第4話 運命の出会い その4

「小川颯太」

 名前を呼ばれて颯太が一礼する。


 俺はもう一年前の俺じゃない……

 夏海は約束通り勝って全国を決めた……

 次は俺が約束を果たす番だ……


 颯太は先程までの振舞いが嘘のように、非常に良い興奮状態にあった。


 良い感じだ……やばい、もしかしたら自己新狙えるかも……


 自然と自信が漲ってくる。

 全身に力みはあるが、震えは一切無い。

 胸の高鳴りも呼吸をかき乱す程ではなかった。


 実はこの時、颯太はスタートが苦手な事をすっかり忘れていた。

 それが何より大きかった。


 よし、いける!!

 早く始まってくれ……


「……ねえ君、小川君だろ?君って去年全国行ったんだよね?」


 !!!!


 不意をつくように左隣の選手が颯太に話しかけてきた。


 颯太とさほど変わらない身長だろうか、颯太が間違えて入ったレーンの少年だった。


 サラサラとした前髪が風に流れている。

 よく見れば少年は、とても同じ日本人とは思えないような目鼻立ちの整った美しい顔立ちをしていた。


 屈託の無いにこやかな表情で颯太を見つめ、そこからはプレッシャーなど微塵も感じさせなかった。


 何だコイツ?このタイミングで話しかけるか?

 何か妙にチャラいし……

 前髪斜めだし……


 スタートまで後僅かのところだった。

 せっかくの良いリズムを崩されたくない……颯太は少し苛立った。


「そうだけど……何?」

「そっか……楽しみだな……どれだけ速いのか……やっと本気で……」

「えっ!?」

「もう、始まるよ……」


 ヤバッ!!


 気付けば颯太以外の選手は皆クラウチングスタートの体勢に入っていた。

 颯太も慌てて両手と片膝を地面に着ける。


 リズムが……クソッ!!

 焦るな、大丈夫だ……落ち着け……

 あれ……何か変な感じだぞ……膝が……

 膝の感触が変だ……

 良い位置が決まらない……


 颯太は片膝を何度も地面に置き直していた。

 一度感じた違和感はそう簡単に拭えないものだった。


 まずい……このままじゃ……


「うそ、颯太……また!?ここで!?」

 夏海は颯太の異変をいち早く感じ取っていた。

 が、夏海に出来ることなどもはや何も無かった。

 もうきっと声は届かない……夏海は両手を固く握ってただ祈るしかなかった。


「ヨーイ」


 ……やるしかねえっ!!!!


 すんでの所で覚悟を決め、目を閉じてから大きく一呼吸する。

 そうして決意を持って開かれたその両目には見事に力が宿っていた。


 紆余曲折あったが、スタート直前に何とかこの状態まで持ってきた。

 颯太は間違いなく成長していた。


 ……だがしかし、颯太は最後の最後に致命的なミスを犯す。


 ピストルが鳴る直前、ほんの一瞬だが颯太は先程の少年に目を向けてしまった。


 ……え!?コイツまだ笑ってる……


 !!!!しまった!!!!


「うわー!!!!やっちまった!!!!」

 叫ぶように言ってコーチが思わず頭を抱えた。

 颯太が走り出したのは他の選手と比べ明らかに一歩遅れてからだった。


「まだ大丈夫!!大丈夫だから!!」

 夏海が叫ぶ。


 やっちまった!!最悪だ!!

 けど……良い感じだ!!


 夏海の言葉通りその差がまるで無かったかのように最後尾から颯太がグングンと追い上げていく。

 一人、また一人とまさにごぼう抜きだった。


 後半颯太は更に加速した。


 見てろ!!みんな!!俺が一番だ!!


 俺が一番速い!!


 後三人……二人……


 最後の一人……!!!!……アイツだ……


 最後の20m、颯太の前を走っているのはスタート直前に話しかけてきたあの少年だった。


 お前を抜かせば……抜かせば……


 ……

 

……コイツ


 速い!!


 相当速い!!


 差が……


 差が全然縮まらねえ……


 待て……待ってくれ……終わらないでくれ!!


 頼む!!


 頼むから!!!!


 追いかけていた背中が、無情にも颯太の目の前で軽やかにゴールラインを超えていく。

 颯太にはその瞬間がスローモーションの映像のようにはっきりと見えていた。


「……嘘でしょ、嘘……」

 夏海が絶句する。


 心の片隅では自分の心配などはきっと杞憂で終わる、何があっても結局は颯太が優勝するだろうと思っていた。


 本当は二人でもう一度全国に行けると信じていた。

 何故なら颯太が夏海との約束を今まで一度も破ったことが無かったからだ。


 颯太は今日も当然のように私との約束を果たすだろう……

 そしたら私やみんなの前で得意気な顔で大威張りするに違いない……

 きっとそうだ……

 調子に乗りすぎないように私からきつく言わないと……


 今朝もそんな想像をして私は家を出た……

 それなのに……


 目の前に広がる現実は夏海の想像していたそれとは大きく違っていた。

 颯太は敗れ、代わりに別の誰かが勝った。


 颯太は去年のあの日、あの時のように、悔しさを表現するわけでもなくただその場に立ち尽くしているだけだった。


 その姿に夏海の胸は張り裂けそうになった。

 夏海の目からはポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 拭っても拭ってもその涙が途切れることはなかった。


 これは違う……

 私が泣くのは違う……

 私が泣くのは絶対に違う……

 私はアイツに声を掛けなきゃ……

 頑張ったねって……でも……ダメだ……


 夏海は耐えきれずに隣にいた女子の胸に顔を埋めた。


 仲間たちも想像だにしない結果に言葉を失っていた。

 彼らも本心では颯太の優勝を信じていたからだ。

 それでも颯太はあの少年を追い抜く事ができなかった。


 結果だけがそこで起きた全てを残酷に物語っていた。


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