伯爵の御前
俺はマリーシェ達に声を掛けて、クレーメンス伯爵邸に入る為に歩を進めた。
そして、みんな俺の後に続いて来たんだ。
邸宅の入り口を護る門兵に声を掛けると、彼はとても胡散臭そうに俺たちへと対応した。
まぁ、それも仕方ないんだけどな。
昨晩はシャルルー嬢の件で、かなりの騒動になったんだと思う。
それこそ、蜂の巣を突いた様な大騒ぎだっただろうな。
それを考えれば、守衛が俺たちを疑って見るのも、そして心なしか疲労し眠そうなのも頷けるってもんだ。
「……案内の者がやって来ますので、暫くお待ち下さい」
どうにも緩慢な対応だが、だからと言って門前払いされる様な事は無く。
屋敷からやって来た執事に案内されて、俺たちは無事に門の中へと入る事が出来たんだ。
「……なんか、嫌な感じねぇ」
俺に身を寄せてきたマリーシェが、小声でそう耳打ちをする。
そんな彼女に、俺は乾いた笑いを返すしか出来なかった。
マリーシェがそう言うのも分からないではないが、癇癪を起さないで貰いたいよなぁ。
実際さっきの門兵とのやり取りでも、サリシュが牽制しなかったら暴発してたかも知れないしな。
「しっかし、でっかい家だよなぁ……」
門を潜って、屋敷までかなりの距離がある。
玄関までは石の敷き詰められた道が整備されており、屋敷の前で広場になっていた。
その中央には巨大な噴水が設置されていて、丁度馬車が回れるような円形地帯を形成していたんだ。
まったく、街の大通りでもここまで見事な造りにはなってないってのにな。
そしてそこまでは、通路の両側を造成された樹木が植えこまれている。
それはまるで、林の中を通っている錯覚まで起こさせる程だった。
「……ここは、本当に私有地なのか?」
カミーラが驚くのも、無理はない。俺だって、ビックリだったんだからな。
さっきは、侯爵家よりも大きい屋敷だと言っていたけど……。
実際は、公爵家よりも大きいんじゃあないか?
そんな閑静な樹々の中を進み、俺たちは屋敷へと案内されたんだ。
王城と言われても疑わない様な邸宅の中へと通され、俺たちは待合室へと促された。
訪れた客を待機させる部屋だとは言っても、そこは1級宿のスイートルームより遥かに豪華な作りだった。
でも……変だな?
「…‥すごいなぁ。……ソファも、座った事無いくらいフッカフカやで。それに……やばい……もふもふやぁ」
腰かけたサリシュが、驚きの声で呟くとウットリしていた。
それは他のメンバーの意見も同様の様で、全員がどこかシッポリとしていたんだ。
ここが依頼者の邸宅でもなければ、きっと何人かは眠りに落ちていた事だろうなぁ。
でも幸い、そんな事態に陥る事は無かったんだ。
「お待たせいたしました。我が家の主が話を聞きたいと申しております。こちらへお越しください」
さっきとは違う執事が部屋へ入って来て、俺たちにそう告げた。
「えっ!? もしかして、伯爵さまが直々に俺たちと!?」
そしてセリルが、驚きの声でその老執事へと問い掛けていたんだ。
普通で考えれば、一介の冒険者……しかもこんな若造に、爵位を持つ依頼者が合う事は無い。
事後処理だけなら、執事に任せておけば問題ないからだ。
おかしいと言えば、この部屋に通された事も不思議な話なんだがな。
どう考えてもこの待合室は、大事な客の為に使われる部屋だろう。
ここまで立派な屋敷なら待合室にも幾つか種類があり、訪れた客の“質”によって案内される部屋が違って当然だ。
俺たちくらいなら、もしかすれば裏口に回されていたかも知れない。
でも実際は、この対応だ。
しかも家主自らが俺たちと会見するっていうんだから、首を傾げる理由は幾らでもあった。
「……何か……思惑でも……あるの?」
バーバラがそう考えるのも、分かる話だ。
俺も、クレーメンス伯爵が何か企んでいるんじゃあないかとさえ考えていたんだが。
「なぁに言ってんのよ、バーバラ。それだけ私たちが、良い仕事したって事じゃないの?」
そんなバーバラの独り言に近い呟きを聞いて、マリーシェが飛び跳ねる様な明るい声で彼女に答えていた。
なるほど、マリーシェの様な考えも有り得る訳だ。
何事も、悪い方にばかり考えていても仕方が無いからな。
「マリーシェ、そろそろ落ち着いたらどうだ? 謁見の間が見えて来たぞ」
そんなマリーシェへ、やや緊張した面持ちのカミーラが窘める様な声を掛けた。
彼女の気が張る理由も分からないでは無い。
何せ、伯爵の様な貴族に会う機会なんて、俺たちの年齢で考えればそうそうある事は無いからな。
いや、伯爵どころか子爵や男爵に会える事すらそうは無いだろう。
カミーラの一言で、俺たちの間にピンと張り詰めた空気が戻って来た。
そして、いよいよ謁見の間へと続く大きな扉の前までやって来たんだ。
「……旦那様。冒険者アレックスとその仲間たちをお連れいたしました」
静かに扉を開けた執事が、一歩部屋の中へと入って恭しく礼をしながら要件を告げると。
「そうか。入って貰いなさい」
中から、どこか張りのある男性の声が聞こえて来た。
その声音だけを聞けば、年齢はともかくとして活力を感じさせる精悍な人物だと思われた。
「……こちらへ」
執事と入れ替わる様に、部屋の中へと一歩踏み込む。
そこは、小さなお城の玉座の間を思わせる造りをしていたんだ。
主の座る椅子にまで伸びた赤絨毯。
その絨毯を挟んで居並ぶ鎧を纏った兵士たち。そして。
正面の一段高くなった
いうなれば、まるで玉座そのものだ。
そしてそこには、その椅子にやや不釣り合いなほど質素な服装をした、中肉中背の男が座っていたんだ。
いや、質素といっても十分に高価な素材が使われているんだけどな。
「おお、よくぞ来られたな。もう少し近くへ来ると良い」
やや気圧され気味の俺たちへ向けて、椅子から立ち上がり歓迎の意を示したこの家の主……クレーメンス伯爵がそう声を掛けて来た。
もっともその行動は傍に控えていた執事に窘められて、苦笑いしながら再び椅子に腰掛けていたのだが。
俺たちはそんな伯爵の態度に、一気に緊張感を和らげられたんだ。
それでも場所が場所だけに、俺たちは互いに気を引き締め合い伯爵の促されるままに絨毯の上を歩いて行った。
そして、伯爵の座る高座の前まで来て跪き頭を下げる。
「私は王様でも公爵でもないのでな。その様に堅苦しい態度は無用だ。顔を上げてくれ」
どこか砕けた物言いで、伯爵は俺たちに顔を上げる様に命じた。
……いや、促したと言うべきかな?
確かに、伯爵は貴族であっても王では無いからな。あまり畏まっても仕方がないかも知れない。
俺たちは、そのまま顔を上げて彼の顔を見た。
伯爵はどうやらご機嫌な様で、ニコニコとした表情を隠そうともしなかった。
それだけを見れば、爵位なんて持たないただの富豪の様にも見える。
……いや、宿屋のオヤジか?
「この度は、我が娘シャルルーを無事にこの街まで送り届けてくれて感謝している」
そして勿体ぶる事も無く、いきなり俺たちに謝意を示したんだ。
そしてもっと驚いたのは。
何と座ったままとは言え、俺たちに向けて頭を下げていたんだ!
これには俺だけじゃあなく、他のみんなも絶句していた。
「……旦那様」
さすがにその行為は行き過ぎたのか、隣で佇む執事が小声で注意を促していた。
まぁ、そりゃあそうだろうな。
今の世界では、貴族が簡単に下賤な者へ向けて頭を下げては示しがつかない。
でも更におかしいのは、居並ぶ兵士たちが嘆息したり苦笑している事だろうか?
その様子を見るに、伯爵の奇行は今に始まった訳では無い様だ。
「あぁ―――……うほんっ! それでそなた達をわざわざ呼びつけたのは、当時の詳しい内容を旦那様に話して貰う為です」
かなり弛緩した空気を引き締める様にわざとらしく大きな咳ばらいをした執事が、俺たちをこの謁見の間へと案内した理由を口にしたんだ。
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