目の前の恐怖

 


 ほどなくして、襲って来た全てのゴブリンは沈黙した。勿論、2体のオーグルも討伐済みだ。

 後方に現れたオーグルは、カミーラが戦闘に加わった事もあってすぐに倒す事が出来た。その後全員で、残ったゴブリンを倒したって寸法だ。

 途中で混乱は起こったが、何とか敵の殲滅も、依頼の完遂も出来たって訳か。

 ……いや、待てよ?


 ……、ゴブリンが潜んでいたんだ?


 それを考えた時、俺にはが頭に浮かんでいたんだが……今はそれどころじゃあない。

 俺たちは……に直面していたんだ。





「うわあぁぁっ! 腕がっ! 俺の腕がぁっ!」


 、セリルが錯乱気味に叫んでいた。

 彼はオーグルの攻撃からシャルルーを庇った際に、左腕を斬り落とされていた様だ。肘から先が見事な輪切りにされていて、地面にはさっきまで繋がっていた奴の腕が転がっている。


「腕を縛って出血を止めて! 鎮痛剤、あったよね!?」


「……ちょっと待ってなぁ」


 俺たちのパーティで出たに、マリーシェとサリシュも冷静とは言い難い。

 何よりも。


「……アレク! ……セリルの腕が……腕が!」


 普段はセリルに毒舌しか吐かないバーバラも、今は取り乱して俺に混乱した目を向けて来ていた。転がったままの奴の腕を前に、普段では見る事のないオロオロとした姿を晒している。

 まぁ、これが駆け出し冒険者の本当の姿だろう。何かにつけて初めての経験が多いんだから、これも仕方のない事だな。

 彼女だって、魔物にやられて手足を失い、惨殺される者達を戦場で見て来ている。それこそ先日のグローイヤ達との戦いでは、幾人かの死傷者を目の当たりにしている筈だ。

 しかしこれが、知己の負傷ともなれば全く勝手が違ってくる。

 赤の他人なら、それを見ても哀れに思ってやるくらいは出来るだろう。なら、人は心の奥底で無関心を装えるんだ。

 でも仲間が傷付き、倒れて行く様に直面してはパニックになるのも当然だろうな。そしてこれが、でもある。


 早い段階で重傷を負った冒険者は、もはや引退するしかない。いや……片腕を失っても冒険を続けた奴もいたが、そんなのは稀だ。

 普通は、腕や足を失ってまで冒険者家業を続けようなんて考えもしないだろう。

 そして、そんな仲間の姿を目の当たりにした他の者もまた、冒険者から足を洗う。明日は我が身なんだ……誰だって、そんな目に遭いたく無いよな。

 初級冒険者の多くは、回復手段をあまり持ち合わせていない。薬草は兎も角、ポーションを買うのさえ躊躇ためらうだろうから、その回復方法はもっぱら魔法に頼っているんだ。

 でも初級で扱える回復魔法で、重傷まで治癒出来るものは無いからな。結局取れる手段としては、引退するしかないだろう。

 そんな者を、毎年多く輩出しているのがこの冒険者って稼業なんだ。


「サリシュ。鎮痛剤は良いから、これをくっつけたセリルの腕の傷口にぶっかけとけ。半分は飲ませるんだぞ」


 口調に反して遥かに慌てているサリシュに、俺は取り出したポーションを放り投げて渡した。俺の語調が若干ぶっきら棒なのは、今は勘弁して欲しい処だ。

 セリルは本当に運だけは良いな。

 俺には、ポーションが山ほどある。そして、仲間の為なら使う事を躊躇ったりはしない。

 これで奴の腕は瞬時に引っ付き、痛みもあっという間に治まるだろう。

 慌ててポーションを受け止めていたサリシュだが、今はそんな事を気にしている場合じゃあない。セリルの受けた傷なんかより、はるかに重要な問題が目の前にあったからだ。


「エリィン! エリィン!」


 涙でクシャクシャになった顔で、エリンの名を呼び続けているのはシャルルーだ。

 エリンは、シャルルーを庇って……傷を負っていた。


 ―――まずいな……。これは……致命傷だ。


 で、傷を見ればどの程度の状態なのかはある程度分かる。

 そしてエリンの受けた傷は、このまま放って置けばいずれは死ぬと言う深刻なものだったんだ。


「……アレク。……何とかならないか?」


 深刻な表情でエリンの様子を見つめる俺に、カミーラが後ろから囁いて来た。その声にも、沈痛な感情が込められている。

 俺は無言で取り出したポーションを彼女の傷にかけ、半分を彼女の口に含ませた。

 シュワッという音と共に、傷口は見事に塞がった。跡も残らないだろう。しかし……彼女の意識は戻らない。


「……アレクゥ。エリンはぁ、大丈夫よねぇ!? 助かるよねぇ!?」


 涙目で俺に問い掛けてくるシャルルーだが、俺はそれに明確な返答を出来ないでいた。

 残念ながら、彼女の受けた傷は相当に深手だ。

 ポーションを使いはしたが、その治癒能力では傷を塞ぐだけで精一杯で、彼女のまで回復する事が出来ないんだ。


「……ねぇ、アレクゥ。何とかぁ……何とか言ってよぉ!」


 黙り込んでしまった俺に向けて、シャルルーは哀願して来た。

 でも……今の俺には……いや、多分誰にもどうにも出来ないだろう。一般人には、これ以上の回復アイテムの奇跡は齎されないんだ。


 女神フェスティスの加護は、何もレベルを与えてくれると言うだけじゃあない。

 その際たるものが「蘇生リヴァイブ」であり「記録セーブ」だ。

 普通の人間が、生き返ったり時間を遡って復活出来る訳がない。これは偏に、女神フェスティスの恩恵の賜物でもあるんだ。

 そして、それは冒険者が使うアイテムにも現れている。

 薬草やポーションなら、一般人にも効果がある。でも更にその上の高級薬草や上級回復薬ハイ・ポーション、蘇生に関わるアイテムの効果は、冒険者にだけ与えられた特権なんだ。

 それも、よくよく考えれば分かる話だろう。

 一般人にも高い治癒能力のあるアイテムや蘇生アイテムなんかが効果を発揮すれば、この世の中から怪我や病気、死なんかが激減しちまう。

 それが良い事なのか悪い事なのか、俺には分からない。

 でも、これだけは何となく想像出来るんだ。

 死への恐怖が薄れた人と言うのは、生きる事に怠慢となるだろう。人は、いついかなる時に死へと直面するか分からないからこそ、日々を必死で生きようとするんだ。

 そして、そんな死に常に直面している冒険者たちへ、効果の高い回復アイテムと言うのは女神のせめてもの慈悲なんじゃあないかとさえ思えていた。

 だから、一般人に「ハイ・ポーション」や「エクス・ポーション」、それに「聖王の雫」を使っても効果は期待出来ない。当然、シャルルーや今横たわるエリンには効果が……望めない。


「エ……エリン」


 項垂れる俺の横で、マリーシェが涙声で彼女の名を呟いていた。すぐに動き出さない俺の態度から、もう打つ手がないと悟ったんだろう。

 くそ……最悪の結果だ。

 状況としては、守護対象は未だ健在だ。クエストとしては大きな失敗じゃあない。

 倒れたのはシャルルーの従者で、その従者であるエリンの役目もまたシャルルーを護る事でもあるだろう。

 そう考えれば、俺たちはそれぞれに役目を果たした。今の光景は、その結果だともいえるだろうな。

 でも……納得出来るかどうかは別の話だ。

 以前の人生では見飽きるくらいに直面し諦め見捨ててきた光景だけど、今度はそんな事をしたくはない! 最後の最後まで足掻いて、俺の望まない未来を変えて見せる!

 その為には……。


 ―――一か八か、「ハイ・ポーション」を使って見るか……。


 これしか、今の俺には残されていない。さらに言えば、蘇生アイテム「聖王の雫」を使う事も止む無しだと思っていた。

 効果が出るかは分からない。……いや、多分効果は現れないだろう。長い歴史が、その事実を明確にしている。でも、何もしないでこのままエリンを失うなんて……考えられないんだ!


 俺は改めて、ゆっくりとエリンの傍へと跪いた。

 彼女の呼吸は、随分と安定している。まるで、眠っているみたいだった。でも、このままじゃあ間違いなく彼女は……。

 俺は、静かに腰袋へと手をやった。

 この中には、2本だけハイ・ポーションが収めてある。俺たちの誰かが致命傷を負った時の、これも取って置きだったんだ。

 もっとも。

 俺たちレベルなら、余程の事でもない限りはこのハイ・ポーションなんて必要ないだろうけどな。

 冒険者には、回復アイテムの効果も通常より高く現れる。だから俺がこれを持ってきたのは、本当にもしもの時の為だった。

 そのハイ・ポーションを、エリンを回復させる為に使おうって言うんだ。

 効果は……期待出来ない。

 いやこれは……願望に近いだろうか。少しでもエリンの容態が回復すれば御の字って処だな。


「そんな物を使っても、彼女は良くならないわよ」


 意を決してハイ・ポーションを取り出そうとした俺の背中に、そんな台詞が投げ掛けられたんだ。

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