第5話 運命の出会い その5

 観客席からは勝者を讃える拍手が起こっていた。

 颯太に勝った少年は満面の笑みを浮かべ、それに応えるように大きく手を振っている。


 颯太は荒い呼吸のままでその光景をジッと見つめるだけだった。


 夏海……みんな……ゴメン……


 悔しさよりもまず先に申し訳なさが込み上げてきた。

 いつもの颯太ならその場に倒れ込んで、悔しさのあまり地面を叩き付けているはずだった。


 ……何でだろ?


 颯太は自分でも不思議に思っていた。


 実は、まだ颯太には負けたという実感が今一つなかった。

 頭では理解していたが体がそれを拒んでいるようなそんな感じだった。


 それともう一つ、その時颯太は気付いていなかったが……


「凄いね君……あんなに出遅れてたのに……びっくりだよ、危なかった」

 優勝したあの少年が颯太に駆け寄ると、そう言って手を差し出してきた。

 表情こそにこやかなままだったが、何故だか颯太にはそれがどこか嘘臭く感じた。


「……敗けた、君こそ凄い速かった……予選と全然違うし……県内じゃ俺より速いやつなんていないと思ってたのに……名前は?」

 差し出された手を固く握って颯太が聞いた。


「カイだよ、海……島崎海」


「……シマザキ君……全国、絶対勝てよな!!……それと……次、次は必ず俺が勝つから!!敗けたままなんて我慢できない!!絶対また勝負しようぜ!!!!」

 颯太がそう言うと海は困ったような顔をした。


「全国は……まぁ頑張るよ……でも、悪いけど陸上は今回だけなんだ……頼まれて参加しただけだし……だからもう君とは会うこともないと思うよ……」

「えっ!?」

「僕普段サッカーやってるんだ……陸上ってあんまり興味無いんだよね、本当は全国大会も別に僕にはどうでも良くて……じゃ、僕もう行かなきゃ」

 海は颯太の手を振りほどくようにすると駆け足でその場を去っていった。


 颯太は遠ざかる彼に慌てて手を振ったが、頭の中は少し混乱していた。

 彼との会話の中で耳を疑うようなワードが幾つかあったからだった。


 陸上……興味無い?

 全国……どうでも良い?


 ……サッカー?

 ……


 俺の全国は……別に出たくもない奴に持ってかれたのか……

 俺は……陸上に興味の無い奴に敗けたのか……

 俺の走りは……サッカーやってる奴に敗けたのか……


 次第に呼吸も整い、頭の中に散らばった情報が整理されてくると、自分が今まで大切にしてきたものが踏みにじられたような気持ちになった。

 悔しいというより怒りに近い感情だったかもしれない。

 颯太は、ぶつけようの無いモヤモヤとしたものを抱えたまま夏海たちの元へ向かった。


 約束……守れなかったな……

 ……

 夏海にどやされる……


 ……怖い


「お疲れ、颯太……頑張ったな」

 とぼとぼと歩み寄る颯太に気付いたコーチが、これ以上ないくらい優しいトーンで声を掛けた。


「……うん……あれ?……夏海は?」


 コーチが黙って指差した。


 指差した方に目をやると女子が数人で夏海を包み込むように取り囲んでいた。


 颯太はこの時ようやく自分が敗けたという事実を痛い程実感した。


 颯太は今まで夏海が泣いた所を見たことがなかった。

 どんなに辛い事があってもけっして泣かないやつだと思っていた。

 ひょっとしたら涙腺が無いんじゃないかとすら思ったことがあった。


 そんな彼女が声を殺すように、背中を丸めてひっそりと泣いている。

 それは間違いなく颯太のために流す涙だった。


 ……

 なんで……

 いつも気が強くて、冷たいし、口も悪くて……


 それに……

 去年のあの時も泣いてなかったじゃないか……

 自分の為になんて絶対泣かないくせに……


 なのに……


 なんで……

 なんで俺の為に泣くんだよ……

 ……


 ……うぅ


「……うわあああああーん……ごめーん……なつみいいいいい……おれ……おれ……やく……やくそ……約束守れなかった……くっ……くやっ……くやしいよおおおおおお!!!!うえええええええん!!!」


 突然の大泣きにコーチや仲間たちが慌てて颯太に駆け寄った。

 泣き出した颯太は突然オモチャを取り上げられた子供のようになってまるで手が付けられなかった。

 コーチや仲間たちが押さえつけるようにしてなだめるが逆に弾き飛ばされるほどだった。


 あまりの激しさに周りの観客達は次々と席を移動していく。

 そのドタバタが遠目には随分と賑やかで、お祭り騒ぎのようになっていた。


 そこから少し距離を空けた観客席に颯太達のその様子をニヤニヤしながら眺めている少年がいた。


 細見の長身に野暮ったい感じのパーマ頭、黄色いジャージに身を包んだその少年には、どこか隠しきれていないふてぶてしさがあった。


上州じょうしゅう学園中学FC」


 彼のジャージの背中には大きくそう書かれていた。


 その少年の名前は斎藤春樹さいとうはるきといった。


「ハハッ、何だよアイツ、スゲー面白いじゃん……

 お!お疲れー、優勝おめでとう!!」

「……何だ、見に来てくれてたんだ、斎藤君……

 てか、それ僕の水筒!!……飲んだ?」

 自分の水筒を持っていた斎藤に海が不満げな顔で言った。


「ごめん、ごめん、喉乾いちゃって」

「水道あるじゃん!!」

 海はブスっとしたまま観客席に腰を下ろした。

 しかめっ面のまま置いてあったリュックからサンドイッチの入った弁当箱を取り出すと、斎藤が物欲しそうな顔でじっとそれを見つめている。


「いやー、今日何も食べてなくてさー……」

「……」

 海は黙って自分の嫌いな野菜サンドを斎藤に差し出した。


「……あ、そっちのカツのやつの方が」

 海は野菜サンドを斎藤の口に強引にねじ込んだ。


「……ほんと何しにきたの?」

「……モグモグそりゃあクチャクチャ決まってるだろモグモグクチャクチャ」

「食べてからでいいから!!」

「……モグモグ……野菜サンドも中々……モグモグ……」

「……」

「モグモグ……ゴクリ……そりゃあ決まってるだろ……未来のエースの走りを見に来たんだよ、どれほどのもんか」

 斎藤の目付きが急に変わり、海は思わず生唾を飲み込んだ。

 斎藤のその眼差しからは僅かほども体温を感じられなかった。

 まるでヘビがこれから食べるカエルをじっくりと品定めしているようだった。


「……僕はまだ上州に入るかどうかは決めてないよ」

 平静さを装うように海が言った。


「お前がどう考えてるか知らないけど島崎監督はもうそのつもりさ……

 みんなに言ってたよ、来年からはお前中心のチームになるってな……

 もう約束されてんだよ、お前の地位は……」

 

 その言葉に海の動きがピタッと止まった。

 斎藤はその隙を逃さず、驚くべきスピードで主役のカツサンドを奪った。


「あっ!!!!」


「まだまだ甘いな!!まっ、来年からよろしくってことで……

 それから……さっきのあの坊主……ほら、あそこでワンワン泣いてる……

 もしあいつのスタートが上手くいってたらどうなってたかな?」


「……勝負にもしもなんて無いよ……」


「そりゃそうだ……じゃあもう一度勝負したら?」


「何度やっても僕が勝つよ、決まってる……」


「……ふーん、すごい自信だな、流石だよ……とにかく優勝おめでとう、じゃあまたな」

 斎藤はニヤリと笑ってそう言うとカツサンドを口の中に放り込んで行ってしまった。


「……モグモグうまっクチャクチャやっぱ肉だよなクチャクチャモグモグ」


 海は溜め息をついてからサンドイッチを一口頬張るとチラリと颯太の方に目をやった。


「……あんなヤツに僕が敗けるはずないだろ」


 遠くから聞こえてくる颯太の泣き声が海には酷く耳障りだった。


 こうして、小川颯太小学生最後の全国への挑戦は終わった。


 小川颯太と島崎海、これが二人の運命的な出会いでもあった。

 海に出会ったことで颯太の人生はこれから大きく変わっていくことになるのだから。


 そして颯太はこの時気付いていはなかった。


 海との戦いを心の底から楽しんでいた自分に


 今はまだ……

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