翔べない鳥

第6話 翔べない鳥 その1

「……こんなサッカーで勝てるわけねーんだよ」


 ジリジリと照り付ける日差しの強い7月の空の下、試合終了のホイッスルが鳴るのと同時に静和せいわ中2年姫野ひめのゆうはそうこぼした。


 スッキリとした短髪、重たい一重瞼に切れ長の目、凹凸の際立つその輪郭をなぞるように姫野の顔には大量の汗が流れている。


 姫野は顔をしかめながら群青色のユニフォームに着いた砂埃を払い落とした。


 7月某日 静岡県 某総合グラウンド

 全国中学生サッカー大会 静岡県 県予選 準々決勝


 上州学園中学 対 静和中学


 結果は8対1、全国大会常連校である上州学園の圧勝であった。


 姫野の仲間達は終了後の挨拶があるにも関わらず、その場に泣き崩れ動けないでいる。


 ……泣くくらいならもっと走れよ、情けねぇ……


 姫野は何のためらいもなくそう思ったのだが、静和イレブンのほとんどは3年生であり、彼等にとってはたった今これが引退試合となったのだから、つかの間の感傷に浸るのは至極真っ当であり、致し方のない事だった。


 姫野はそんな事もお構いなしに一人無言でコート中央に向かって行く。


 滲み出る我の強さからはとても彼が敗者であると思えなかった。


 センターラインにはブラジル代表を彷彿とさせる伝統の黄色いユニフォーム、上州イレブンがすでに整列していた。


 一糸乱れることなく横一列に並んだ彼らの中には、誰一人としてこの勝利に笑顔を見せるものはいない。


 勝って当然てとこか……

 クソっ!!

 気に入らねえっ……


 上州学園からしてみれば対戦相手に最大限の敬意を表してのことだったが、姫野の目にはそうは映らなかった。


 敗者に対する気遣いを強引に押し付けられているような……そんな気がした。


 姫野にはかえってそれが屈辱的だった。


「姫野……」

 姫野の名を呼んで手を差し出してきた者がいた。


 2年生ながら上州学園の10番を背負った者、斎藤春樹だった。


 細身だが180cmに届こうかという長身、どこか野暮ったい感じのパーマ頭が風に揺れている。


 姫野も173cmと体格にはそこそこ恵まれていたが、それでも斎藤と比べると明らかに見劣りしていた。


 姫野は無言のまま斎藤を見据え、差し出されたその手を握ろうとはしなかった。


「相変わらずだな……どうだった?うちの新しいエースは」

 斎藤は姫野のその態度にやれやれといった表情を見せながら手を引っ込めて言った。


「反則だ……速すぎだろ……ほんとに1年かよ?」

 姫野が斎藤の隣に並ぶ背番号11番の少年を睨むようにして言った。


 一見すると、とても同じ日本人とは思えない美しく整った顔立ち、小川颯太に勝ったあの少年 島崎海 彼だった。


 海は姫野の眼光の鋭さに怯んだのか、思わず斎藤の影に隠れた。


「ピカピカの一年生だよ……それに日本で一番速い小学生だったんだぜコイツ」

「日本一か……通りで」

「しかもウチに入って即レギュラーだ……ほんとに才能の塊だよ、中にはウチに入りたくても入れない奴もいるってのにな」


「!!!!」


 斎藤の言葉を聞いた瞬間、海を捉えていた姫野の目付きは更に鋭くなった。


「ヒッ!!」

 思わず海が悲鳴を上げた。


「そう怖い顔するなよ……男の嫉妬はみっともないぜ、優ちゃん」

 そう言うと斎藤は自分でも気付かないうちに不敵な笑みを浮かべていた。


「……フン」

 姫野は斎藤のその表情を見て吐き捨てるよう言った。


 ……それだよ、それ……

 その見下すような顔だよ……

 勝った奴はそうじゃなきゃな……



「8対1……前半のメンバーで戦っていたら勝てないまでも実力差はそこまでじゃないわね」

「なっ、そうだろう?それに彼等はもっと強くなる、特にあの7番の子、姫野君は……それには俺じゃだめなんだよ」

 選手達が帰り支度をしていたグラウンドの片隅では、静和中監督小林久男こばやしひさおがスーツ姿の若い女性と何やら話し込んでいる。


 小林は直に50に差し掛かろうかという年齢で静和中の教師兼サッカー部監督であり、話し相手の女性は小林の姪で名は田代たしろ百合ゆりといった。


 百合はセミロングの髪が映えるスラリとした長身の美人だったが、力強さを感じさせるその瞳にはどこか人を寄せ付けない雰囲気があった。


「姫野君……7番の子……そうね、彼は確かに抜き出ていた……

 それに前半のメンバーがほぼ残るのなら、このチームは叔父さんが言うとおりまだまだ強くなる」

「そうか!!じゃあ……引き受けてくれるのか?」

 小林が顔中をシワだらけにして笑顔を見せながら聞くと、百合の表情はみるみる曇っていった。


「……」

「なぁ、頼むよ……次のチームは期待できそうなんだよ、この子らを何とか一度くらい上州に勝たせてやりたいんだ」

 二人の間に少し沈黙が続くと、我慢できずに小林から切り出した。


「俺みたいな素人が教えるなんてもったいないくらいの子達なんだ、お前から見てもそう思うだろ?」

 小林は続けたが百合は難しい顔をしたまま、ただ黙って聞いているだけだった。


「教育者として何とか彼等をできる限り伸ばしてやりたい、成長させてやりたいんだよ、でも俺にはその力が無い、お前ならきっと……」

 小林は力強くそう言ったが、それでも百合の表情は険しいままだった。


「ダメか……」

 この様子ではとうてい良い返事など期待できそうにない。

 小林は諦めたように深い溜め息を落とした。


「……悪いけど……それに私は随分サッカーから離れていたし」

 ようやく口を開いた百合はそう言って小林から視線を外した。


 外した視線の先には帰りのバスに乗り込もうとしている海の姿があった。


 ……あの子、11番の子……


「……そうか……分かったよ、残念だが……わざわざ来てもらって悪かったな、姉さんによろしく言っといてくれ……もし、また気が向いたら」

「ええ、連絡する……叔父さんも頑張ってね、じゃあまた」




 小林は肩を落として名残惜しそうにしたが百合は足早にその場を去っていった。


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