おい、何とか言えってば!!ほら!!黙ってないで何とか言えって!!」

 それでも海はただ黙って下を向き、最早颯太と目を合わせる事すらしなかった。


「何だよ、まったく……」

 うつ向いたままで何の反応も無い海に颯太のテンションも自ずと下がっていった。

 このまま暫くこの膠着状態が続くかと思われた矢先だった。



『小川君!!!!』

「!!!!」


 突然颯太の耳元で海が叫んだ。

 鼓膜が破れるかと思うほどのボリュームだった。


 いきなりの事に流石の颯太も面食らったが、次に海の口から飛び出た言葉は、颯太だけでなく夏海と紘さえも驚愕させる一言だった。



「……いい加減ちょっとぐらい話聞いてくれよ!!!!

 僕は一度で良い……

 君と……

 君とサッカーで戦ってみたいんだ!!!!」



『!!!?』



「……稲葉君、島崎君今何て言ったの……?」

「……ちょっと待って……少し混乱しちゃって、確か……頭にサが付いてたような……サ……サ……サ何とかで戦いたいとか何とか……」

 夏海は口をポッカリと大きく開き、紘は人差し指で額を叩きながら、喉元から上手く出てこないその言葉を必死に引き出そうとしている。


「サッカーだと!!!?何をいきなり……」

 一瞬は戸惑ったものの、颯太が直ぐ様大声で聞き返した。


「あ、まただ!!またちょっとだけ聞こえた!!サ……サ……サ……

 何だろう?……凄く聞き覚えのあるような……無いような……??」

「稲葉君……もういいよ、あたしの聞き間違えじゃなかったみたい……」



「小川君……僕は、今まで誰かと勝負してこんな気持ちになったことなんて一度だってなかった……

 けど…君と勝負してると自分でも訳が分からない位に熱くなる……

 理由はよく分からないけど……

 とにかく君にだけは絶対負けたくない……

 そんな気持ちになるんだ……」



「お前……」



 颯太も海とまったく同じだった。

 勝負は結局有耶無耶になったが、一つのレースにあれほど熱くなれた事など今までに一度もなかった。


 彼が吐き出すように言った言葉に、颯太はどうしようもないくらい胸が熱くなっていた。


 これ程までに自分という存在を認めてくれている。

 それも……間違いなくライバルとして。

 自分には叶わなかった、日本一というタイトルを手にした男が。



 シマザキカイ……

 そうか……

 こんなにも俺の事を……


 胸ばかりでなく、目頭までもが熱くなった。


 彼に何か言わなければ……


 だが、どうにもこの気持ちを上手く言葉にできない。

 言葉ではとても伝えきれるものではない。


 どうしたものか……


 ハッ……!!


 何も無理して上手く伝える必要なんて無いじゃないか……

 俺たちに言葉なんて要らない……


 きっと分かり合える……

 なぁ、そうだろ?シマザキカイ……



「シマザキ君……」

 何かを伝える代わりに、熱い握手を交わそうと海に手を差し出したその時だった。



「小川君……」

 海がポツリと言った。



「ん?何だい?シマザキ君……」

「僕はね、小川君……」

「うんうん……僕は?」



「僕は……サッカーなら実力以上のものが出せる!!!!

 そこで僕は君と戦って……

 君を……君を思う存分叩き潰したいんだよ!!!!

 完膚なきまで!!!!

 ぐうの音も出ない位圧倒的に!!!!

 とにかく捩じ伏せたいんだ!!!!

 この手で君を!!!!」



「!!!!」



 またも突然だった。


 海の奥底に眠っていた感情が、とうとう抑えきれない程までに溢れ出し、ついにそれはけたたましい叫びとなってこの狭い公園中に響き渡った。


 激しいジェスチャーと共に捲し立てるその様は、さながらどこぞのミュージカル俳優が魅せる演目、正しくそれだった。



「島崎君て……意外とキテるわね……」

「うん、ちょっと……いや……かなり……」

 夏海と紘は思わず海から目を反らし、眉をひそめながらコソコソささやき合った。


 二人とも、何だかとても見てはいけないものを見てしまったような心境に陥っていた。



「……」

 颯太も海のあまりの豹変ぶりに言葉を失い、差し出していたその手をサッと引っ込めた。


「どうだい?小川君……やる気になってくれた?」

 一方の海は全ての膿を出し切ったかのように、いつもの爽やかな笑顔に戻っている。


「ハッ……爽やかな顔してるくせに随分とエグい事言うじゃねぇか……

 通りで笑顔が嘘臭い訳だ……」

 海から漂う異様な空気を颯太は一瞬で笑い飛ばした。

 握手しようとしていたその手は、今やすっかりきつく握り込まれ、ガチガチに固まった鉄拳と化していた。



「!!……小川君、君だって本当は望んでるんじゃないのか?最高の僕と戦いたいって!!!!そうだろ!?」

 もう一度海が颯太の心に訴え掛ける。

 例のごとく芝居がかった身振りで。



「……残念、見え見えだよ……そうやって俺を焚き付けて、自分の得意なフィールドに誘い込む気だろ!?

 分かってんだよ、シマザキカイ!!!!」


 力の籠った拳を海に見せつけ颯太が吠えた。



「そうよ、颯太!!ここはハッキリ言うのよ!!」


 何か嫌な予感がする……

 とてつもなく……


 たまらず夏海も声を張った。



「おう、任せとけ!!……上等だよ、シマザキイ!!

 サッカーだろうと何だろうと関係ねえっ!!

 受けて立ってやる!!必ずお前を返り討ちにしてやるぜ!!!!」



「!!!!……へぇ、楽しみだな……」



 颯太の放った強烈な決め台詞に、夏海と紘が白目をむいて石像のように固まったのとほぼ同時刻、田代家の玄関では脱ぎ散らかした靴を片付けながら百合がポツリと呟いた。


「天才島崎海……彼を止めるには彼と同等……

 いえ、彼以上のスピードスターが必要ね……」


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