第20話 スピードスター 後編 その3
新入部員同士の紅白戦の翌日、練習開始前のグラウンドでの事だった。
「海、ちょっと来て……」
渡井が海を呼びつけた。
「昨日の紅白戦見てて思ったんだ……ちょっと確かめてみたくてさ、まぁまだ半信半疑だけど」
「……はぁ」
海が力なく反応する。
「そこのカラーコーンからセンターラインまでがちょうど50mだ」
そう言って2m程の間隔で置かれた2つのカラーコーンを指差す。
「あのカラーコーンがスタート位置ね、良い?」
「はい……あの……センターラインまで走れば良いんですか?」
「うん、最初はね……後でもう1本走ってもらうけど」
「?……最初はって……2本目は何か違うんですか?」
「まぁね、まずは1本走ってみてよ……」
「……はい」
多分……
フォームの事でも言われるんだろうな……
今さら直せないんだよね……
海は渡井がその場から離れると面倒くさそうな顔をして溜め息をついた。
「おーし!!いいぞー!!」
「何?」
「島崎が50mのタイム測るみたいだよ」
「また?何で?」
「斎藤先輩がチラッと言ってたんだけどさ……ゴニョゴニョ……」
「……マジで?」
渡井がゴール地点から声を掛けると、他の部員達も自ずと海に注目し始めた。
「6,4じゃ許さないんだってよ、スーパースター」
「じゃあ6秒切れば良いの?無理なんだけど」
またもスターターを務める斉藤に冗談ぽく愚痴った。
「いや、無理じゃねえ……多分な」
「斉藤君……それ真面目に言ってる?」
「あぁ、俺は何時だって大真面目だ……」
いつもどこか飄々としている斎藤が珍しく真剣な眼差しを向けている。
って言われても……
6,4て自己ベストだったんだけどな……
「……よーし、ナイスラン!!……と6,6……
さすが!!やっぱり速いなぁ」
「ハァ、ハァ……もう一本ですよね?」
「うん、ちょっと休んでね」
タイムもまずまず、我ながら悪くない走りだったと海は思った。
渡井も海に向けて分かりやすい位に満足気な笑みを浮かべている。
「よし、次はちょっとやり方変えるよ」
「…………はい」
少し休んで息が整ってくると渡井がそう言った。
……嫌だなぁ
どうせ、もっと上体を起こせとか、顔を上げろとか何とか言われるんだろうけど……
走りづらいんだよな……
「よし、次はドリブルね、ドリブルで駆け抜けるんだ」
「あぁ何だ、ドリブルでね、はいはい……え!?」
渡井があまりにもさらっと言うのでうっかり聞き逃してしまうところだった。
……今何か変な事言ってなかったか?
「何だ?そんな面白い顔して……早く準備しろって」
「今……もしかしてドリブルでって言いました?」
「うん、言ったけど……何で?」
ポカンとしたままの海とは対照的に、渡井はずっと爽やかな笑顔を崩さない。
「いや、まぁ別に……ドリブルで、ですね……分かりました」
海は予想外の渡井の指示に困惑しつつ、首をかしげながらスタートラインまで戻っていった。
「綺麗にドリブルしようなんて思うなよ、スピードだよスピード、お前のトップスピードが知りたいんだよ」
斎藤が足下にあったボールを海にパスして言った。
「え!?……斎藤君これやるって知ってたの!?」
「昨日監督とちらっと話してね……アイツは普通に走るよりボール持ってた方が速いって言ったんだよ」
「ハハ……そんな事あるわけないじゃん……よっと……」
海は転がってきたボールを跳ね上げ、斎藤に見せつけるようにリフティングしてみせた。
「おぉ、スゲェ……まぁとりあえずやってみろって」
海の曲芸じみたリフティングを目で追って、感心しながら斎藤が言った。
「……とりあえずね」
海はやれやれと言ったような表情を見せながら、再びスタート地点に入った。
今度はボールと一緒に。
「もっともっと!!!!スピード!!スピード上げろ!!
……おーし!!……」
「ハァ……ハァ……タイムは?」
ゴールしてから一呼吸置いて海が尋ねた。
「えーとね……7,1……いや、これでも相当速いけどな」
そう言いながらも渡井が納得していないのは、その口振りから明らかだった。
「ハァ……ハァ……ドリブルの方が……ハァ……ハァ……速いだなんて……あるわけ……」
海はその場にペタッと座り込み、肩で息をしながら思っていた事をついつい口に出していた。
そりゃあ海の言う通りなんだけどな……
やっぱり気のせいだったのかなぁ……
ドリブルしてるとフォームが良くなるなんてな……
まぁ、普通に考えたらそんな事あるわけ……
「監督、もう一本良いッスか?」
首を捻って考え込むようにしている渡井に駆け寄ってきた斎藤が言った。
「うーん、俺は良いけど……海は?いける?」
「ハァ……ハァ……もう一本くらいなら大丈夫ですけど……ハァ……多分そんなに変わりませんよ……」
「おし!!決まり!!今度は俺のパスに合わせてドリブルな」
「ハァ……ハァ……うん……了解」
「おーし、じゃあラストなー!!終わったら練習始めるからなー!!」
ゴール地点から渡井が声を上げる。
「海……俺から見てもお前の実力は未知数だ、ハッキリ言ってまるで底が見えてねぇ……さっきは多分って言ったがありゃ訂正だ……
お前なら絶対に出来る」
「!!!!」
スタート地点へと向かいながら斎藤が言った言葉に、海は思わず耳を疑った。
それもその筈だった。
海と斎藤はとあるフットサルスクールで知り合い、それからおよそ2年程が経っていた。
その間海は彼が他人を褒めたりする所などまるで見た事が無かった。
只の一度も。
もし仮に彼が誰かを褒めたり、手を叩いて称賛するような事があったとしても、それはただのポーズで、きっと本心では人を小馬鹿にしているだろう、そんなイメージしかなかった。
そんな彼が最高の賛辞とも取れる言葉を掛けてきたのだ。
それも面と向かって、しかもいつもからかってばかりの自分に。
「そんな……それにさっきだって……」
「全力だったんだろ?もちろん分かってる……」
「じゃあ何で……」
それでも海は自分に対してどうしても否定的だった。
これ以上出来る筈がない
僕は間違いなく全力だった……
なのに……
「お前はまだ自分の本当の力に気付いてねぇ……」
「ハハ……本当の力って……そんな大袈裟な……」
まるで漫画のようなセリフに海はつい息を漏らして笑ったが、斎藤の方はクスリともしていない。
いつもとは明らかに違うその様子に、海は戸惑いながらも姿勢を正すしかなかった。
「ボールに関わってる時だ、お前が一番速いのは……
タイムを測るために走ってる時じゃねぇ……」
「……」
海は黙って斎藤の話に耳を傾け、自分の汗ばんだ掌をじっと見つめた。
「ボールを持った瞬間、『稲妻』みたいになるんだ……
そうなったら……もう誰もお前には追い付けねぇ……」
斎藤の言葉が、見つめる掌に不思議と熱を感じさせる。
目には見えない小さな炎が揺れているようだった。
炎は次第に大きく、そして激しくなっていき、その勢いに併せるかのように海の胸が段々と高まっていく。
「毎回じゃないけどな……何がスイッチなのかは分からないが……そういう時があるんだ……昔からお前を見てた俺が言うんだ、一つ騙されたと思ってやってみろ」
見えない炎がその掌には収まりきらない程大きくなると、深く長い呼吸を一つして、開かれたままのその指を一気に力強く握り込んだ。
「さぁラストだ……ここにいる全員を驚かせてこい!!
スーパースター!!!!」
そう言って斎藤は海の背中をバシッと叩いた。
スタート地点に入った海は、心身共に最高の状態だった。
全身が得体の知れない熱気に包まれていたが、それでいて心は随分穏やかだった。
周りはこんなにもざわついているのに……
僕は凄く静かだ……
でも、熱くなる……抑えきれない位……
こんな感覚何時以来だろう……
あぁ、そうだ……あれは去年の……
スタート失敗して大泣きしてたアイツ……
アイツと走った時以来かなぁ……
……あれ?……どんな奴だったっけ…………?
まぁいいや……今はとにかく……
やってやる!!!!
「準備良いぞー!!」
「おし、行くぞ!!!!」
「うん!!!!」
渡井の声が聞こえると斎藤が海に一声掛け、二人は一気に呼吸を合わせた。
並び立つ斎藤が真っ正面を見据えた瞬間、海がスタートラインを飛び出す。
上半身が前のめりの独特なスタイルのままグングン加速していく。
その海を追い越す程のスピードで、斎藤の右足からは強烈なパスが繰り出された。
目の前に飛び出してきたそのボールに反応し、何とか喰らい付こうと海の腕と足の回転が上がっていく。
そしてそれは起こった。
海が自分から遠ざかっていくボールをその目で追い続けると、それまでほぼ真下に向けられていた目線が徐々に上がり始め、遂にはそれと連動して上半身までもが自然と起き上がっていたのだ。
加速を後押しするための完璧なフォームだった。
その勢いで触れたボールは足元へ収めきれずにあらぬ方向へと飛んで行ったが、ゴールの瞬間まで海のフォームは崩れないままだった。
「ハハハ……信じられない、お前ちょっと変だよ……いや相当変だ……マジか……」
走り終えたばかりの海に、渡井がストップウォッチを見ながら引きつった笑顔で言った。
「ハァ……ハァ……何秒ですか?」
「……6秒ジャストだよ……ハハハ」
「!!!!……ハァ……ハァ……ほんとに!?」
「……こっちのセリフなんだけどな」
速く走ろうと考えるよりも、とにかく無我夢中でボールに触れる事だけ考えて走った結果だった。
誰よりも先にボールに触るんだ……
誰よりも……1番に!!!!
試合中海はいつもそう思っていた。
そのシンプルで強い想いこそが、誰にも追い付けない驚異的な加速を生み出していたのだ。
そして、その事実にずっと前から気付いていたのは、他の誰でもない、スタート地点から海に向かって親指を立てている斎藤だけだった。
「ハハハ……凄い、斎藤君の言った通りだ……」
自分でも信じられないような結果に、海はその場に座り込んでただただ笑うしかなかった。
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