5 メリーさんの電話という都市伝説について
「……ッ!?」
いつぶりだろうか。
そんな感情が自分の中から湧いて出たのは。
たかだか不要な人形を捨てただけで命の危険に晒される理不尽。
それを振りかざす者。
そんな酷く濁った感情が湧き上がってきたのはいつぶりだろうか。
とにかく、それが今になって表れた。
いや、違う。
多分そうじゃない。
きっとずっと以前から抱えていた筈なんだ。
それが今になってようやくその感情を知覚したのだろう。
そして突然ぐちゃぐちゃになる俺に男は言う。
一つの答え合わせ。
「キミに繋がっていたメリーさんとの呪術的繋がりを断ち切った。故に今見て感じ取れるのが……キミが導き出した答えだ」
「……」
「キミの友達に感謝するといい。彼はね、殆ど何も知らない状態から三か月も掛けて僕という専門家に辿り着いた。学生にとって決して短くないその期間の全てを、キミを助ける為に費やしたんだ。報われるべきだし、礼の一つや二つ位されたっていい筈だ」
そう言った男は再び刀を構える。
呆然とする俺の横を素通りして、メリーの前に立つ。
「さて、仕事を終わらせる事にしよう。早い所、彼も報告が欲しいだろうから」
そして刀を振り下ろそうとした、次の瞬間だった。
「待ってくれ!」
半ば無意識にそう叫んだのは。
「……なんだい? 祓う前に何かしておかなければならない事でもあるのかい?」
「え、いや……」
分からない。どうして自分からこんな感情が湧き上がってくるのかは分からない。
……分からない、けれど。
「とにかく……すこし、少しだけ……待ってください!」
メリーは理不尽を振りかざす都市伝説。
そう思う感情を、酷く濁った感情だと認識する自分が居た。
そんな感情に、異物が混じるように、ぐちゃぐちゃになっていると認識する自分が居た。
黙っていれば救われるのに、目の前で起こる惨劇を止めたいと思う自分も居た。
「……お願いします」
命を助けようとしてくれている相手を、土下座してまで止めようとしている自分が居た。
そこから、まるで無限のように感じる無の時間が流れる。
そんな中で最初に聞こえてきたのは、男の声。
「意味は分からないかもしれない……だけどそれは、何もおかしくない感情だよ」
そして男は鞘に刀を収める。収めてくれる。
「メリーさんは復讐相手以外には基本的に善良な存在なんだ。人形は愛されるために生まれてくる存在であると同時に、誰かに安らぎを与える存在でもあるからね。そんな存在と過ごした日々そのものは偽りではない。湧いて当然だろう、情の一つや二つ」
「殺さないで……くれるんですか?」
「保留だよ。後はキミが決める事だ」
そう言った男はこちらの方に向き直る。
「第三者に被害者がいるなら話は別だよ。だけどこれは明確にキミと彼女の問題なんだから。キミからその言葉が出てきたという事は。もう、キミの決断無しに僕のような人間は介入できない」
「……」
「介入したくない」
そう言って男は懐から名刺入れを取り出すと、そこから一枚取り出して差し出してくる。
「しばらくはこの町に滞在する予定だからね。答えが出たら連絡してくれると幸いだ」
そう言って踵を返す男の背に、俺は思わず言った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「なんだい?」
「アンタ、こういう事の専門家なんだろ!? コイツ、この怪我で……どうすりゃいい! 救急車でも呼べばいいのか? 人間と同じ治療方法で大丈夫なのか!?」
「放っておけば大丈夫さ。その子は人間じゃないからね。一般的な人間よりも身体能力や治癒能力は上。安静に寝かせておけば時期に治る。だからこのままその子を連れてまっすぐ家に帰ればいいよ。人目は気にするな。名刺に数時間分だけど人払いの術式を付与してあるから」
そう言い残して、男はその場を去っていく。
改めて、名刺に視線を落とした。
……怪異バスター。柿本善次郎。
胡散臭さしかないけれど、それでも間違いなく本物の専門家。
まともな思考能力を失っていた俺の代わりに、明人が探しだした打開策。
そんな二人に命を救われかけて、今それを自らの手で放棄するかもしれない。
そういう状況に立っている。
……柿本さんはしばらくの間この町に滞在すると言った。
それがいつまでなのかは分からないけれど、早急に出す必要があるだろう。
ぐちゃぐちゃになった感情から、自分自身の答えを。
だけどまず、そんな事を考える前に。
「……ッ」
ゆっくりと瞼を開いたメリーに。
きっと酷く怖い思いをしたメリーに
何か声を掛けてやらないと駄目だろう。
「大丈夫だ……お前を襲った奴は、なんとか追っ払ったからさ」
「……ほんと?」
本当に怖かったのだろう。
彼女は瞳に涙を溜めて、涙声で不安そうに言う。
「……ああ、大丈夫だ」
不安そうな表情のメリーに少しでも安心してほしくて、俺は笑みを浮かべる。
すると彼女は体をなんとかという風に起こし始めて……そして。
「お、おい、動いて大丈――」
「怖かった……怖かったよぉ……ッ」
そう言って俺に抱き着いてきた。
縋るように。弱弱しい力で。
「……大丈夫だ」
そう言って俺は彼女をできる限り優しく抱きしめる。
彼女に対する強い畏怖の感情は残っているけれど。
自分の命が危険に晒されている事が理不尽だとは思うけれど。
それでも……それでも。
俺はしばらくの間、メリーを抱きしめていた。
それで少しでも彼女が安心できるなら、それでいいと思った。
そしてそんな俺達に向けて、水滴が滴り落ちる。
夏の天気は不安定だ……雨が降ってきた。
「帰ろう、メリー」
「……うん」
次第に強くなり始める雨の中、まだまともに歩けそうにないメリーを背負って俺は裏路地を出た。
自分自身の感情の中から答えを探しながら。
泣いている彼女に笑ってもらうにはどうすればいいのかを考えながら。
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