女神の来訪
結果として、崖下に落ちたセリルは無事だった。
まぁ顔に軽度の火傷と、右足首と左手小指の骨折はあったけど、それもポーションですぐに治ったからな。怪我がなかった事と同義ってやつだ。
レベルの恩恵を受けている冒険者と言えども、街中ではその「異能」は効果を発揮しない。
女神の像に周囲を護られている街中では、魔法や技能も一切使えず、どれだけレベルの高い冒険者も少し鍛えた一般人と大差ないんだ。
まぁそれも、普通に考えれば良く分かる話だ。
日常を過ごす一般人にしてみれば、レベルにより超常の力を発揮する冒険者などはまさに脅威そのもの。
しかもその女神の恩恵は、“善人”にのみ与えられる訳でもないからな。
レベルの高い極悪人に町中で暴れられでもすれば、小さい町ならすぐに壊滅しちまうだろう。
だから街中では、俺たち冒険者も一般人と同じ身体能力しか持たないんだ。
崖から落ちたセリルは、下手をすれば死んでいたかも知れない。
さすがに死んだとなったら生き返らせる手段もそう多くなく、信じられないくらいの高額が必要となるか、超希少なアイテムを用意しなくちゃならなくなるんだが……。
ほんっと、こいつってば運が良いよな。
「……ったく。酷い目に遭った」
とはあの後目覚めたセリルの弁だが、こりゃあ自業自得だな。
むしろ、首の骨を折って即死にならなくて良かったってとこじゃないか?
とにかく、怒涛の入浴事件はこれで幕を下ろした訳だが。
「……ふい―――。……良い湯だ」
あんな慌ただしい状況じゃあ、ちっとも風呂に入った気がしやしない。
俺は改めて、みんなが寝静まった頃を見計らって1人で風呂に入る事としたんだ。
しかも、宿の従業員に聞いた「とっておきの隠れ湯」まで来たんだ。
ここは宿の小さな裏山、その山頂付近にある露天風呂だ。
知る人ぞ知る秘湯……しかも深夜だけあって、誰もいない上になんとも風光明媚な場所だった。
ここなら、本当に疲れを癒せるってもんなんだが。
「なんだ、そなたもここを聞き知って来たのか」
なんだか聞いた事のある声が、俺の背後から掛けられたんだ。
……いぃ!? まさか!? それにここって、混浴だったっけ!?
って、よく考えなくても露天風呂はこの1つだけか……。
「カ……カミーラ!? なんでお前がここに!?」
正直、完全に意表を突かれた。全く無防備な上に、今更湯船から出られないぞ!
動揺する俺を気にした様子もなく、カミーラはサッと体を流すとそのまま露天風呂に入って来たんだ。
緊張して顔を彼女の方へと向けられないが、どうやらカミーラはバスタオルで前を隠しているだけの……正真正銘の全裸っぽい!
「カ……カミーラ。お前、良く入って来れるな」
情けない事に、彼女よりも俺の方が慌てふためいちまってる。
……ったく。こんな状況だと、実年齢30歳とかあんまり役に立たないな。
「ふむ。ここは混浴であろう? ならば、そなたを責めるのは筋違いだからな」
殊の外冷静なカミーラが、どこか可笑しそうにそう答えた。……ったく、よく平気だよなぁ。
そう言えば、倭の国にある温泉にも混浴ってのがあったとは思うけど……。
だから、彼女には免疫があるって事かな?
「ふぅ―――。……良い湯加減だ。それに、景色も最高だな」
俺の心情なんて全く気にせず、カミーラはこの露天風呂にご満悦な様だ。
でも俺にとっては、何とも居心地の悪い時間が流れた。
いや、カミーラ程の美少女と混浴なんて、本当は最高なんだろうがなぁ。
ただ残念ながら、俺にはこの状況を楽しむ余裕なんて無かったんだ。
無言の刻がゆっくりと流れて行く……。
そしてこの空気に耐えていた、俺の我慢は限界に達していた。
「……なぁ」
「……いずれ、そなたとはゆっくり話がしたいとは思っていた」
どうやら、この沈黙をどうにかしようと考えていたのは俺だけじゃあ無かった様だ。
ほとんど同時に、俺たちは口を開いたんだ。
もっとも、俺はこの雰囲気に耐え切れなかっただけだからな。
無論、話の主導権は彼女に渡す事にした。
「……あなたときたら、ちっとも私を呼ばないし。いい加減、痺れが切れちゃったわよ」
……ん? カミーラは何を言ってるんだ?
「それに、ちっとも“
……これは……カミーラじゃあない!? それに、この話し方……!?
「そんなんじゃあ、『魔神族』となんかまともに戦えないわよ? それに『ラフィーネ』の思惑を挫く事だって……ね?」
……思い出したぁ!
「お前……フィーナだな!? 女神フィーナ!」
それで俺は、声のする方に振り返った……つもりだったんだが。
「こ……これは? 時間が……停まってる!? いや、これは違うな……」
俺の身体は、振り向いてくれなかったんだ。
いや……そうじゃあない。
俺の肉体は留まったままだけど、俺の意識だけが抜け出てフィーナに向き合ったんだ!
美しい顔立ち。煌びやかな銀髪は短く纏められている。
こちらを見据える金眼も神秘的で綺麗だ。
すらっとした体形にぴったりと張り付いた、謎の素材で出来た衣装は以前見たままだな。
そこから延びる長い手足といい、その姿は女神の名に相応しいんだが……残念ながら胸は無い。
フィーナの存在に気付き周囲に注意を向ければ、風景が静止してしまっている。
風の音も、木の葉が擦れ合う騒めきも、湯船の
それだけじゃあなく、そんな周りの景色は全て色褪せて……白黒の世界になっていた。
これは確か、例の「スキル ファタリテート」を発動した時と同じだったんだ。
「ええ、そう。お久しぶり……になるのかな? 女神フェスティス様の忠実なる僕、あなたのパートナーのフェスティーナ=マテリアルクローン=Mk8よ」
俺の背後には、久しぶりだってのに偉そうな、腰に手を当てて立っている女神……の僕? フィーナがいたんだ。
「……ったく、呼んでも出て来なかった癖に、今更何しに来たんだよ?」
俺は意識体のまま、フィーナに文句を言ってやった。
確かこいつは「何時でも呼んで」なんて言ってたのに、実際はこの数か月全く出てきやがらなかったんだ。
「こっちにもこっちの都合ってのがあるの。それに、どうせ出て行っても下らない質問しかして来なかったでしょう?」
まぁ、なんて言い草でしょう、この娘は。
こっちにだって、色々と聞きたい事は山ほどあるって言うのに! それを下らないと一蹴するなんて!
「おま……」
「どうせ、“
思わず激高して食って掛かろうとした俺の機先を制して、彼女が冷静な口調で返して来たんだ。
「お……おう」
まさに怒りの矛先を逸らされて、俺は思わず口籠ってしまった。
確かに聞きたかった事はフィーナの言った通りだけど、そんなに大した事ないって言い方するならさっさと説明しに来てくれれば良いのに。
「呼び出しにすぐに応じられなかったのは悪かったけど、こっちはこっちで色々と忙しかったのよ。だからこうして、出て来てあげたでしょ?」
むぅ……。彼女の言ってる事は分かるんだけど……。どうにも納得がいかん。
「……それで? 色々と教えてくれるのか?」
だから俺が少し
「ええ、そうね。今答えられる事については、可能な限り答えてあげるわ。……それで、何が聞きたいの?」
そんな俺の質問に、彼女は限定的に答えると口にしたんだ。
逆に言えば、この期に及んでもまだ答えられない事があるってのか。
……ったく、大した女神さまだなぁ、おい。
「それならまず、その“
真っ先に気になるのは、やっぱりこの言葉だよな。
俺に何も関係ないってんなら無視して良いんだが、フィーナの話だと「任じられた」って事になっているみたいだ。
なら、何か「使命」の様なものがあるって事なんだが。
……面倒なのは、もう嫌なんだよなぁ。
「あら、そんな事? そんなの、少し考えれば分かるでしょ?」
でもフィーナは、俺が質問するとその事が理解出来ないって表情で返答したんだ。
何が腹立たしいって、こいつは本当に考えるまでも無いって思ってやがる事だ。
ぐぬぬ……腹立たしい!
「それは、あなたの持つ『スキル ファタリテート』の特性を考えれば簡単な事よ。『宿命』や『運命』に囚われた者をそこから解き放つ……つまりはその者の『未来』を変えるという事……。それが“未来担いし者”の力であり使命なのよ。……それと」
なるほど、確かに俺に与えられたスキル“ファタリテート”の能力を考えれば、フィーナの言った事は理解出来る。
事実俺は、すでにマリーシェとサリシュを助ける事でその「宿命」……未来を変えちまってる。
なるほど、それが「未来担いし者」の使命ってやつか……。
でも、最後に何を言い淀んだんだ……?
「な……なぁ、さっき何を……」
「それからぁ。『魔神族』についても少し教えておいてあげる」
俺がその事を指摘しようと口を開いたその瞬間、まるでそれを遮る様にフィーナは話を続けたんだ。
その話し振りは、どこか言おうとした事を誤魔化す様にも見える。
でも確かに、今は彼女の言った「魔神族」の方が気になったんだ。
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