第5話
アルビノを見る度に、人が見た妖精はアルビノだったのではないかと考える。
彼らには人間から賊心を取ったような美しさがある。最近存在を知ったメラニズム。彼らの肌には光沢があり、漆のように色に深みがあった。美しい彼らを前に私は言葉を無くす。
美しい、その言葉を良い意味で捉えられない私は彼らをどのようにも形容できない。彼らの目からこの世の中はどのように見えているのだろうか。あまりにも自分が美しすぎて、この世の中が汚らしく見えて仕方ないかもしれない。
自分の右手の薬指の指先に刺激を感じてまじまじと見ると爪と皮膚の間から血が出ていた。先ほど無意識のうちにささくれを剥き、皮膚を噛んでいたようだ。
溢れ出す血を口に運ぶ。鉄の味を美味しいと感じる私の前世はヒルなのかもしれない。口をすぼめて血を吸いだす私の様は、傍から見るとみっともないだろう。血が出るときの微かな痛みと血の味は好きだ。
幼い頃、何故爪を噛むのかと聞かれ「血が美味しいから」と言えなかった私は、その幼さにして「爪が伸びているのが気になっちゃう。」と無難な嘘をついた。
血を美味しいと世間は思わない、そう察知していた私は自分の特性をあまりにも早く無意識に見抜いていたかもしれない。20歳を過ぎても未だに私の中から爪を噛む癖は抜けない。
どんな些細な出来事ですら、この世の中で私しか持っていない感性の臓器を痛めつければ、不安や恐怖の黒い錘が全身を巡りとうとう私の心にやってきて、喜びや楽しみまでも一緒に石化させてしまう。
そんな時私はその錘を削るかのように自分の爪に歯を立て、流れ出た血に歓喜し自分の生きている味を堪能する。
いつか付き合っていた彼にこのことを話したら「気持ち悪い」と言われた。けれど私はその言葉にちっとも傷つかなかった。やはり、世の中の人はそう思うのだな。そんな程度の心境だった。
交通安全を訴える旗を蹴りたぐり、その直後にバスが後ろから走ってきたせいで私はバランスを崩しよろけてしまった。そんな私の前を猫が横切った。その猫は車道に出る前に車が来てないことを確認してから車道に出ていた。
やけに頭の良い猫だなと私は感心しながらその猫を目で追った。すると猫は車道の真ん中で腰を下ろし私のことをじっと見ていた。何かを私に訴えているかのようで、視力の悪い私は目を細めて猫をじっと見た。
けれど暗闇であることもあり、その猫が飼い猫なのか野良猫なのかの区別もつかなかった。餌が欲しいのかもしれない、ならばごめんよ、生憎私は何もあげられるものを持っていない。
それに猫は餌付けしてはいけないとどこかで習った気がする。私はその猫から目を逸らし猫から遠ざかるように歩いた。
まさかとは思い振り返ってみると猫がテクテクと私の方へ歩いていた。猫には決まって歩く道があると言う、きっとこっちの方がその道なのだろう。そう私は思いまた猫から目を逸らし、前を向いて歩き出した。
いつか野良猫と目を合わせると魂を乗っ取られると聞いたことがある。今でもそれは若干信じていて、そんな怪奇なことが自分の身に起こってもいいなと私はさっきの猫を見つめた時に思った。
いつの間にか私は猫に歩みを追い越され、猫のお尻に「お前なんぞに興味ない」そう言われた様な気がした。猫の遊び相手にもなれない私、そりゃあ人間にも相手にされないわけだ。
久しぶりの雨に私の髪の毛は踊った。雨の日の歩みはまるで知らないラビリンスに出かけるような高揚感を私にもたらす。傘もささずに私は歩き始めた。
歩いて幾ばくもしないうちに角の短いカブトムシの死骸を見つけた。腹を無様にさらけ出しコンクリートの上でくたばる姿。私はそこら辺にあった木の棒でそのカブトムシをひっくり返した。するとそのカブトムシがただの蝉の死骸であることに気が付いた。
例えばどんぐりが道端に落ちていて、そのドングリを踏むと何やら得体の知らない液体が噴射されるとする。私はその液体をとりわけ汚いとは思わない。
けれどカブトムシの死骸を踏んで何やら得体の知らない液体が噴射されれば、私はすぐさまその液体に嫌悪感を抱きその死骸に唾を吐きたくなる。
生きているものへ抱く気持ち悪さとは、ただの同族嫌悪であるような気がしてならない。
看板の上に人差し指を流す。すると指先に黒い塵が付着し、私はそれを舐め取り舌先で上顎に擦り付けた。体にとって懐疑的な、公害の味がする。雨に当たることを気持ちよいと思う私にとって、傘を持って迎えに来る愛は非常に邪魔だ。
その傘が水玉模様であればなおさら不愉快で、今すぐにその傘をこの谷底に落としてやりたい。谷底に人が落ちたとき、どんな音がすると思う?イヤホンをしていて聞き取れないから、何度でも私はこの問いかけをしよう。
雨に当たって激しさを増す鼓動に、体は付いていけない。この山から一気に谷底まで行ける魔法の坂道を転がり落ちて泥まみれになったらどんなに楽しいだろう、と私は私を置いてきぼりにする鼓動に付いて行こうと必死に頭の中で思いを巡らせる。
目の前に広がる真っ白な霧。霧を思い切り吸い込めば、私もその微細な水滴になれる気がして、思わず笑みがこぼれた。
谷底を一望できる柵の前まで来たとき、私はふと思い出した。今日の私の上着は他人から買ってもらったものだと。しかも白くて少しの汚れでも大いに目立つ。
この服を着て泥遊びなんて出来やしない。脳内で繰り広げられていた私のヘブンは、TVを消すかのようにプツリと途切れた。よりにもよって、何故今日この服を着てきてしまったのか。
仕方なく、服を汚さない程度の戯れを自然と共に行った。地面の溝に水が溜まっているだけなのに、水たまりは私の憩いの場だ。
「関係に名前なんて要らなくない?」
水たまりに映る私、うねっている髪の毛が鬱陶しくて前髪を掻き上げた。
「好きな時に会えればいいよ」
――時間に好きも嫌いもある?
ただ惰性で生きている今に、好きな時間なんて存在する?
「君がそんなこと言うなんて意外だな」
私はせっかく小さな爪に塗ったマニキュアの存在も忘れて、目を逸らされているのを良いことに爪を噛んでいた。ガリッと体中に響く音がして指先を見ると、私は血管と外気をぶつからせてしまっていた。
来たぞ来たぞ、やっと出れるぞと大喜びで流れてくる私の血液、そんなにも私の体内は嫌か?
「そうね、たまには複雑怪奇な世間話でも、と思ったの」
もう、関係に名前も存在感も要らないからセックスだけさせて。
水たまりを覗き込み俯いていたせいで髪の毛に水が滴り、水たまりに落ちて跳ねた。水たまりに手を突っ込み、そして持ち上げる。いつの間にか血が止まっていた指にも微かな刺激が走った。
私の手から垂れる水は白く濁って、この世のどんな液体よりも苦そうで私は舌なめずりをした。
この世の中の男に愛などあるのでしょうか?少なくとも、私が出会ってきた男たちには性欲や支配欲のような他人を虐げる欲求しかなかった。私はようやく顔を上げてもう一度前髪を掻き上げた。
指と指の間に髪の毛が数本くっついてきて、私はその髪の毛を手に取りまじまじと見た。誰か私の遺伝子欲しい人はいない?そう叫びながら走り回りたい気分だ。抜けた髪の毛の一本は、根本が白い毛だった。
白髪が多い私、そんな私の白い髪の毛にもマリアはフフッと笑ってキスをする。
電線に電撃が走り、火花が散った。けれど外気の寒さによって一瞬で私の目では見えなくなってしまう。
嗚呼、マリア、今日も又私は羞恥の業を行ってきた。私の欲しいものはやはりこの世にはないかもしれない。私の汗も涙も何もかもを流してしまいそうな雨。このアスファルトに溶けてしまいたい。
左目で見ても右目で見てもマリアは美しい。私は貴方のようになりたい、奪われて悲劇の底に突き落とされても屈強に耐え忍び神を信じ続けた貴方に。今日はもう、お帰り。マリアはそう言ってすっと消えていった。なんだか今日は、マリアの言いつけに背く気にはならなかった。明日は晴れてしまうのかもしれない、明日も私は生きてしまうのかもしれない。
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