7.魔神の影の鬼

恐怖に打ち勝て

 周囲に注意を払いつつ、俺たちは暫くして目的地へと到着した。そこは、すでに引き払われた貴族の廃屋……なんだが。


「……なんや、まだまだ綺麗な造りやなぁ」


 サリシュの言った通り、その外観はボロボロという程ではなく、少し古ぼけた建屋といった風情だったんだ。

 住んでいたのが貴族という事もあり、意外に造りは確りとしていたんだろうなぁ。人の住まなくなった家はすぐに朽ちるって言うけど、ここはそうでもなかったみたいだ。


「……どうするの、アレク。中も探って見るの?」


 俺に擦り寄って来たマリーシェが、小声で問い掛けて来た。

 余りに近付き過ぎて、仄かに彼女の良い匂いが漂ってきた……って、今はそんな色ごとに気を向けている場合じゃあないな。


「……そうだなぁ」


 そう口にしては見たものの、俺に良いアイデアがある訳じゃあ無い。気配を探っても中に存在を1つ感じるだけで、それがどういった輩なのかは分からなかった。

 暫く思案に暮れていた俺だったが。


「……まて、アレク! あれは……」


 カミーラの緊張感のある声に、思考に沈みかけた俺の意識は一気に引き戻された。彼女の見つめる方向へと視線を向けるとそこには。


「……何なん……あれ?」


「は……初めて見るわね」


 、見た事も無い魔物が建物の影から姿を現した。

 もっとも、俺はその魔物の事を知っている。

 そして……カミーラもな。


 その魔物は、生物かどうかも疑わしかった。

 全体像だけを見れば、それは人に近しい姿をしている。頭があり、両腕があり、胴体があり、両足があった。

 二足歩行をしていて、歩いているその容姿は俺たち人と全く大差はない。

 でも……決定的に違う処がある。

 それは……黒一色に染め上げられているという事だった。

 漆黒のその体躯は、凹凸があるのかさえ疑わしい。そして当然の事ながら、視線はおろか表情さえも確認出来なかったんだ。


「あれは……『式鬼しき』と言う。……倭の国では、符術にて召喚する……『幽鬼』の一種でもある」


 そう説明してくれたカミーラの表情は、驚愕に打ち震えていた。

 それもそうだろう。

「式鬼」と言う魔物は見る事のない、所謂「使役獣」に分類される自然界では存在しない魔物だ。

 だが、問題はそこじゃあない。

「式鬼」がここで召喚されているという事は、つまりその背後にはそれを従える、が存在していると考えられるんだからな。


「……倭の国の符術で召喚する……魔物て。……つまりそれは、あれを召喚したもんがおるって事?」


 さすがはサリシュだ。カミーラの話しの中から、有用な文言を拾い出して疑問視している。


「ちょ……召喚した者が背後にいるって……! それって……!?」


 そしてサリシュの説明から、マリーシェはある推測を立てていた。それは俺が、そして恐らくはカミーラも想像している事でもあった。

 俺たちの思い描いている「式鬼」の背後にいる魔物、それは。


 以前死ぬ思いで戦った、あの「魔神族」に他ならなかった。


 いやまぁ実際は、訳だが。

 まだマリーシェとサリシュは、「魔神族」が倭国からカミーラを追ってきている事を知らない。今はまだ話す時じゃあないと、俺がカミーラに口止めしていたからな。

 だからマリーシェが「魔神族」を関連付けたのは、殆ど偶然だと言って良いだろう。もしくは単なる直感や思いつきかもな。

 でも俺とカミーラには、もっと明確な結びつきが想像出来ている。

 何せ「倭国でしか見る事の出来ない使役獣」がここに居れば、それを出現させたのが誰なのか? どんな存在が呼び寄せたのかを考えた時、思い当たる節はそう多くない。


 マリーシェの台詞で、この場の全員に否が応でも緊張が走った。

 それも……当然だ。

 あの戦いで俺は、んだからなぁ。……俺が。


「……それで、どうするん? アレク?」


 サリシュが、冷静な顔つきと声音で俺に問い掛けて来た。でも平静を装ってはいるが、彼女も強い恐怖に駆られている筈だ。

 それでも、俺にどうするかを聞いて来るのは……強い精神力の現われだな。


 退くのか……戦うのか……。


 本当ならば一も二も無く逃げたいだろうに、それでもその判断を俺に委ねて来た。

 それはマリーシェも同様で、恐怖を湛えながらも口を引き結んで俺の方を注視していた。、戦う事も視野に入れているんだ。


 そう……カミーラを除いて……な。


 彼女は、未だに館の周りをゆっくりと徘徊している「式鬼」を食い入る様に見つめていた。

 しかしその瞳には、力が込められてはいない。

 呆然と……。そうだ、どこか呆けたみたいに、ただジィッと黒い影の動きを追っていた。


「……カミーラ」


 俺は、カミーラを驚かさない程度に低く抑えた声で話し掛けた。

 声こそ上げなかったものの、それでもカミーラの身体はビクリと跳ね上がった。俺たちの存在を忘れるほど、彼女の心はここにあらず……と言った状態だったんだろう。


「どうする、カミーラ。逃げるのも一つの手だぞ?」


 そうだ。ここは、逃げの選択肢だって取れる場面なんだ。

 以前のように、遭遇した訳じゃあ無い。まだ、気付かれていないんだからな。

 それならば、ここは一端退いて報告を済ませ、増援を頼むと言う方法も取り得る。


「わ……わた……私は」


 何とか口を開こうとするカミーラの舌は縺れ、うまく言葉にはなっていない。表面上には現れてないけど、これほど取り乱しているカミーラは見た事がないな。

 中々ハッキリとした意思を示せないカミーラだが、俺たちは特に急かす様な事はしなかった。決めるのは俺じゃあない。マリーシェでも、そしてサリシュでもない。

 ここで決めるのは、カミーラ以外にいないんだ。

 彼女と「魔神族」との関係をハッキリと話されていないマリーシェとサリシュだが、今はここでその事を問い質す真似はしなかった。それでも、カミーラに協力する事に戸惑いは無いみたいだった。


「私は……戦いたい」


 そして、彼女は決意した。

 逃げるのではなく……戦う事を……な。

 そしてその答えは、俺たちが考えていた通りのものだったんだ。

 カミーラは今後、魔神族との戦いに囚われて行くだろう。ここでもしも逃げても、それは問題の先送りにしかならないからな。


「よし……よし! やろう、カミーラ!」


 カミーラの返答を聞いたマリーシェが、気合の入った声を上げる。そしてそれは、力強く頷くサリシュも同様だった。

 3人の目が、俺の方へと注がれる。

 それは俺の決心を問うものでは無く、これからの作戦を確認している眼差しだったんだ!

 俺は3人に頷き返し、再び黒い影の「式鬼」へ視線を向ける。そして。


 発動したんだ……「スキル ファタリテート」をな!


 さっき、女神フィーナに言われたばかりだ。忘れる訳が無い。

 彼女たちの決意は固まった。それなら、その決心の先がどの様な結末を迎えるのか、俺はそれを知っておかなければならない。

 知って尚、それが俺の望まないものだったならば、何が何でも修正する! 修正出来なければ、何としてでもこの場から逃げ果せる! ……いずれ勝つ為に!


 周囲の風景が、白黒の世界へと変化する。

 音は一切なく、動くものは何一つない。

 それは、俺も同様だった。

 俺の目の前にいる3人の少女の頭上に、例の文字が浮かび上がっていた。相変わらず、カミーラの頭上に出現しているものだけは他の2人と違う文字だったんだが。

 この世界に留まっていられるのは、大体3分ほどか。これなら、マリーシェとサリシュの「運命」を覗き見てもお釣りが来るな。

 まず俺は、マリーシェの「宿命」を見る事にした。

 点滅する「確認」に意識を向ける。すると、俺の目の前にはまるで絵の様な……それでいてそれよりも遥かに現実的な映像が広がった。

 そしてそこには。


 剣と盾を構え、凛々しい顔で前を向く彼女の姿が映ったんだ。


 ふぅ……。俺たちがあの「式鬼」と戦っても、死ぬ事は無いみたいだなぁ。

 安堵した俺は、念の為にサリシュの「宿命」も覗いてみた。そしてそれは、やっぱりマリーシェと同じ様な映像だったんだ。


 垣間見たサリシュもまた、杖を構えて強い眼差しを湛えて前を向いている。


 この映像からも、2人の死は感じられなかった。それはつまり、俺たちが死ぬ……少なくともこの2人が死んでしまわないと言う事だと考えて良いだろうな。

 ホッと一息ついた俺は、改めて周囲を見渡してみた。

 白黒の世界。

 誰も……何も動きのない世界。

 それは、あの「式鬼」も同様だった。

 そしてそこで俺は、ある可能性について……思いついたんだ!

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