不安の的中
俺は前世でも、多くのクエストを熟して来た。
―――討伐、探索、採集……暗殺。
シラヌスの持ってくる依頼を、それこそ山の様に完遂して来た実績があった。
そんな中で、特に取り組まなかった依頼が……護衛だ。
護衛はその難しさと長い拘束時間で、極力避けていたんだ。……シラヌスが。
勿論、全く無かった訳じゃあ無い。
王侯貴族や豪族などの依頼で、向かう先と合致していれば積極的に受けていたなぁ。
なんせそう言った場合俺たちは数合わせで、基本的には彼らの従えている護衛集団がその守護を請け負ってくれていたからな。
実質、俺たちは何もしなくて良かったし。それで大枚が手に入るんだから、そりゃあ金にがめついグローイヤやシラヌスが逃す筈は無いよな。
とにかく、俺の経験で“一抹の不安”があるとすればそれは……少人数での要人の護衛……これに尽きる。
そしてそれが今、俺の目の前に最悪の形で現れていたんだ……。
「な……なにっ!?」
突然、周囲を
動揺、苦痛、恐怖、悲哀、哀願、血流、死別、助命、逃避……そして僅かに憎悪、絶望、諦念。
そんな感情……正確には雰囲気や気配がその叫び声と共に周囲へと充満し、マリーシェが誰ともなしに問い掛けていた。
もうそれだけで、後方で何があったのか見なくても理解出来る様だった!
「ア……アレクッ! 後ろ……後ろにも、オーグルがっ!」
俺は前方から来るゴブリンに集中していたんだが、マリーシェは気になって仕方がなかったんだろう。
振り向いた先で、彼女はその巨体を見て絶句していたんだ!
俺ももう、その一言によって後方で何が起こっているのかは察していた。
たかがゴブリンが1匹や2匹現れた程度では、バーバラとセリルがやられる事は無い筈だ。勿論、それが原因でシャルルー達に危害が及ぶ事も……な。
もしもシャルルー達が傷つけられる様な事でもあるとすれば、それは2人が後れを取り戦闘不能となった時だけだろうからな。
しかし……完全に裏を掻かれちっまったなぁ。
オーグルに高い知性が備わっている事は広く知られているが、まさか気配を薄くして大きく回り込み後方を襲う……なんて真似が出来るとは思いも依らなかった。
前方に潜んでいたオーグルが全然気配を隠す素振りを見せなかっただけに、その効果は猶更だ。
そして結果としては、俺は後方を襲うのは数匹のゴブリンだろうとの予測を信じ込んでしまい、オーグルが複数存在している事も、そのオーグルを遊撃に使うと言う可能性も失念してしまっていたんだ!
「ちぃっ!」
後方を伺ったマリーシェの隙をついて襲い掛かるゴブリンの攻撃を、俺は左手に装備している盾で防いだ!
残念ながら、俺たちに他人を心配している余裕は無い!
仲間なんだから「赤の他人」じゃあないにしろ、自分の命と秤に掛ける様な事でもないからな。
「バ……バーバラッ!」
後ろの状況を見たマリーシェが、バーバラの名を叫ぶ。その声は、もはや悲鳴だ!
それから推察するに、果敢にもバーバラがオーグルへと挑み掛かったか。
だが、レベルの違いは歴然だろう。
恐らくは圧倒的な力の差に依り吹き飛ばされたか……打ち倒されたか……。
でもそのお陰で、シャルルー達はまだ無事だろうな。
……いや……シャルルーは……か。
このままじゃあ、シャルルーを傷つけてしまうどころか全滅の憂き目に会っちまう!
……くそっ! 仕方がない!
「マリーシェ、サリシュ! 後方のオーグルに対処してくれ! ……これを使え!」
俺は腰袋から、「ボデルの実」、「ドゥロの実」、「ベロシダの実」、「マジアの実」、「エチソの実」を取り出し、それぞれ2人に投げ渡した。
これは、攻撃力、防御力、素早さ、魔法攻撃力、魔法浸透力を一時的に引き上げる効果がある。
それでもレベル差は如何ともしがたく、今の彼女達では攻撃を防ぎ躱すだけで精一杯だろう。でもマリーシェとサリシュが共闘すれば、時間稼ぎにはなる筈だ!
「うん、分かった! アレク、ここをお願いね!」
そう言い残して、マリーシェは後方へと駆けて行く!
「……
そしてサリシュもまた、オーグルに向けて攻撃を開始した!
それまでバーバラに向いていた奴の関心は、すぐにサリシュへと向いた……んだが!
「こっちよっ! デカ物っ!」
すぐさま斬り掛かったマリーシェの攻撃を受け止める事で、その意識が今度は彼女へと向かった!
そうやって奴の注意を散漫にすれば、常にこちらが優位に立ち回る事が出来る。
流石に2人は、その事を分かってるみたいだな。
そして俺の役目は、此処から1匹たりともゴブリンを通さない事だ!
「絶対、行かせない!」
俺もまた幾つもの「実」を口に含み、決意を込めてそう叫んだんだ!
力が拮抗しているとは言え、カミーラがそう長い時間掛けるとは思っていなかった。
「つああぁぁっ!」
「ゴウッ!」
でもまさか、ここまで彼女が焦るとは思わなかったのも事実だ。
さっきからカミーラは、決着を急いでいた。だからその攻撃は単調で……直線的になっている。
そうなったら、オーグルの方が底力で上回っちまう。
如何に素早く攻撃を繰り出しても、その殆どが受け止められ躱されてしまっていた。そしてその防御を抜けた幾つかの斬撃も、オーグルの強靭な肉体を斬り割くまでにはいかなかったんだ。
これでは結果として、オーグルを倒すのにより長い時間が掛かってしまう。
それが分からない彼女じゃない……いや、分かっていても実行出来ない処はまだまだ少女だという事か。
「カミーラァッ!
俺はゴブリンに集中しつつ、大声で彼女へと檄を飛ばした!その意味は倭の国の「四字熟語」で、「今はぐっと堪え、大事に備えろ」だ。
ビクリ、とカミーラの身体が震える。
そして一端オーグルから距離を取り……俺の方を見て薄く笑みを浮かべていた。
カミーラの耳には、他のどんな言葉よりも「倭の国の言葉」が浸透するだろう。それを見越して、頭に血の昇っている彼女へと向けてこの言葉を使ったんだ。
倭国の出である彼女には、当然この意味が理解出来ている筈だ。
そして……俺が何を言いたいのかも。
「……すまぬな、アレク」
そして彼女は、小さな声でポツリと呟いた。
その声は、とても俺の所にまで届く様な声量じゃあない。俺は俺でゴブリンと斬り合ってるんだから、聞こえなくて当然の筈だ。
でもなぜだか……俺の耳には彼女の声が聞こえた……気がしたんだ。
そして。
それは……一瞬だった。
小さく嘆息したカミーラは、スッと刀を鞘へと納め!
「ヒュッ……」
大きく踏み出したと思うと、一足の元にオーグルとの距離を詰め、そしてそのまま……怪物の背後に立っていたんだ!
刀は……鞘に収まったままだ。いや、すでに収められていた……と言うべきだな。
目にも止まらぬ……とは、正にこの事だ。
その動きは、前に目にした時とは段違いに……速い!
多分今の俺たちのレベルじゃあ、彼女の動きを追う事は出来ないだろう。多くの経験をして来た俺だからこそ、彼女の烈風の如き動きを捉える事が出来たんだ。
そして、だからこそ……分かる!
あの時と比べれば、先ほどの彼女の動きは遥かに滑らかで洗練されていた。それは、レベルが上がったからだけじゃあない。
日々の鍛錬が……彼女の高い志が、その動きを更なる高みに昇華させていた!
俺は彼女の使った技……それを知っている。そして、彼女のその技を見るのはこれで2度目だった。
その技の名前は……「居合」。
倭の国にいる「侍」が得意とする、そしてその「侍」集団が修めようと努力している奥義の一つだ。
彼女の持つ武器「刀」は、剣速が速まれば速まる程にその切れ味を増す。だが高速で放つ薄い刃は、ほんの僅かなブレで斬れなくなるんだ。
そして、「居合」の型や動作は誰にでも出来る。
しかしそれを「技」や「奥義」にまで昇華させようとすれば、そこに至るまでには多分な努力と類まれなる才能が必要となるだろうな。
オーグルの首に、ゆっくりと1筋の赤い線が引かれる。
確認するまでも無くそれは、頭と胴体を別つ死線だ。
そして……静かにオーグルの頭は地面に落ち、大きな音を立ててその身体が地に沈んだんだ!
「カミーラッ! すぐに後方の援護をっ!」
余韻……いや、残心を決めているカミーラに、俺はすぐさま指示を与えた!
残念ながら、ここは試合会場では無いからな。技を出し終えた状態の彼女が納得し、次に動き出すまで待ってやる事は出来ない。
「……はっ! ……承知した!」
意識の手綱を握り締めた彼女は俺の言葉に頷いて応え、疾風の様に駆けて後方へと向かって行った。これで、後方の事は安全だ。
マリーシェとサリシュ、バーバラに加えてカミーラも参戦したんだ。オーグル1体ぐらい、どうとでもなるだろう。
それよりも問題は!
「残りはお前らだけだ!」
俺の眼前に未だ数の多い、こいつらだろうな!
俺は気合を込める為に、迫り来るゴブリンどもに向けて裂帛の声をぶつけた!
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